見出し画像

活字オタは「小説の小説」を読んでぼくと語り合ってくれ


 こんにちは、みおさんです。今日は素敵な小説の紹介です!


「小説の小説」著者:似鳥鶏、角川書店

 いやあもう、面白い。五回は声を出して笑いました。

 電子で読んだのですが、注釈芸は電子がいいですね。電子書籍の新たな可能性を見ました。
 無限リンクを順にタップして注釈を読むのが楽しかったです。

 注釈芸、ご存知ですか?
 紙の本だと章の終わりくらいにアスタリスク * の下に書かれる、あの注釈です。
 似鳥鶏先生は注釈を多用して、そこに面白いことをいっぱい書いて笑わせるという芸風(あえて、作風ではなく芸風という言葉を使わせていただきます)なのです。

 既刊では「目を見て話せない」(文庫版では改題「コミュ障探偵の地味すぎる事件簿」)の、冒頭怒涛の注釈芸が最高ですので、こちらもまだの方は是非。
 文庫版より単行本のタイトルの方が好きだったので、ぼくの趣味でリンクは単行本版です。すごくいいと思ったんですが……「目を見て話せない」ってタイトル。


 ここから先は、ぼくが好き勝手に感想を述べますので、未読でネタバレは嫌だという方は、読んでからまた来てください。


 順に参ります。


 まず「まえがき」がある。
 文芸書で前書きは珍しい。本作はメタフィクションですよーということをサクッと説明してくれます。


「立体的な藪」
 ぼくは似鳥鶏作品を読む時いつも、戦いを挑んでいます。
 さあ今回はどんな手を使ってくるか? なるほど。これは叙述トリックだな。見破ってやる。来たな、地の文が長くてキャラの名前とか設定でずっこけさせるギャグだ。そのギャグのテンポ、読み切ってくれよう! という具合に。
 多分、似鳥鶏ファンは似たような読み方してるでしょ。戦いですよ、作者と読者の。激しいコミュニケーション。読書ってすごい。

 そして「立体的な藪」です。
 名探偵の推理を地の文で潰す。ふふ、このくらいは想定の範囲内。そのあと「()でくくられ、しかも頭に※がついた地の文」がさらに否定する。
わはは、読めたぞ。あと二回はこれを繰り返して世界観を破綻させる、そういう「手」だな。「()でくくられ、しかも頭に※がついた地の文」の中で改行をした。確かに斬新だ。そして「()でくくられ、しかも頭に※がついた地の文」がそれを快感と捉えているのが面白い。
 しまった、面白がらされてしまった。
 いや次にまた別の表現技法で「()でくくられ、しかも頭に※がついた地の文」を否定するのは分かってる。ほら、ルビの乱入だ。このルビ、口が悪いな。
 ここまでは読めていた。オチだ。ここまでゴチャゴチャにして、オチはどこに持っていく? さあ、オチの読み合いが勝負だ。分からん、分からんぞ、読めない。でっかく広げてグチャグチャにして落とすという大枠までは予想したが、この形で読者を唸らせるオチはどんなものだ?

(さすがにオチを書いたらいかんので、どんなオチかは作品をお読みください)


「文化が違う」
 なるほど、二本目はこういうヤツね。
 異世界転生もののお約束を弄り倒す楽しいやつだ。ぼくは異世界転生にはまあまあ詳しいぞ。世代だから。さあどこからでもかかってきたまえ!

 トラックに轢かれるシーンからぶっこわされて笑っちゃった。チクショウやられた。せめて轢かれろよ。轢かれずに死ぬの斬新すぎでしょ。でも自動ブレーキシステムあるよね、ある。確かに。これから自動ブレーキシステムが全車に導入されていくよね。
 気を取り直して異世界である。
 異世界語の解説が畳み掛けられるが、想定の範囲内だ。マッスルゴリラ=ウンコナゲルくらいではぼくには効かないぞ。でも、サザエでございますには笑ってしまった。悔しい。
 いよいよ終盤。気を引き締めたところで最高級ウンコの登場である。ふはは、読んでた、読んでたぞ! 勝った! と、油断したところで「料理名」の波状攻撃がすごい。

 この異世界いじり、とにかくしつこい。もともとしつこい芸風だが、いつになくしつこい。
 何故か異世界の言葉が分かっちゃう――というくだりをここまで書き込む必要は本来なら、ない。それをやるからメタフィクションなのだが、まあしつこい。
 著者と読者が互いの手持ちのカードを出し切るまで終わらない。未読の方、体調を整えてから読むことをオススメします。


「無小説」
 みなさんどうか、頑張って読んでほしい。
 著者本人も本作の末尾で述べているが、なぜかどんどん面白くなるのだ。
 夏目漱石、梶井基次郎、太宰治、芥川龍之介、宮沢賢治、山本周五郎、それにエドガー・アラン・ポー他、青空文庫から引用しまくって小説一本作ってしまうという試みである。
 切り張りだ。
 切り張りなのだが、なぜか途中から「この話はどう展開していくんだ?」と思わされる。
 なんと腹の立つ作品だろう。
 特に芥川龍之介と宮沢賢治は、中途半端な一文だけでも引用元の作者(作品が特定できなくても)が分かるのでもっと腹が立つ。文体が際立っている。すごい。
 「無」だがこの作品がまさしく「小説の小説」であり、メタフィクションをそのまま体現している。
 つまり、今までに読んだ小説が多ければ多いほど美味しい思いができる。
不勉強だと、凹む。もちろんぼくは後者だ。

 そして、注釈芸の限界へ―― ✳︎361


「曰本最後の小説」
 あ―――――好き。
 絶対これが一番好き。
 無駄に鳥がちゃんと鳥。なんでだよ。渦良さんの娘さん、美少女なの? 鳥なの? 分からん。

 内容は完全に社会派である。現代のこの日本の情勢を鋭く指摘している。
 マニアはすでにお気付きだろうが「日本」ではなく「曰本」なのが憎らしい。「ひ」ではなく「ひらび」の字を使っている。

 「いきなり社会派かよ」を作品冒頭でぶちかますあたり、メタのメタだ。読者より先に著者が言っちゃうスタイルだ。
 そして「同音異字」のオンパレードで笑わされる。
 本筋はシリアス社会派なのに。
 でもやっぱりシリアス社会派である。

 憲法改正による表現規制がはじまり、主人公の小説家・渦良が担当編集者・福楼とともに、検索避けを駆使して政府の規制から逃れながら作品を発表し続ける。

 「図書館戦争」をモチーフにしたくだりは、活字オタ全員スタンディングオベーションしたに違いない。
 国会図書館攻防戦に、『一九八四年』新訳本を刊行して火炎瓶を投げ込まれた歯や皮書房、『銀河英雄伝説』フェアを打って炭疽菌を噴霧された闘卿草原社、政治小説特集を組んで社屋ごと爆破された歌話出書房新社。
 字面は悪ふざけの極みなのだが、渦良先生の人生は格好いい。
 新作を出して、最期の瞬間を迎える時は泣いてしまった。
 しかもエピローグでその作品の全容が明かされたら、また泣いてしまった。
 まさか泣かされる予定はなかった。完敗である。


 今までも好きな作家だった似鳥鶏先生ですが、本作で「めちゃくちゃ大好きな作家」になりました。
 紙の本も注文したので届くのが楽しみです。

 みなさん「小説の小説」是非お読みいただき、ぼくと語り合いましょう!!!



 最後に。
 「曰本最後の小説」の国名表記「曰本」について。
 今まで全然意識してなかった「曰はく」でしか使わないこの文字。
 意味を調べたらつい本作に結び付けてまた悔しくなってしまったので共有します。活字オタ仲間みんな一緒にハンカチを噛め。


この記事が参加している募集

よかったらサポートお願いします!