人の価値
こんばんは、もじりです。
今日は、人の価値について綴ります。
人の価値とは、その人自身の存在価値をまず意識を向けて、その人が持っているもの、仕事やどこに住んでるとか、実績、その人に付属している価値にに目を向けがちない人が多いんじゃないかと思っています。
そういう自分も、価値をあげたいとは、思っていないつもりでした。
しかし後に振り返ってみると、付属している価値をあげるべく、
努力しなければ、成長しなければならない、思考に囚われてしまっていた時代があったと思います。
努力しないとダメ、頑張れていないダメ、がんばることができない自分が認められず、ダメ人間だなと思ってしまいとても生きづらかったなと感じていました。
終わりのない、地獄道をずっと走り続けているような感じでいました。
そのままではだめ、人の役に立たなければならないと価値がない、心の奥では、思っていてたんだと思います。
それさえも気づかないまま過ぎてきてしまってました。
なので、自己肯定もできないわけです。
そのままの自分、頑張って努力してない自分を認められないわけですから。
生きづらい上にも人にも厳しい目で見てしまう訳です。
そもそも、人種や仕事とか肩書とか、立派な家があるとか、車を持ってるとか関係なく、その人そのものの存在に価値があるのに どうして、そう考えられなかったのだろうかと今振り返ると思います。
動物だって、犬がいたとしても、血統書がついてる、ついてないからって価値が変わるわけではないのに。
同じ命として尊く、素晴らしさがそれぞれあるわけですから。その人そのもの存在自体が価値があるわけですから。
植物だって、〇〇産だから、エライとかないですもんね。
生きてるだけだけで、尊い存在。
まず、存在価値があり、その次に何が行動を起こして好きな事ができたり目的に目的に向かって進んだ方が生きやすいなと自分では感じます。
存在価値って、イメージすると港で、舟が自分。そんな感じです。ほっとし、安心するイメージでしょうか。港があるから、自由に海に出て、帰ってこれるような。
また、バカボンのパパで言えば、
バカボンのパパみたいに
「それでいいのだ。」って言って、
認められたら、
安心でき行動しやすくなるんだなと最近思うようになりました。
今は変化の激しい時だからこそ、自分の本当に大切にしたいことを大事にしたいなと思います。
今日もここまで読んでくださりありがとうございます😊
最近は、みぞれが降ったりする地域もあり、寒暖差が激しいので、体調に気をつけてお過ごしください。