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知られたくないのは、自然なこと

不調はできるだけ知られたくないのが、
ヒトを含めた動物の、自然な反応だと思っている。
自分を守るために、備え持った感覚。


それを分かっているからだ。

あっかんべ~して、
耳も開いてのぞき込んで、
おなかも手で確認して、
ついでに鼻水出ていないかもチェック、

「痛いところはない?」
「寒くもかゆくもない?」
「言っときたいことはない?」

ルーナ(うさぎ)と毎日確認し合う。

“言いたいこと”は、たくさんあるそう。

「おなかはさわらないで~」


―――


人だって同じだと思う。
根本として、不調(弱み)は知られたくない。

そのことに、“隠す”という言葉は使いたくないな。
言わないだけ。伝えなかっただけ。

でも、後ろめたい思いや、
悪いことをしている感じがするよね。

うそをついてはいけません、
と言われて育つ。

お皿を割ってしまった、
頼まれていたことを忘れてしまった
などの失敗を言えないと、
隠した、と言われてしまう。
そうやって、大人になる。


基本的に、うそはつかない方がいい。
つかないですむ方がいい。
相手を思ううそであったとしても、心が痛む。
その気持ちは大切にしたい。

失敗は悪いことではないけれど、
人や会社に関わる事柄は、早く話して謝った方が、お互いのためになる。


不調を知らせないことは、
見た目は似ていても、中身は全く違う感じがする。
あんまんと肉まんみたいなものだ。

自分だけの感覚であり、
そのこと自体がその人のプライベートそのもの。
つまりだ、人様にどうこう言われることでも、言われていいことでもない。


近年は、オープンにすることをよしとする雰囲気を感じる。
「隠すことないじゃない?」って。

オープンにできる人は、強いのだろうか。

多様性というのは、
オープンにしてもしなくても、どちらでもいいよってことだと、私は思う。

―――


身体や心の不調、生まれ持った特性、
それにより苦手なこと。
これらは、言える環境、言える人、自分自身が言える状態…、
さまざまな条件がそろわないと、話しづらい。

伝えられないこと、
伝えられなかったこと、
伝えなければよかった、ということも。
迷いや後悔で、苦しいこともあるよね。

自分を責めなくて、大丈夫だよ。

だれかから責められたときや、
そんな気持ちになったときは、
“責められる筋合いなんてないんだ”
って、思い出してほしい。



それから、もうひとつ、
心にとめておきたいこと、
きいてもらいたいことがあるの。


伝えてもらえなかった、と
落ち込まなくて、大丈夫だよ。
信頼されていなかった、そんなことないよ。

あなたがだいすきだから。
悲しませたくなくて、
困らせたくなくて、
話せなかったのかもしれない。


顔も名前も知らない人だからこそ、
打ち明けられることもある。

言える人がひとりでもいると、楽になる。

楽になって、いいんだよ。

以前妹にプレゼントしてもらった絵本
「きみのことが だいすき(いぬい さえこ)」の中の1ページを、公民館の柱で発見

2025.2.15 / 22


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