つき
自然とともに生きるとは。 自然との「共生」について、私が感じること。
生きづらさとともに生きるとは。コントロールできない自分との「共生」について、感じること。
社会の中で生きるとは、 人とともに生きるとは。他者との「共生」について、私が感じること。
ごきげんうさぎのルーナと暮らす中で、彼女と私が感じること。
消えてしまいたい気持ちとともに生きるとは。生と死が「共生」している私の心と身体について、言葉にしたこと、できたこと。
「共生」について考え始めたのは、歳が一桁から二桁に変わる頃でした。 熱帯雨林が人間の活動により、急激に減少していること。 生物多様性の宝庫とも言われる熱帯雨林がなくなることで、多くの動物が危機に陥っていること。 国産の木材を使用するより、輸入の方が安く済むこと。 おかしいと思ったのです。 わざわざ遠い国から持ってきた木材の方が、どうして安いなの。 知ってしまったので仕方ありません。 小学生にして、再生紙か確認してから学習ノートを買っていました。 “知った責任”を感
階段を二段とばし、 三段とばしで駆け上がるように、冬がやってきた。 近年の秋は、“暑くも寒くもなく過ごしやすい” といった、 肌で感じる秋ではなくなってきている。 今年は、暑いと寒いの繰り返しだった。 気温差、温度差が7℃以上あると、自律神経が乱れやすい(ストレスに感じやすい)という。 室内と外の、 一日の中での、 一週間の中での。 このところ調子が出ないという方、 気合いが足りないのではなく、気温のせいです。 さて、そんなこんなで、 心地よい秋を蹴散らし、 寒い
近所に「なつみかん公園」があります。 入り口に、立派な夏みかんの木が1本。 正面に、見事なサルスベリの木が数本。 電灯が1本。 年季の入ったすべり台と、 ぶらんこ。 先着2名で入るのためらってしまうような、 小さな公園。 昨日は、私ひとりの貸し切りだった。 猛暑の中、薄ピンクや白のチリチリの小さな花を、次々と咲かせるサルスベリ。 この夏、ぐったりした気分を慰められた人も、多いと思う。 そのサルスベリは今、美しい落葉の真っ盛り。 可愛い小さな実(の殻)もゲット♫
ゆるせる範囲が ゆずれる幅が ひろがっていく 自分に甘い ダメになっていく そう ほどけなかった いえ ほどかなかった 気がつかなかった景色が 見えていなかった世界が ひろがっていく ――― ゆるすこと… 他人(ひと)を 社会を 自分を 時間をかけて 少しずつ そのおくりものを 受け取れるようになっていく せばめていた何かを ひとつ ほどくとき ひとつ 自由になる 2024.11.16 満月に祈りを
本当の本当に してはいけないことは ごくわずかだと思う むやみに命を奪ってはいけない 軽々と殺してはいけない 殺す、死ねなどと言ってはいけない 本当に本当に 決まりきっていることも ごくわずかだと思う 命は、生まれて死んでいく 少なくとも、肉体としての命は、死から逃れられない 終わりがあるから、始まる ――― 一個体がずっと生きていられるのなら、世代を継ぐシステムなど要らない。 消えていく運命だからこそ のもの。 そのシステムは、種全体として成り立っている。
気象病というと、頭痛のイメージをお持ちの方が多いのかな。 私は、 肩の痛み、 車酔いの感じ、 お腹の調子が悪くなる、 アレルギー症状が出る、 過食しやすくなる、 手足の指がうずく (副鼻腔や鼻の反射区。「反射区」とは、臓器と呼応している末梢神経が集中している箇所。) など。 気象の変化で自律神経が乱れ、不調があらわれる。 鼻の症状が、天気痛のタイミングに重なっていることに、数年前に気がついた。 腸内環境が悪くなることで、アレルギー症状が出るみたい。 喉がおかしくなる
その瞬間の“本当” 明日になったら 違うかもしれない でも その瞬間に 確かに存在する“本当” 私だけの“本当” あなたからみたら 違うかもしれない でも 私の中に 確かに存在する“本当” 今の“本当”を 生きてゆく 2024.11.3 / 11.8
共感力とよくいう 共感ってなんだろう 共に感じるというのは 同じ感覚になるのとは異なる 共に感じたいんだという 心の動きだろうか 分かりたいと思う強さ 相手が今 感じているだろう気持ちを想像し 自分が体験したことのある心の記憶の中で 最も近いと判断したものを 瞬時に引っ張り出す… 私は 映像などの中で人が泣いていると まず泣いてしまう でも 目の前にいる人の気持ちが 分からなくて 戸惑うことも 度々ある 分かろう、分かりたいという思いが 私たちの心を通わしてゆ
10年ぶりくらいに、38℃近い熱が出た。 その間、寝込むほどの風邪や、その他のウイルス感染をしてこなかった。 (他の理由で一日寝込むことはよくある。) いつもゾクゾク寒いし痛いし、 気圧の度に関節も痛むし、 鼻も詰まるから、 すぐ風邪だと分からなかった。(笑ってしまうが大問題だ。) 冷えが原因だろう線維筋痛症なので、寒気で目が覚めるのは日常の範囲となってしまっている。 いくら何でもこのゾクゾクはまずいのでは、と熱をはかったら37.9℃。 普段35℃台なので、だるいはずだ
昨日、市の音楽祭で、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の中のナンバーを歌いました。 練習通りとはいきませんでしたが、よかったです。 ミュージカルに出るのは、はじめて。 こんなに歌いこんだのも、 舞台メイクをしたのも、 はじめてでした。 メイクは全部していただきました。付けまつげもはじめてで…。 〜〜〜 靴は、貸していただきました。 わざわざ中敷きを入れて持ってきてくださり、 サイズもぴったりでした。 私は靴選びが(も)結構難しく、本当に助かりました。 サイズ
11月2日は特別な日です。 祖父の誕生日で、 7歳の七五三の日で、 14歳の入院日で、 明日は、 ミュージカルに出ます。 夢がひとつ叶います。 明日でいい記念日に変わる はず。 朝一で、おじいちゃんにお線香あげなくちゃっ。 踊りませんが、歌います。 市の音楽祭の中の一枠なので10分ですが、今週は緊張しています。 今朝、神社に行ってきました。 “なりきる”とは、きっと 自然なひとつの流れ。 声と言葉と身体(と音楽)が、ともに在ること。 ひとつを置いてきぼりしたり
「生きづらさ」という言葉は、私は日常では使わない。 誰もが持っていると思うので、持病のある私が使いたくないというのが大きな理由。 弱くデリケートな部分は、 恥ずかしいと思わなくてよい と分かっていても、 さらすことには抵抗がある。 「生きづらさ」とは、そういうものだと感じている。 見せないままでもいい。 そもそも、生きづらさのある側に、 その部分をオープンにすることを求めるのは、違うのではないかな。 言いたくないなら、言わなくていい。 言えないことに、罪悪感を感じな
“このあたりで おしまいでいい” 今夜はふわっと そんな気持ちになっている。 最近、駅近くの用事が多かったからなぁ。 人混みは消耗する。 “このままもう 目覚めなくていい” 違和感なくふわっと そんな心持ちになっている。 今週は、体が痛かったからなぁ。 痛い は疲れる、めげる。 この文章を書いて1時間半後、 雨が降ってきた。 そうか。 私、単純だなぁ。 2024.10.25 気温差が大きい十月ですね。 皆さまくれぐれもご自愛ください。
2024年も、あと2ヶ月と少し。 残りの日々も…、いえ これからずっと、かな。 美しいものに多く触れたい。 身体が解(ほぐ)れるものの 傍に居ようと思う。 今年、新しく刻み直したことを記したい。 実感を伴い、心に落ちたから。 「苦しみと喜びは共存できる」と。 良くなったら、やりたいことができる。 克服できたら、楽しめる。 そんなふうに、私は自分に 条件を課してきたのかもしれない。 自分に厳しいからではなく、 「きっとできるときがくる」 と今の自分自身から逃げてき