誰かを変えたいと思うとき
うちの母も姉も、物がたくさんあって損してることが多いけど、わたしはそれについて何も触れないことにしてる。
すでに家にあるはずの物が見つからなくて、また買ってきたり、野菜を買ったのを忘れて腐らせたり、必要な書類が見つからなくて、また市役所へもらいに行ったり、「物を減らせば解決すると思うんだけどなー」って思うことがよくある。
でも母も姉も、まだ使えるのに捨てるのはもったいないと言う。
野菜を腐らせたり、同じ物を二つ買ったり、書類をまた貰いに行ったり、それはもったいないと思わないのかな?って思うけど、それは母や姉の信じてることなので、わたしがいくら言葉で説明したって通じない。
わたしも彼女たちもイヤな思いをするだけなので、何も言わないほうがいい。
(でも以前は言ってたけど)
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相手に変わって欲しいと思うとき、言葉では相手は変わらない。
相手が「何だかうまくいかない」「何だかつらいし苦しい」っていう経験をたくさんして、「どうしてこんなに、上手くいかなくてつらいのだろう」って思って、自分でその原因を考え始めた時、初めてわたしの言葉が相手に通じる。
必要なのはまず、うまくいかなくてつらい苦しい、という経験すること。
それがないと、言葉は通じない。
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つらい経験や上手くいかない経験をして、本人が「変わりたい」って思うかどうか?
自分のことを変えられるのは、自分しかいないって思うかどうか?
すべてはその人が決めることだ。
そういう意味では、わたしが誰かを助けたり、変えたりすることは出来ない。