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流さずに忘れたくないこと


7月22日に高砂で開催した「流れ流されエレナとミネコさすらいの高砂流し」は楽しかった! だけで終わらない個人的な体感があり、それを記しておきたい。

7月3日にエレナさんのイベント用のイラストが描き上がり、晴れて情報オープンした翌日にまさかの転倒。転倒した時は捻挫くらいにしか思ってなかった。とは言えかなり腫れてたんで整形外科に行くと靭帯損傷しているという…。


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エレナさんと衣笠さんに現状を正直にお伝えしつつ、それでもやりたいという意思を伝えてみた。もちろんそれが逆に迷惑をかけたり、余計な心配をかけてしまうかも知れないことはわかってる。情報解禁した翌日に転倒してしまったことへの責任感もあるのはある。だけど何より私がやりたかった。転倒したことで予定していたライブに行けなくなったり、会う予定だった人に会えなくなったりしても、それは仕方がないとぜんぶ受け入れられたんだけど、「コレだけは譲れない!」という強い想いがあった。もともとはエレナさんの為の企画だから、私がそんなにムキにならなくてもいいんだとは思うけど、どうしてもやりたかった。

足の靭帯損傷の安静期間は3週間。立ちっぱなしになると足が痛むけど、歩いてトイレに行ったりお風呂に入ったりできる。外を歩く際は松葉杖を使えば足に負担はかからない。それは私の中ではできる確証になっていた。というよりも、理屈なんてどうでもいいからやりたい! だけなんだけども。

しかし普段の私なら、ギターを背負って譜面や譜面台等の荷物をすべてひとりで持つのに、それができない。私のギターケースはハードケースながらキャリングポーターを装着してるから松葉杖でも背負える。でも譜面台やら何やら入ってる重いバックを持ちながら松葉杖は無理があった。短距離なら何とかなるけど負担が大きい。リュックを前に抱えて歩くと足が見えないから危ないし怖い。

衣笠さんが「不謹慎かも知れないけどこの状況込みのイベントにして付き人を増員しよう!」と提案してくれたおかげで、私自身もこの人なら安心して任せられそうだと思う方に声をかけてみようと思えた。もちろん闇雲に声をかけるのではなく、イベントに興味を持ってくれそうとか、相手の都合も想像しながらも、自分のことなので人任せにせず自分でやろうと思って声をかけていった。

何人か声をかけた中で、1番可能性は低いけど、もしかしたらこの人なら大丈夫かも知れないと思う人に声をかけてみた。一度しかお会いしてないけど、その一度の親切さ加減が尋常ではなかったのと体格がいいので私の重い荷物にも耐えられると思ったから。

ちなみにギターはハードケースなので約8kgあり、譜面台やら何やら入れた荷物も5kgくらいはある。それを預けつつ、いざという時に何とかしてくれそうな付き人として引き受けてくださったのがジャンボさんだった。


ギターを背負うことで、むしろジャンボさんが長渕剛み溢れた流しみたいになってしまった集合写真

こちらから何も言わないのに送迎を申し出てくださり、荷物を持つだけでなく、人通りの多い場所では私の前を歩いて壁になり人にぶつからないようにサポートしてくれた。


映画のボディガードさながら!

そしてジャンボさんは、それをむしろ喜んで楽しんでくれている。ジャンボさんはずっと楽しんでた。お酒が飲めないらしく、「お酒が飲めないと入れないお店にたくさん入れて、すごくいい店も知れて、美味しい麻婆豆腐食べれた! それだけでも価値がある!」と笑っていた。自分が付き人をお願いした癖に、私はそんなジャンボさんを驚いて見ていた。

私は人にお願いをするのが苦手で、なるべく自分で!と背負い込みすぎてしんどくなって自滅したり、反動で依存的になりやすい。基本的に甘え下手なんだと思う。そして我慢してるけど、本当は甘えたい欲求が強い気がする。

今回はどうやったって自分ひとりではがんばれないし無理がある。それなのに頼むことが何か悪いなという罪悪感もあった。しかし嬉々として付き人という役割を果たして笑ってるジャンボさんを見ていたら、「そんな罪悪感なんていらないんだ。この人喜んでるし、むしろ安心してお願いしよう」と思えた。「悪いんじゃないか?」という遠慮はいらなくて、頼りにされることを喜んでくれる人がいるんだなと驚いて私の頑なな概念が崩れた。

もしかしたら今まで、本当は不安でも私がやらなきゃいけないんだから! と勝手に背負い込んでいただけで、周りからの手助けしたい気持ちを遮断していたのかも知れないな。そう感じたら、たくさんの感謝が溢れてきた。

流しのイベントの前に、当日よりよく歌えるようにギターとうたの教室necoのIsa先生にオンラインでレッスンを受けた。今まではギターが下手なコンプレックスがあったけど、今回は下手でもできる限りやろうという意気込みで取り組むと、めちゃくちゃ楽しい! 私も楽しいがIsa先生も楽しんでくれて、より楽しくなった。以前と比べて指摘されたことがよく理解できる。苦手だったメトロノームさえ味方に感じられた。Isa先生からもメトロノームからも応援されてるのをヒシヒシと感じた。

私が靭帯損傷しても松葉杖でもやる! と宣言したことでイベントを主催した衣笠さんには余計な責任も負わせてしまうだろうし、一緒に流しをするエレナさんにも心配をさせてしまうのも理解している。私がこんな状態で開催することに非難する人も居るかも知れない。それでも私の想いを汲んで楽しもうと言ってくれた。

普通に考えたら安静期間にやるなんて! となるところを開催してもらえて、応援してもらえて、ケアまでしてもらう。私にできることは、今ある全力を出し切って楽しみ、歌い切ること。それがこのご恩に対して私が応えられることだと信じて歌った。

あるもの全部だして歌い切りました

迷惑や余計な心配をかけてしまうかも知れないけど、思い切り自分のワガママを貫いてそのワガママの責任をとると腹を括ったからこそ、そんな私を応援してくれたりサポートしてくれたりケアしてくれた人たちの優しさを受け取ることができた。素直に感謝できた。頭ではなく、お腹の底から感謝できた。こんなに大切にしてもらえた自分のことをもっと大切にしようと思えた。

「転倒して靭帯損傷」と文字だけ見ると悪いことのように見えるけど、一見ネガティブに見える出来事の中にこそ、大事なことがたくさん詰まっていたり、自分の意識や認識を変えるチャンスが隠されているのかも知れない。すべて自分の捉え方次第なのかも知れない。

少し前まで私は「自分で責任を取る」というのが怖かった。子どもの頃に交通事故にあって、そこから家族が歪になった体験から、「私では責任が負えない。怖い。」という気持ちが強くなって、責任を取ることから逃げていた。だけども、ある人から「自分の世界に責任を持つというのは、自分の感情に責任を持つということなんだよ」と教えてもらって視界が開けた。

自分の感情から逃げないで、怖いとか悲しいとか、感じたくなくて逃げたくなるような気持ちこそ受け止めて感じ切ること。それならできる気がした。そうして出した答えが、今回の「靭帯損傷してるけどやり切る!」だった。私がどうしたってやりたい!というワガママを私がまず肯定した。そしてダメ元で自分の想いを伝えたら、受け入れてもらえて、さらに助けてくれる人まで現れた。歌い切っただけでなく、その背景も私にとっては感動的だった。

このことを忘れたくなかった。忘れない内にどうしても書きたかった。流さずに感じきって書けたことが本当に嬉しい。


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