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合わなくても理解する
何だかとても味わい深い出来事があったので記しておきたい。
9月19日に近所の市営住宅の集会所の集まりで歌を歌った。7月22日の「流れ流されエレナとみねこ さすらいの高砂流し」の練習で使った施設の方から「デイサービス等の介護サービスを利用する手前の方たちが外へ出る機会を作ったり認知症予防をする会があるから歌ってみない?」と声がかかったので。ハッキリしたお誘いではなかったけど、もっと歌っていきたいしお役に立てたら…という思いでやることに決め、与えられた45分に何を歌うかいろいろ考えた。
会に来られるのは70代〜80代とのこと。私の親世代の年齢やし、少し若いめの歌がいいかな?と考え、よくある高齢者のレクリエーションより若い選曲にした。例えば沢田研二の「時の過ぎゆくままに」は、もう50年前の歌になる。70代の人は20代。古くさい歌だと一気におじいちゃんおばあちゃんみたいな感じになるから、そうじゃなくて…と考え、こんな選曲にした。
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昔の曲は1曲が短いので、ストップウォッチで時間を測って45分の歌の構成をした。こんなにたくさんの曲数は初めてだなぁと我ながら思いながら、曲順を間違えないように人生で初めてセットリストを書いた。「喜んでもらえるだろうか?」と思いながら、当日に向けて練習をした。
会の当日、母も行くというので母の庭の水遣りやら何やらを待ってたら少し遅れてしまった。集合時間を過ぎてしまったので参加しに来た近所の方が母を迎えに来てくれた。
私の到着を確認してからラジオ体操があり、その後に紹介され、自己紹介してから歌った。
何曲か歌った後、突然進行しているスタッフのひとりが「昭和の歌って聞いてたけど、あなたの歌は新し過ぎる! コレではみんなで歌えない! 皆さん、そうですよね!」とみんなの前でそう言った。
そう言われて困ってる人もいれば、同じように思ってるんだろうなぁと感じる人も見受けられた。「70代〜80代と聞いていたので少し若い目の曲設定だったかもな?」と思いつつも、沢田研二の歌も50年前の歌だからまぁまぁ古いとは思うけれど、今日歌う予定じゃない歌の譜面は持って来て無いし…」と少し考え、その人がお茶を用意している間に「じゃあBGMみたいな気持ちで!」と言って歌った。
持っている譜面で用意していなかった古めの歌を何曲か歌う譲歩をしつつも、自分を信じて、自分が用意した歌をしっかり歌い、45分の持ち時間を歌い切った。
この出来事から思ったこと。人って「自分が思ってたものと違う!」ってなった時に、その期待値が高ければ高いほど怒りに変わるのかも知れないということと、自分が「こういうもんだ!」と思っていたことから外れていると、それを善悪で判断してしまいがちになるんじゃないか? ということ。
私に意見をぶつけた方を私はひたすら観察した。その人は認知予防の会に対する強い情熱があり、みんなに喜んでもらおうと気を配って人一倍努力してるんだろうなと感じた。
しかしその想いが強過ぎると、強制的になったり堅苦しくなったり押し付けがましくなる可能性もある。その人から見ると私は「遅刻した上に気持ちよさそうに自分の好きな歌ばっかり歌って! みんなが一緒に歌える歌を用意するもんやろ、普通! コレではみんなに示しがつかない!」という気持ちになったんじゃないかな。これは推測だけど。
確かに遅刻したりみんなが歌える歌ではなかったのだろう。だけど何も考えてなかった訳じゃない。人は頑張り過ぎていると、そういう他人の努力や見えない想いは伝わりにくくなる気がする。
何故そう思うのかと言うと、私自身が過去にそんなことをしてたなと思い当たるからだ。
自主企画のイベントをした時とか、職場のリーダーを任された時など、自分が責任を負う立場になった時は必死でガチガチになった。必要以上に自らいろいろ背負い込み、思い通りにいかなかったり予想外のことが起きると動揺して、「みんな勝手過ぎる! 私がどんなに苦労してやってるんかわからへんの!?」という報われない想いに溢れて荒れたメンヘラになった。
何ていうのかな、すごく不安だったんだと思う。自分に対する自己無価値感みたいなものもあり、「人に喜んでもらうには!?」と病的なくらい考えて、いっぱいいっぱいになった末に都合の良い人みたいになった。なのに思いやりがないとか人の気持ちを考えろとかも言われて最終的に怒りが爆発するような…何ていうか、ものすごいややこしくて取り扱いが難しい人になってしまっていた。
「人に喜んでもらいたい」って、一見美しいけれど、それがいきすぎると毒になる。自分が「喜んでやる」んではなく、人の「喜び」を「もらいたい」という人から奪うような感じになって、重くて楽しくなくなる。
歌の途中で疑問を投げかけたその人と感覚や感性は合わないけれど、その人が一生懸命なことは理解できた。人の気持ちがわからなくなるほど一生懸命なんだなぁと。自分にそんな体験があったからこそ、何かそう思った。
帰り際に何人かの方が「歌、よかったよ! 歌は分かるのだけど口に出して歌えないけどわかったよ」とか「若い人の歌声が聞けて嬉しかったよ」と言って帰られた方もいた。ひとりでも私の歌が届いていたなら本当によかった。
何が良いとか悪いとかは正直わからない。わからないけど私の精一杯はやったし、突然いろいろ言われても「そうなんだー」くらいでめげずに笑顔で歌い切った私を、私は誇りに思う。私は本当によくやったよ! と。
そんな訳で自分へのご褒美に、ずっと食べたかったBREADMANのピスタチオクリームパンを買った。
![](https://assets.st-note.com/img/1695478547353-LaWIQb62Dy.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1695479823515-IhK5jjEYoT.jpg?width=1200)
めちゃくちゃ美味しい!!!
人の笑顔を思い浮べ、良い材料で作られたパンは美味しいしエネルギー高い。このエネルギーの高さが私は重要だと感じてる。私もこんな風にエネルギー高めておこう! とパンを食べながら思った。
内心ショックを受けてない訳じゃない。多少はガッカリはした。だけど、エネルギー高い美味しいものを食べて、「仕方ないっしょ!」と笑いたいし、そういう私が好きだなぁと思う。それに、私は私の歌が好き! 役に立つかどうかなんて、もうどうだっていいや。すぐに理解できなくても、伝わる人には伝わるんだと信じて、これからも笑顔で歌っていこう。
力を抜いて脱力して、自然なご縁や流れを大切にしながらのんびりゆっくり歌っていこう。
何が起きても、誰に何を言われても、私は私の味方でいよう。
そして私が喜んで、気持ちよく歌えることを何より大切にしよう。
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