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少女漫画

2024.9.6

今から16年前のちょうど今頃、私は結婚式場のフロントで働き始めた。当時の私は八重山から神戸に帰って来て、手に職をつけたいと全身エステ? リンパマッサージ? みたいなものを学んでいて、サービスとしての接客を働きながら学ぼうとその式場の門を叩いた。

ものすごく華やかで素敵な場所。そんな結婚式場なんて、きっと20代の若くて可愛い女の子ばかりが働いていて、当時30代前半の地味な私では無理やろうと思いながらダメ元で求人に応募したら、まさかの面接即採用だった。嬉しかった。面接の後に直近で出勤できる日を決めて、嬉しさの余り、近くにある布引の滝まで出向き、更に山に登った。山に登ってる最中、突然履いてた革靴の靴底が劣化で取れた。面接の為に靴箱の奥から出した革靴。嬉しさのせいでおかしなテンションだった私は「だったら裸足で山に登ったるわい!」と裸足で山に登った。

当時、私には好きな人がいた。片想いだけど。その人がずっと恋人と同棲をしていて、その年の11月に結婚することも知っていた。いろいろ相談にのってもらっていた友人で、なかなか新しい仕事先が見つからない私の話を親身に聞いてくれていた。

「仕事先、決まったことを連絡しよう」

そんな軽い気持ちで連絡して、結婚式場で働くことになったと伝えた。話してる内に「あれ?」と思った。彼は秋に結婚する。私が今から働くのは結婚式場。「もしかして、結婚する会場って…」と尋ねると、あろうことか私が働くことになった式場だった。

採用されたけどやめようかと思った。私にその試練は耐えられるのだろうか。平常心で働くことができるのだろうか。あまりの出来事に困惑した。だけど、いろいろ面接に行ってもことごと不採用だった中、やっと採用されたのが私の望み以上の場所なのだ。「辞めるのはいつでもできる。働く前から投げ出さずに、すぐ辞めてもいいからひとまず出勤してみよう」そう思うことにした。

初出勤の日、従業員入り口で面接してくれた上司が待っていてくれて制服を渡してくれた。ロッカールームの鍵をもらい、制服に着替えてパンプスに履き替えた。上司が会場を案内しがてら館内にいるスタッフに紹介してくれた。上司について歩いていると、ある言葉が私の目に飛び込んできた。

「unhappyをhappyに」

この会場を経営している会社の企業理念だった。その言葉に強い衝撃を受けた。「これは私に向けられたメッセージに違いない」と思った。「今、私が置かれた状況はunhappy以外の何ものでもない。しかし、それを、ここで働くことでhappyに変えることができるかもしれない」そう信じてみようと思った。

西表島や石垣島の民宿では働いていたけど、高いサービスを求められる接客はしたことがない。それ以前の私は、接客はもちろん人前に出て人と関わる仕事は向いてないと思い込んでいた。そんな私はなかなかサービス業としての仕事が覚えられなかった。先輩スタッフから教えてもらった通りにやったつもりでもお客さんのリアクションはそれぞれ。同じことでも何かが違う。その違いが分からず、毎日のように落ち込んで帰った。「私はやっぱりこの仕事に向いてない」と気弱になりながら「どんなに落ち込んでも、どうせなら好きな人の結婚式を見届けてから辞めよう」と、いつの間にかその日を目標にしている私がいた。

前撮り写真の撮影日に持ち込みブーケがフロントに届き、私が新郎新婦の控室に持って行くことになった。私はちゃんと笑顔でブーケを渡せるだろうか。笑顔で渡せたな。そんな風にできたことを自分で褒めて励まし、でも帰り道で泣く、そんな日々を過ごし、その日はやってきた。

私は遅番だったから新郎新婦や親族、列席者の受け入れ時には居なかった。披露宴が始まる頃に出勤して披露宴のお開き後の荷物の受け渡し、ゲストや新郎新婦の送り出しにフロントスタッフとして立ち会う。新郎新婦が二次会会場を出る際に、新郎の弟が忘れて帰ったパチンコ雑誌を手渡して頭を下げた。その時、私は、他の新郎新婦を送り出す時と変わらないフラットな気持ちで頭を下げることができた。それが嬉しかった。私はこの試練を越えることができたんだという自信がついた。その日を境に、私は教えられたことよりも、自分が信じたサービスをお客様に提供できるようになれた。

何で突然そんな思い出話を書いてるのかというと、そんな思い出がある結婚式場で奇妙礼太郎さんのライブがあったので友達と行って来たのです。友達とは現地集合で、私は早く会場を訪れて、今も尚働いている当時の同僚と会ってその話をしたから。

私の中では、今の私につながるよかった出来事としてメモリーされている。それまでの私を超えて自信がついた出来事として。そう思ってたのだけど、昨日の奇妙さんのライブで聴いた「少女漫画」で何だか涙が出て、それから何だかすごく切なくなってしまい、家に帰ってからパスタ食べながらも泣いた。

泣きながらぐちゃぐちゃに混ぜたパスタ


何で涙が出るんだろうな。その人への恋慕の気持ちなんてとっくに無くなってるし、何ならその人のことも忘れてる。だけど出る、この涙は何なんだろう。

何となく、乗り越えることばかり考えて、ちゃんと悲しまなかった当時の私の悲しみや寂しさが、歌を聴いて触発された気がした。少女漫画だとしたら悲惨な話なのに。

少女漫画はお互いに好きなのにすれ違いながら最後に成就する。そういうもんだ。私の人生にはそんな少女漫画みたいなことなんてなかったのに。少女漫画や恋愛ドラマ、恋愛映画とは程遠いところにいるのに。そうか、本当は憧れてたんだなぁ。「でも、私では無理だな」と思って諦めていた自分を悲しむ涙なのかも知れないな。

爪切男さんの「クラスメイトの女子、全員好きでした」という本を読んだ。小学生の爪さんに、爪さんのお父さんが「おまえは、女の子と恋はできないだろう。子供のおまえには申し訳ないが、ウチは借金もあるし貧乏や。ワシに似てしまったから、顔もブサイクになるやろう。おまえは自分の顔と家柄で女を落とせる男じゃない。だから、ワシはおまえを強い男に育てる。男は見てくれじゃないぞ、たくましい心を持つ男に女は惚れるんや。でも、それはおまえが大人になってからの話や。若いうちは、全然モテへんやろうな」と残酷な現実を伝える。「恋ができない僕は、みんなが恋してるときにどうしたらいいの?」と尋ねた爪さんに、「女の子たちの顔や、話したこと、過ごした時間をずっと覚えとけ。それは、おまえが大きくなったら、ほんまに大切な宝物になる」と話したお父さんの言葉を信じて、本当に詳細に当時の女の子のこと、エピソードを覚えていて、それを書いた本だった。

サイン見て笑った

女子側目線としては、自分でも忘れてたような変のところ覚えられても…と思いつつ、こんな変なところを魅力として捉える男子がいたのかという驚きと、エピソードを綴る爪さんの言葉に優しさを感じて嬉しくなった。小学生の頃の私はクラスの男子の嫌いな女子3位(理由:デブでブスだから)に堂々ランキングされたことから、男性というものは小学校の当時男子から好かれていた女子や、10代や20代の頃に男性から人気があった女性みたいな人を愛する生き物なのだと思い込んでいた。なので、爪さんが綴る女の子たちのエピソードや爪さんの気持ちに何か救われるものがあった。

この本のトークショーで、爪さんに過去の私のエピソードを話して質問したら、想像と違うとんでもなく優しい言葉と共に「そういうことは、どんどん書いてほしい」と話してくれた。昨日会った当時の同僚からも「吉田さんの人生面白いから、書いて本にしなよ」と言われた。本になるかどうかはさておき、せっかく経験したいろんな出来事や感情をもっと書いてみたくなった。報われなかった思いや涙が、誰かの勇気につながるのかも知れないし。

ちなみに爪切男さんは先日ご結婚されたそうで、何だかとても嬉しかった。あんな優しい人は、しあわせにならないとあかん。私も、もっとしあわせに欲張りになってみよう。私がしあわせにする、私が主人公の少女漫画を私が描いてやる。


当時の私
昨日の私

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