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日日是好日(にちにちこれこうじつ)

若い友人から「吉田さん、これ好きなんじゃないかと思って」と一冊の本が手渡された。

「日日是好日」 森下典子 著

まだ知り合って間もないのだけど色々ピンとくるものがあり、かなり濃い話をする仲になった。私が以前「SHOGENさんの【今日、誰のために生きる?】をプレゼントしたいなと思ったらもう読んでたんだね!」と言ったことが嬉しかったそうで、何となく吉田さんはこれ好きなんじゃないかなぁと思ったと言って貸してくれた。

「映画化されてるからその映画観たいと思ってたんだー」と話すと、「映画を観るより先にこの本読んだ方がいいです。そうじゃないとシーンの意味がわからないところあるんで、本読んでからをオススメします!」と教えてくれた。

今日は休みで、目が覚めても寝床でゴロゴロしながらこの本を読み終えた。気の利いたことは何も言えないが、とてもいい本だった。それこそ心を込めて淹れた一杯のお茶のような本。

「大学時代に、自分の一生をかけられる何かを見つけたい」と思っていた大学生の頃からお茶を習い始めた主人公が、自主的ではなく茶道を習い始め、形や作法の細かさに驚き、その意味がわからないままに習い、時に行きたくないと思いながらも少しずつお茶の時間や、茶道が伝えているものを理解し、茶道を通して人生に必要なものや素晴らしさを感じ入っていくというお話。文字で説明するのは簡単だけど、この説明ではこの本の素晴らしさを伝えきれない。決してドラマチックではないし、手に汗握ることもなく、伏線回収や捻りがある訳ではない。ただ淡々とどこにでもいるようなひとりの女性が、お茶を通して気づけなかったことに気づいたり、ふとした時に大きな気づきを体験する。そんな話。でも、だからこそ、しみじみと感じ入るものがある。

私が好きだったのは第十章「このままでよい、ということ」。お茶の稽古に15歳の新人がやってきた話。最初はもちろん形や作法に戸惑うものの彼女の茶道への好奇心と才能が開花する姿を見てコンプレックスを感じ、主人公は習い始めて13年目で(自分の居場所はここじゃない)とやめる決心をする。そう決心してから転機があり、辿り着く着地点が清々しかった。

茶碗から顔を上げた時、私の細胞の間を緑の風がサーッと吹き抜けたような気持ち良さがあった。後味で、唾液までとろりと甘い。
(なんて幸せなんだろう)
お点前をしまいつけ(片づけること)、雪野さんが立ち上がって、障子戸を開けた。
すると、廊下の向うガラス戸越しに、底の抜けたような青空が見えた。高く高く吸い上げられてしまいそうな気がした。
(はーっ、気持ちいい)
その空に向かって、深呼吸と一緒に、自分をとき放した。
その時、自分の中で声がした。
「このままで、いいじゃないか」
(え?)
「いつやめても、かまわない。ただ、おいしいお茶を飲みにここに来る。これまでだって、ずっとそうだった。そのままで、いいじゃないか」
自分の中から聞こえるのに、空から降ってきたみたいだった。
「やめる」「やめない」なんて、どうでもいいのだ。それは、「イエス」か「ノー」か、とはちがう。ただ「やめるまで、やめないでいる」それでいいのだ。

新潮文庫「日日是好日」P184-P185より

それと第十四章の「成長を待つこと」もよかった。茶道の形のことばかりを細かく伝える先生に何故心の気づきの話をしないのか?と思っていた主人公の気づきの場面。

(先生は、なぜ言わないんだろう?)
その理由がわかった気がしたのは、あの六月の土曜日、どしゃぶりの雨の中で、「聴雨」の掛け軸を見た日だった。
私も、何も言えなかったのだ……。
言えばきっと、言葉の空振りになるのがわかる。思いや感情に、言葉が追いつかないのだ。
だから無言のまま、わが身と同じ大きさのたぎる思いを、ぐっと飲み込んで、座っているしかなかった。そして、出口のない内なる思いに、少し目頭が熱くなった。
「……」
その時、痛いほど思った。人の胸の内は、こんなにも外からは見えない。

新潮文庫「日日是好日」P224-P225より

私は単純で、わからなかったらすぐ「何で?」とか「どういう意味?」と聞く。すぐに答えを求めがちだ。そして、自分が思ったことや言いたいことをすごい速さでビシバシぶつけてしまうところがある。特に若い頃は「わからないから知りたい!」「わかるように教えてほしい!」と。自分で感じたり思いを巡らすことはせずに、人に求めるようにぶつけまくっていた。逆に人からどう思われるかを気にして何も聞けないでわかったようなふりをしてる時もあった。今思えばどちらにしても私という人間の幼稚さの現れでしかない。でも、それはその時の私の精一杯。やっと少しわからないことはわからないまま、距離を取りながら感じていようと思えるようになってきた。正解ばかりを求めて、失敗を恐れていた自分を知って初めてわかる領域だった。

そんな風に幼稚だった私が居たからこそ、時間をかけながら知ることができたし、この本の良さが理解できたとも言える。

どんな自分も、どんな日も、思う存分に味わえることが素晴らしい。

そんな清々しい読了感のまま、ゆっくり今日という休みの日を堪能した。

庭に生えてきた若くて柔らかいヨモギを摘み、小豆を煮て餡子を作り、安売りしていた白玉粉を使ってヨモギ団子を作って食べた。

庭に生えてるヨモギ
柔らかい芽から摘みました
今の季節は軽い塩茹ででアク抜きはOK
小豆を煮て
3割引きでした
ヨモギ団子の出来上がり!

夜は夜で母が買ってきていたタケノコを使い、鶏肉の挽肉にタケノコと椎茸の微塵切りを混ぜて練り肉団子を作り、淡路島の友人が天日干しして作ったワカメと、友人が丹波篠山のお土産でくれた生姜を効かせた若竹煮を作った。

美味しかった

寝巻きのまま本を読んで、ヨモギ団子を作って、夜は若竹煮を作っただけの1日でもあるけど、私にとっては今の私の身の回りにある豊かさでいっぱいの1日になった。

そう思えたのは「日日是好日」を読んだことや、最近の私の心を大切にする日々のおかげだろうな。

特別なことはない、そんな特別な1日。

日日是好日。

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