マインドフルネス瞑想が向かない人・やってはいけない人 3タイプを解説
小島美佳:今回は『マインドフルネス瞑想をやってはいけない人・向いていない人』という内容で松村さんと対談します。
はじめに松村さんがこのテーマを聞いたときにイメージされたのはどんな人でしたか?
松村憲:はい。基本的にマインドフルネスをやると、どんな人にも一定の効果が出ると思いますが、大まかに分けて
『自己流でやってすぐ効果が出る人』と、
『自己流でやるとやや危険・逆効果かも?という人』
の2つタイプがあると思っています。
この後者にあたる人たちが、ある種「マインドフルネスをやってはいけない人」だなと感じています。
さらに自己流で取り組むと逆効果になる可能性がある人々の中にも3つのタイプがあると考えます。以下それぞれ解説していきます。
1, メンタルに不安がある人
松村憲:一つ目には、メンタル系の課題を抱えている方や鬱病を患っている人たちが考えられます。
マインドフルネス瞑想がうつ症状と不安の改善に効果があるという研究結果はたくさんあるのですが、(例、日本における標準的なマインドフルネスプログラム 集団療法の追跡調査, T Takahashi et al, 2019)自己流の瞑想だけではなくて、通院しながら医師やカウンセラーなど専門家のサポートを受けながら行った方が良いと思います。
それは、鬱の人がマインドフルネスだけをやっていると逆に状態が悪化するという研究結果もあるからです (マインドフルネスの悪影響の研究については、『マインドフルネスの臨床評価:文献的考察』臨床評価, 2018にまとまっています) 。
鬱症状にも様々なタイプや傾向があり、特に自己否定や自責の念が強いタイプの方の場合、マインドフルネス瞑想が逆効果になる可能性があります。このようなタイプの方がマインドフルネス瞑想を行うと、自分自身の否定的な思考パターンに気づいて圧倒されてしまい、それが「自分はダメな人間だ」という自責の念を増幅させてしまうことがあります。
特に完璧主義から自己否定をしがちな方の場合は、瞑想中に「ちゃんとできていない自分」を強く意識してしまい、さらなる自己否定につながりやすいのです。
このように、瞑想によって自身の否定的な側面への気づきが深まることで、かえって症状が悪化するという悪循環に陥ってしまうケースがあることに注意が必要です。
2, 意欲が湧かずテンションが低いとき
二つめには、引きこもり傾向の人とかでしょうか。
鬱っぽい人と近いかもしれないですが、、、
瞑想には、自律神経・副交感神経と交感神経のバランスが整うなど良い作用もありますが、基本的に現代人が交感神経優位な傾向をリラックス側に働く副交感神経を活性化させるため、それに伴い代謝や活動量も落ちてきます。
ですから「意欲がわかないなぁ」とか「テンション低いなぁ」みたいな時やそういう傾向がある人が瞑想をすごく一生懸命やると、気分やテンションが下がりますます動けなくなる、ということはあり得ます。
それを瞑想だけで乗り切ろうとしても逆に乗り切れないので、認知行動療法や心理学など別の方法を試してみることをお勧めします。
3, ハイテンションをキープしたい人
三つめとしては、交感神経優位のテンションでやっているからこそクリエイティブなアイディアが出てきたり、次から次へと動いていくようなタイプの人は、あまり瞑想をし過ぎると逆にその良さが失われてしまう可能性もあります。
確かGoogleのクリエイターの方が、「ストレスが高いから瞑想をやったほうがいい」と言われて、瞑想を長く教え込まれて一生懸命やればやるほど具合が悪くなってきて、いつもの仕事のパフォーマンスも全く発揮できなくなってバランスを崩した、と言う話も聞いたことがあります。
だから「マインドフルネスは万人にいいですよー」と断言できない部分はあるし、これらの部分を見極めて、その人に合った方法をリードしてくれる人がいるかいないかでだいぶ変わってくると感じます。
はじめに自己流で既存のマインドフルネスプログラムや瞑想ガイドをやってみるのは全然良いのですが、より効果を得たい、瞑想を深めたいと考えた場合には、深い意味での瞑想プロセスの進み具合を見立てられたり、心理学も理解していたりする専門家の存在のあるなしは重要でしょう。
自分を変えたい時に瞑想以外にできることは?
小島美佳:今、松村さんのお話を聞きつつ、具体的にそのような方々を想像してみました。
まず、最初の2つの『鬱』と『引きこもり』な感じを持っている方が「自分の今の状態を少し変えたいな」と思ったときに具体的にできることとしては、
自分の状態を見る視点や認知を変化させることと、
とりあえず行動起こしてみるという行動面から入る、
の2つだと思いました。
例えば、過去に私が瞑想を取り入れたスピリチュアル的な方法、上でいうところの「認知」の部分にアプローチするようなやり方を探求していたとき、一つだけの方法にずっと精通するあまりに没入してしまい、その他のやり方を受け入れられず、出て来られなくなってしまっている人を結構見てきた気がします。以前の私自身もそうだったかもしれません。
行動することで気持ちが変わる
そんな時、ほんの一つの小さな行動を起こすことで激的な変化を起こすことは可能だと思うんです。
自分の認知のあり方が変わらない理由を、さらに『認知の領域で原因を探る』ことで不思議なループにはまってしまうんですよね。
松村憲:そうですね、あるあるですね。
小島美佳:『今の自分の見ている自分をまた観察する』みたいな。訳わかんないですよね(苦笑)。
それが鬱とか引きこもりの傾向がある方の場合には、『自分が悪い』という思考パターンに陥ってしまう可能性はありますね。
松村憲:そうですね。
瞑想の本来の良さっていうのは『自分が悪いと思っている自分がいる、ということにも客観的に気づく』っていうところまで行けることですが、自分を責める傾向の強い人の場合は自責の念への引力も強いと思うので、1人でそこから自力で抜けていくのはすごく難しいと思います。さらに深く奥を見ていってしまうというか。
小島美佳:そのストイックさがある故の苦しみとか、あえてそれを味わいに行ってしまうって言う感じですよね。
気づきとアクションのバランスをとる
松村憲:今回のテーマから少し外れてしまうかもしれませんが、今、美佳さんがおっしゃられた『認知と行動』が興味深かったです。
マインドフルネスが認知行動療法と出会って組み合わされ、第3世代認知行動療法と言われていますけれども、やはりこの二つはバランスが良いんだなって改めて思いました。
マインドフルネスをやっていくと認知の歪みにも気づきやすくなり「それに気づきましょう」といったアプローチと同時に、行動療法の部分でアクションを変えることが可能となります。もしコンクリートな具体的な事柄がある場合は、瞑想を一緒にやってみるのは相性がいいんだと思います。
これまでマインドフルネスのいろんな伝え方があることをお話してきましたけれども、そもそもルーツは仏教だから「やっぱりマインドフルネスは仏教です」って伝えてその修行ばかりしていくと、心理学の要素とかが欠落してしまいます。
最初にお話した鬱の人とかそういう傾向の人たちにとっては、なんか仏教系の修行だけだと辛くなるだろうなと感じがします。
◼︎ 瞑想にも意図をもってみる
小島美佳:瞑想って「目的があってするものでは無い」っていうのはもちろん分かるんですけど、現代の私たちにとっては、「こういう風になりたい」、今の自分の活動をより良くしたいとか、深めるとか、ちょっとしたそういった意図があるだけで何かしらのフレームができ、不思議ループみたいなものにも入りづらくなると感じます。
松村憲:そうですね、大事ですよね。
集中力が高い時はマインドフルな状態?
小島美佳:あと最後にあった、クリエイティブ系Googleの方が「瞑想をしてみたら逆にパフォーマンスが落ちた」というケースについて、もう少しお話してみたいと思います。
個人的にはとても興味深く、人生のステージでそういったステージがあるのか? それとも、ずっとそういった状態の人もいるのかもしれないですけれども…
のめり込んで何かをやっていて、自分とそのクリエイティブな活動そのものが融合してしまっている感覚になっている状態って、ある意味『時空を超越した今ここ』という状態に在るのかなと思いました。
ですから仮に、その状態が自然と日々できているならば、あえて何かを新しくやる必要もないのかなぁ、みたいなに思ったりもします。
松村憲:ほんとにそう思います!
小島美佳:それをどうやって言語化したらいいんだろうと考えていて、、、
松村憲:ちょっと小難しくなるかもしれないけれども僕の考えですと、瞑想やマインドフルネスのベースは『集中』と『ありのままの観察』って言うじゃないですか。
ただ、どこから入るかって言うと、僕も教えたりする中でやっぱり『集中』だなぁと感じています。
集中はある意味、「集中力」として元々持っている人もいる。
さらに集中力が培われていくと、力んで集中する必要はなくなり、一方で注意力が高まっていき、リラックスしつつ集中もしているみたいな。それが高まったのがゾーンの状態だと思うんです(参考:チクセントミハイ著『クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学』)。
そうした本来持っている集中力に、瞑想要素『ありのままの観察』が加わることで、観察力や注意力に自覚や知覚が伴って磨かれると思います。
日々の生活の中にも集中力と注意力が求められる現代
多分、今の時代って例えば働き方改革を1つをとってもそうですけれども、世の衰勢とか、我々が向かっている流れって、ある種無駄なく集中させようとする圧力がかかっている気がしています。
なにかにすごく注意を向けていって、その瞬間その瞬間にすごい集中して作業をしている人って、自ずとマインドフルネス瞑想で培われるものに近いトレーニングを日々行っているんじゃないかなと思うんですよね。
実際に瞑想をやっている人とは多少は違うのかもしれないけれど、脳の研究とかで比較してみたら面白いのでは?と思います。
『今ここ』に集中して、これこれをこうやってと注意力を磨ききった人って、気づいたらすごいクリエイティブになっていたり、すごい瞑想状態みたいになっていたりすると思うんですよ。
なぜなら『今ここ』にすごい強度で集中していることで、自分の仕事時間とか生活が回っているってことですよね。
深く内に入って内省する瞑想とは違うけれども、逆に言うとそういう日々の生活の中での集中そのものが瞑想になり得る。
だから例えば禅の悟りなんかも今ここで悟るために瞑想するわけじゃないし、ウィルバーが提唱している意識状態だと『コーザル』って言われるところだったり、僕の好きなチベット仏教でいうとゾクチェン(注:人間を含むあらゆる生きものの心性における本来の様態、またはあるがままで完成された姿のことを指す、Wikipediaより引用)って言ったりするんですけれども、そういう意識状態に近い気がしますね。
集中力を意識的に高める方法
小島美佳:そうですね、なるほど。
それを聞いていて思ったのは、すごい集中力のある状態を瞬時に作り出せることができている人たちって、ある時それができなくなってしまうことってあるのかしら?とちょっと気になりました。
松村憲:具体的に、どんな時にできなくなりそうですか?
小島美佳:ある種、彼らにとって「集中に入り込めるための外的な条件」のようなものが整っていないと、本来持っている集中を発揮できないような気もするっていうか。
松村憲:確かにそうですね。
小島美佳:それがなくなったときに、もしかすると内省的な瞑想みたいなものを始めるきっかけが始まったりするのかもしれないですね。
松村憲:そうですね、
それとか普段やっているすごいフロー的・瞑想的なステートは意識的にできるんだと知る、そういう感じですかね。
知らない間にできていたとしたら、そこに意識して入れるような条件を自分で整えてあげられるような工夫をすると良いと言う事ですね。
小島美佳:なるほど、ちょっと謎が解けました。(笑)
今回の対談はこれで終了です。