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難病を負って感じた健康体のありがたさ

今日は通院日。約6年前は病院のベッドの上にいた。

ゲストハウスをオープンしようと準備している中で、突然の高熱により急きょ入院することになったのだ。


最初に入院した病院では、薬を飲んで熱を下げ、翌日にまた39〜40度まで上がるという毎日を繰り返すばかりだった。

その期間は約1ヶ月続き、意識も朦朧としているので生きているだけだったという感覚でいる。

ただ、病院の食事が美味しくなかったのは覚えていて、残すことが多くて栄養も十分にはとれていなかっただろう。


高熱の原因は皮膚筋炎という膠原病の一種だった。

自分の免疫が肉体を攻撃してしまう病気で、皮膚と筋肉が大きくダメージを受けるものだ。

なんとか受け入れ先が決まって転院した次の病院で正式に診断が下り、治療が始まった。

しかしそれまでの1ヶ月に負ったダメージは大きく、生活レベルが著しく落ちていたのだ。


皮膚がボロボロなのは生活には支障ないものの、痒みや痛みがとてもストレスになる。

そして筋肉は10kg近く落ちてしまい、ベッドから身体を起こすことも出来ずに寝たきりになった。

そのためトイレに行きたくなったらナースコールを押し、車イスに乗せ換えてもらい、トイレまで押してもらうしかなかった。

入院から数ヶ月してようやく入れた風呂では、補助で看護師さんに一緒に入ってもらうという辱めも味わった。

また、間質性肺炎というものを併発し、自力での呼吸で賄いきれない酸素をチューブで供給している必要もあった。

だから僕は常に鎖につながれたような状態でもあったのだ。

強い薬を飲んでいたことも生活に影響しており、口腔内にカビが発生して声が出しづらくなったり、口内炎も常に5〜6個あって食事が命がけのような時もあった。


これらの期間は約3〜4ヶ月続いただろうか。

1ヶ月ごとに、「まだ退院難しいね」と延長される入院期間によって、精神的にも疲弊していた。

あの頃は肉体的にも精神的にもまともな生活を送れていなかったのだ。


そんな経験をしたものだから、五体満足で日常生活を送れることがものすごく尊いものに感じてしまう。

入院中は「外を歩きたい」とか「ラーメン食べたい」とか、今ではいつでも自分の意志でできるようなことを、手の届かない夢のようにすら感じていた。


僕はこの闘病生活を経て、ただ人間らしく生活することが有り難いものだという感覚を得ることができた。

だから何が起きても、生きていられたら全てを受け入れられるような気がする。

毎日ごはんを食べて、寝られる家があって、人に対し愛と尊敬を持って関われることが出来れば人は幸せなのだ。

僕は突然難病を負ってしまうことになったが、7ヶ月の闘病生活を経て、いま幸せに生きている。


いや、もうちょっと幸せになりたいかな。なんてな。




というわけで、明日も心穏やかな1日を。

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