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コンクール終わりに

コンクールに向けて決意を固めた時に書いたnoteを思い出しました。

コンクールが終わった今、もう一度読み返してみると、いろいろと思うところがあったので、ここにアーカイブを残しておこうと思います。

コンクールに出る?出ない?

まず、コンクールに出るか出ないかの段階から議論がスタートしました。誰がどのような意見を持っているのか具体的に知ることはできませんでしたが、1つの意見としてあったのが、「演奏会ばかりだと飽きる」という意見でした。

現在私が所属している大学の楽団の演奏会は、高校の時の演奏会に比べて、はるかにウエイトが重いと感じます。高校の時であれば、地域や学校のイベントなどのちょっとした機会でも演奏することが多く、完成度も”そこそこ”でした。しかし、大学の楽団の演奏会は、(入団してから3回しかやっていませんが)ある程度準備を入念に行って、「お客さんに音楽を提供する」という意識のもとで行うという雰囲気が強いです。コンクールの代わりに演奏会を行うと、かなり飽きますし、負担も大きいように思います。

「本気で楽しむ」は実現できたか??

結論から言えば、かなり高いレベルで実現できたと思います。ただ、一つ意外だったのは、コンクールが、自分の基礎を徹底的に洗い直す良い機会になったということです。1曲を深堀する楽しさももちろんありましたが、むしろそちらの楽しみの方が大きかったとさえ思えます。

5月中頃、1冊の教本を買いました。

既知の事項の再生産で大方終わってしまうような一般的な教本とは、一線を画すものでした。(これに関しては、夏休み中に考察記事を出そうと思います)

この本を読んで衝撃を受けた私は、すぐに自らのストロークを見直しました。それにより、スティックのコントロールの精度や、音色の幅、さらに、打楽器に向き合う際の考えも変化しました。中学1年生からの7年続いている私の打楽器キャリアは、転換期に突入していると言えます。かなり大げさな表現かもしれませんが、それくらい「新しい打楽器メソード」は、”新しい”ものでした。

そしてこれは、この本に出会ったのがコンクール時期だったことにより、経験できたことだと思います。私が所属する楽団では、それなりに演奏会に向けて準備を行うため、(いや、高校がぬるすぎただけか…)演奏会シーズンは基本的に曲の練習に追われています。そんな状況では、なかなか自分の基礎的なフォームや音色とじっくり向き合う時間がありません。なので、基礎を見直し、表現の幅を広げ、それによって曲の表現を追求する、というプロセスを踏むことができたのは、コンクール時期ならではの特権だったような気がします。(そもそも、十分に基礎と向き合えていない普段の練習スタイルが問題なのかもしれませんが)

まだまだ追求の余地は十分にありますが、新しい技術を身につけて、教本の表紙にもあるように「ストロークをシステム化」し、自分の表現の幅が広がっていくことは、とても面白いと思いました。

以前も述べましたが、コンクールにまつわる議論でよくありがちな「楽しむかガチか」というのは、決して二律背反ではありません。私は今回のコンクールでそれを確信しました。

下された審判

演奏が終わってすぐに、楽器を大学構内の練習場所に戻さなければならなかったため、ホール内で結果発表を聴くことはできませんでした。

高校2年生以来のコンクールはとても新鮮でしたが、あっけなく終わってしまった感じがしました。しかし、それは練習で手を抜いたということではなく、単にほかの団体の演奏を聴いていないことや、地元を離れての初めてのコンクールで、いつもと環境が違うことなどが原因だったような気がします。

楽器を片付けていると、だんだんと結果発表の時刻が近づいてきました。徐々に上がる心拍数を感じつつ、楽器を片付けたのを覚えています。

結果発表はライブ配信されていました。打楽器パートのメンバーで一人のスマホを取り囲み、じっと画面を見つめていました。

結果は、銀賞。

現実を突きつけられ、呆然としました。

なるほど、これが中高生と大学生の違いか、と。

反省点はあるが、後悔はない

審査員の先生方の講評はとても建設的なアドバイスが多く、勉強になるものばかりでした。読んでみると、やはり中高の部門との違いを突きつけられた気がします。こんな風に、専門家からアドバイスがもらえるのもコンクールの大きなメリットだと思います。開始が遅かっただけあって、力が及ばなかった部分はかなりあったようです。

でも、後悔はしていません。自分も、このバンドも、与えられた環境下で最大限を尽くしたと思います。

私の所属する楽団は、合奏が週2回、パート練習が週1回なので、多くとも週3回しか練習できません。楽器経験者であれば、毎日楽器に触れられないことがどれだけ厳しい状況か、ご理解いただけると思います。そんな中でも、私の所属楽団は、確実に成長してきました。

帰ってきた日常

中学校から6年間吹奏楽をやってきた私にとっては、コンクールは毎年恒例の行事であり、あって当たり前の存在でした。また、地区大会で金賞をとるのも、ほぼ当たり前になっており、それ以外は許されないとどこかで思っていました。しかし、新型コロナウイルスの影響で、また、初めて大人たちと競って、その当たり前はあっという間に崩れ落ちました。

ただ、これによって、何気ない日常がどれほど尊いものかがわかりました。そして、今年過ごしてきた何気ない日常を振り返った時、私は本当に幸せな気持ちになりました。

私はこの結果で満足してるわけではありません。ただ、何でもない普段の練習———毎日いつものように楽器を出して、基礎合奏して、ああでもないこうでもない言いながら練習して、終わったら「お疲れ様」って言って、くだらない話しながら帰る、たまに勃発するトラブルに対処しする———そんな日常が本当に幸せでした。

確かにコンクールで上位を目指すのは大切なことです。でも、それ以上に、何かを追求する楽しさ、たった2(or1)曲を時間をかけて丁寧に創り上げる喜びを実感できることの方が大切な気がします。

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