小南 湊音/konan minato
私の学生指揮者・吹奏楽に関する記事をまとめました
この生きにくさは何だろう。考えても言葉は浮かばない。なんだかよくわからないけど、なんとなく苦しい。 悩みを誰かに相談しよう、打ち明けよう。そう言われても、何を話せばいいかわからない。 盛んに叫ばれる、誰かに相談しよう、知らせよう。 どうしても拭いきれない、そうじゃない感。 言葉にならない虚無は、ずっと自分の心の奥深くにある。 いつも心にぽっかり穴が開いている。 自分の意見なんか言わない方がマシだ。間違いを指摘されるのは嫌だから。 自分の胸の内なんか打ち明けない方が
努力すれば夢は叶う! 自分の人生は自分で決めてこそ、幸せになれる! 本当にそうだろうか? 高校2年生、部活動でも人間関係でも問題を抱えるようになった。だんだんと精神を病んでいったし、成績も落ちた。 努力でどうにかなるものだったのだろうか。 高校3年生、受験勉強が本格化する中、とても当時の志望校に受かるような成績ではなく、親との摩擦が多くなった。秋ごろには、コロナによって家庭の経済事情も危うくなり、結局志望校を変えた。 努力でどうにかなるものだったのだろうか。 結局変え
学生指揮者に就任した大学1年生の時,こんな記事を書いた。これを書いた目的は,色々な方から意見を募り,指揮の学習の指針を得ることにあた。 大学4年生になった今,この時の自分に答える形で,指揮の勉強に必要なことを簡単にまとめようと思う。 前提前提として,これが必要だとか,これをやらなければいけないとか,学習指導要領のように,はっきりと学習のプロセスが明らかになってるわけではない。おそらく,演奏者とコミュニケーションを取り,合奏を進める中で,だんだんと自分のスタイルが確立されて
ここ数日調子が悪いので、自分の生い立ちを振りかえってnoteを書いてみようと思う。 小学校 そういえば学校に行きたくないイヤイヤ期があった気がする。小学2年生くらいだろうか。家から離れるのが寂しかった。でも多分2年生だけだった。 3年生からリコーダーを吹くようになって、すっかりハマった。栗コーダーカルテット(ピタゴラスイッチの曲とかを演奏してるグループ)の曲を耳コピしたりして遊んでた。6年生くらいまでずっとそんな感じだった。この経験は、中学校で吹奏楽部への入部のきっかけ
今年もコンクールが近づいてきた。 コンクールにどう向き合うかは色々と難しいし、吹奏楽人口の数だけ思想があると思うのだが、ここでは私なりの提案をしてみたいと思う。 お話と歌詞を付けた中学時代中学3年間のコンクールでやった曲は、どれも何らかのお話に基づいた曲だったので、曲の場面とお話の場面にかなり厳密な対応関係があった。ない場合もあったが、無理矢理お話を当てはめたこともあった。また、オリジナルの歌詞を付けたこともあった。明確には覚えていないが、多分コンクールや部活にちなんだ歌
学生指揮者3年目にして、ホルストの名曲「軍楽隊のための第一組曲」の指揮を担当する機会をいただいた。その際に調べたことや、合奏を通して思ったこと、独自の解釈などを、ここにアーカイブとして残しておく。 今回は、第三楽章「マーチ」について言及する。 全体外観速度の指示はTempo di Marcia。 マーチのテンポは時代や国ごとに異なるが、この場合は、現在の日本で演奏される場合よりもずっと遅いのではないかと思う。イモージェン・ホルストが指揮する一組のマーチはかなり遅い。120
学生指揮者3年目にして、ホルストの名曲「軍楽隊のための第一組曲」の指揮を担当する機会をいただいた。その際に調べたことや、合奏を通して思ったこと、独自の解釈などを、ここにアーカイブとして残しておく。 今回は、第二楽章「インテルメッツォ」について言及する。 全体外観ホルストの手稿譜の表紙に「各楽章は、同一のフレーズで構成されているため、この組曲は休みなしに通して演奏されることを望む」とある。 「同一のフレーズ」とはどういうことか。それは登場する主題をシャコンヌ主題と並べてみ
学生指揮者3年目にして、ホルストの名曲「軍楽隊のための第一組曲」の指揮を担当する機会をいただいた。その際に調べたことや、合奏を通して思ったこと、独自の解釈などを、ここにアーカイブとして残しておく。 今回は、第一楽章「シャコンヌ」について言及する。 全体外観第一楽章では「シャコンヌ」という古い形式を用いている。ホルストが一組を作曲した当時に研究していた、イギリスの作曲家「H.パーセル」の影響か。「シャコンヌ」とは、3拍子の舞曲であり、バスあるいは和声を基にした変奏のこと。「
学生指揮者3年目にして、ホルストの名曲「軍楽隊のための第一組曲」の指揮を担当する機会をいただいた。その際に調べたことや、合奏を通して思ったこと、独自の解釈などを、ここにアーカイブとして残しておく。 今回は、作曲の経緯や、管楽合奏の歴史、様々な楽譜の版について言及する。 作曲の経緯1909年作曲。作曲の経緯や初演についての記録はなく、詳細は不明。グスターヴ・ホルストの娘イモジェンは、父グスターヴの伝記を記しているが、そこにはこの曲についての記述がほとんどない。ホルスト自身は
最近、吹奏楽界隈の音楽の方向性と自分の音楽の方向性が乖離して悩みがちなので、ここに書き留めておきたい。 吹奏楽部の捉え方私は、吹奏楽部も含めた一般の吹奏楽団は、演奏を通して音楽に親しみ、演奏者個々人の音楽性を豊かにする場だと考えていた。したがって、演奏技術の向上だけが目的ではないし、それは、生涯にわたって音楽に親しむという大きな目標を達成するための、一つの手段に過ぎないと思っている。 過度な"綺麗さ"の要求いつから演奏会全体の完成度が技術的な尺度だけで評価されるようになっ
※コンクール前夜に書いた文章を後日投稿しています 明日はいよいよ吹奏楽コンクール. 恐らく,これが生徒や学生として出る最後のコンクールとなるだろう. 前日の自分が,今日までのことをどう見ているのか,残しておきたい. 選曲のことひとまず,今年度のコンクールに至るまでの道のりを書く. コンクール曲は,確か去年のうちに決まっていた気がする.最大の論点となったのは,団員の「やりたい」を優先するか,コンクールで演奏するにあたっての効果(楽曲自体がどれだけ優れているか,楽団のサ
指揮者になってからというもの,演奏会やコンクールの選曲に携わることが多くなり,色々な曲に触れてきた.また,大学に入ってから,それ以外でも多くの楽曲に触れる機会があった.そんな中で,多くの推せる曲に出会ってきた.今回は,私の感性にビビットきた曲たちを紹介していきたい. 解説は,その気になれば書き足していくつもりである. G.ホルスト編吹奏楽のための第一組曲/First Suite for Military Band "Concert Band"ではなく"Military
今年もコンクールの時期が近付いてきた。私が書いたnoteを見返していると、去年のこの時期に書いたnoteとコンクール終わりに書いたnoteが出てきた。 コンクールを目指す姿勢は、基本去年から変わらない。しかし、去年書いた記事にいくらか追加したいことが出てきたので、今年も懲りずにコンクールへの決意を語ろうと思う。 コンクールを「楽しむ」ことについてまず、なぜ「楽しむ」ことと「高みを目指す」ことが二律背反になるのかについて考える。 受験でもスポーツでもそうだが、練習(勉強)
最近、2か月弱の短期雇用のバイトの契約期間が終了した。気持ちが冷めないうちに思ったことを書いておこうと思う。 好きだったお店の従業員に今回のバイトは接客業だった。主な仕事内容としては、品出し、レジ打ち、商品の場所を聞かれたときの案内など。入ったきっかけは、単にそのお店が好きだからという単純なものだった。 入ってからというもの、仕事を覚えるのにはなかなか苦労した。特にレジ打ちはかなり苦労した。研修などのご丁寧なものはない。初日から現場のレジに入る。 最初は実際にレジ打ちを
この記事を最後に全然記事の執筆をしておらず、気づいたら定期演奏会が終わっていたので、近況報告に記事を書こうと思います。 勉強について夏休みにやろうと目論んだことは色々ありましたが、結局吹奏楽に明け暮れて終わりました。特に、解析力学の勉強が全然進まなかったので、2学期の授業が始まる前に慌てて再開したものの、すぐ授業のペースに追いつかれました。 1学期から変わらず続けたものと言えば、線型代数のゼミです。これは、基本的に夏休み中も週1回集まってやっていました。ただし、メンバーの
コンクールに向けて決意を固めた時に書いたnoteを思い出しました。 コンクールが終わった今、もう一度読み返してみると、いろいろと思うところがあったので、ここにアーカイブを残しておこうと思います。 コンクールに出る?出ない?まず、コンクールに出るか出ないかの段階から議論がスタートしました。誰がどのような意見を持っているのか具体的に知ることはできませんでしたが、1つの意見としてあったのが、「演奏会ばかりだと飽きる」という意見でした。 現在私が所属している大学の楽団の演奏会は