“資格の国試” と ソーシャルワーク ーー“ミクロ・メゾ・マクロ” のコンセプト
ソーシャルワークには、“ミクロ・メゾ・マクロ“ という概念があります。三つまとめて一言で表現する言葉は、探してはみたものの見つかりませんでした。
けど、福祉系大学や社福士の国家試験などを目指している方なら、「ソーシャルワークの基盤と専門職」や「ソーシャルワークの理論と方法」といった科目で耳にしたことがあるかと思います。
社会福祉士養成課程では、ミクロは「対人援助、相談」、メゾは「地域活動」、マクロは「政策提言や社会活動」と理解しておいて問題ないと思います。
もしかしたら、むしろ、国試に受かることを第一に置くなら、それ以上の余計なことは考えない方が良いのかもしれません。
僕自身の体験の話でも、実習指導でついてくれた先輩に「俺、今、国試受けたら受からんかもしれん。実際に仕事してたら、いろんな場面に会うから、試験の解答どおりにはいかんのよな。。」という話を聞かされてました。今の自身は相談職でないですが、児童指導員の仕事をしていても、僕もたしかにそう思います。
だけど、知識として得た情報と、現場で感じること、そのギャップについて振り返り、それなら自分はどうするのか。そのギャップに向き合い、ギャップから学ぶ姿勢こそが、ソーシャルワークに必要な姿勢、と僕は考えます。
どうせソーシャルワークを学ぶなら、国試に受かるだけでなく、そこにある学びに目を向けて欲しいなと(偉そうに言える立場じゃないのですが😅)。
このnoteは、そういうつもりで、敢えて書いているものです。僕の個人的な見解も多分に入っています。そこのところをご承知いただき、お読みいただけたら嬉しいです🙇
(#最近の学び” とするには、かなり前に勉強したことですが、最近振り返ったこととして、言葉にしてみたいと思います。)
カリキュラムでの“ミクロ・メゾ・マクロ“
ー 科目「ソーシャルワークの基盤と専門職」
この科目は、“ソーシャルワーカー“ が、どのように社会で役割を果たすことが求められているか、いかなる仕事であるかを学習するものになっています。
ただ、僕は性格が捻くれているのか、養成課程のころは、「社会福祉士"資格” は有用で、様々な広い分野で活躍できる!」というのをアピってるだけのように思っていました。正直なところ。
教科テキストも、
という文脈で読んでいました。
まあ、たぶん、この読み方でも「間違い」ではない気はします。実際、この文脈を抑えておくこととで、国試問題の選択肢もどれを選ぶべきか、けっこう見えてきてはいました。
ただ、今は、別の文脈で読むこともできるのかもしれないと考えています。
ー 科目「ソーシャルワークの理論と方法」
また、“理論と方法” に関する科目でも、“ミクロ・メゾ・マクロ” という概念が出てきます。
こちらの科目では、“システム理論”や“生態学理論”といったものから、“バイオ・サイコ・ソーシャルモデル” と、ソーシャルワークが取り入れていった心理学分野などの考え方が紹介され、その中で、“ミクロ・メゾ・マクロ” の概念に触れていくことになります。
“システム理論”や“生態学理論”は、(かなり)ざっくり言うと、
「目の前の問題は、本人や直接の人間関係だけでなく、他の人間関係や社会の問題、社会環境からも影響を受けている(本人の事だけを解決しようとしてもダメ)」
といった考え方といえると思います。
始祖的ポジションのメアリー・リッチモンドやバイスティックが「ケースワーク」を名乗っていたのに、いま、「ソーシャルワーク」と呼ぶ、その根っこの想いを“理論”として裏打ちするものです。
“バイオ・サイコ・ソーシャルモデル” は、(正直、こんなの習ったっけ?だったんですが😅)、
「人間は、生物(医療)・心理・社会のそれぞれの側面が関係しあって成り立っており、支援する人もそれぞれの側面で専門家がいるが、一つの側面でなく各専門家が協力していかないといけない」
という、“多職種連携”というのを支えるもののようです。(blue_horizon ,2022)
僕は、まずこの科目の方で、意味や意義をしっかり抑えておく方が良い思っています。個人的な科目の好き嫌いが影響してる気がしなくもないですが。
というのは、“ミクロ・メゾ・マクロ”というコンセプトも、人や社会と関わるうえで必要だからこそ、ソーシャルワークで必要になる視点の持ち方であり考え方だからと思えるからです。
人と関わるうえで、目の前にある“問題”とされることだけに気持ちがいついてしまうと、それを解決したつもりでも、他から別の問題が浮かび上がってくるということがあります。
大きく社会の問題を考える場合でも、その社会の中の個々の人をしっかりみていないと、迷走したり、自分の意見を通すためだけのゲームにハマってしまったりということがあります。
そういった事態に陥らないように、必要となる視点です。
決して、“専門職” だから、広く活躍の期待されている資格者だから、広い視野を持たなくてはいけない、のではないのです。
AI(ChatGPT)に国試を解いてもらった
ー AIの誤答と“試験の限界”
ところで、の話になりますが。
チームfukufuku21 さん という方(方々?)のブログで、科目と国家試験を解説してくれているものがあったので、覗いてみると、過去問の解説もしてくれていました。
僕自身が科目と国試のことを思い出すのに、読ませてもらっていたのですが、ふと今話題のAIにこの過去問を解いてみてもらったらどうなるのだろう?と思いました。
その結果が次のものになります。(※無料版(GTP3.5)のものです。あと、この過去問が「社会福祉士資格試験の過去問」であるということは、入力していませんでした。設問部分の「その解説をお願いします」は、僕が足しました。)
AIの解答は、「エクソ」でした。
チームfukufuku21 さんの解説では、「エクソとクロノは、五択問題にするための“オマケ”」という形でされています。
当然、AIの解答は、国試としては誤答となるのですが、全くの間違いとも言い切れないような気がします。
実のところ、ソーシャルワークに影響を与えた生態学・システム理論には、エクソもクロノも出てくる概念なのです。そこでは、“エクソ”は「本人とは直接関わりはないけど、知り合いなどを介して、間接的に影響を受ける社会(システム)」とされています(デルタプラス,2021)。
(まあ、交流がなく孤独だという相談で、直接関わらないものとして地域にアプローチするのは、ちょっと疑問ですが。)
ようは、資格の試験範囲に限っていえば、ミクロ・メゾ・マクロという「表現」が使われることが多い(エクソ・クロノは使われない)。
そして、『国試』というのは、そういうもの。ということです。試験範囲を区切らなければ、五択問題のテストで、公平に合否を決めることはできません。
もとより、資格の取得と、ソーシャルワーカーとして貢献できるようになるのは、必ずしもイコールではありません。むしろ、資格取得は、スモールステップやマイルストーンいったものであり、“まず最初”の目標のようなものなのだと思います。
(ちなみに、法律系資格と違い、“社会福祉士”などは資格を取らなくてもソーシャルワークの価値や倫理を持って活動することはできます。もっとも“就職”という意味では必要になることもありますが。)
ー 試験問題にない大事なこと、“連続体であること”
また、ここから見えてくることは、正答か誤答かというのは、試験としては重要だけど、その先で考えないといけない「意味」のようなものがあるということでもあると思います。
科目の振り返りで書いたこととも重なりますが、ソーシャルワークに関する論文を読んでいると、
と語られます。
つまり、「いま向き合っているシゴトが、どの領域に該当するか」は、たいした問題ではないのです(書いているうちに、なんか、国試にケンカ売ってるみたいになってきましたが😅)。
現実的には、過去問の「B社会福祉士」も、「Cさん」に相談を受けておきながら、ほったらかしで地域に聞き取りに行ったわけではないでしょう。なんなら、あえて聞き取りをグループインタビューで行い、Cさんと他の人が繋がる機会を設けたり、伝手さえあれば、「町内会」だけでなく、自治体や広域の国際交流団体にも報告をつなげることも考えるでしょう。
ミクロ・メゾ・マクロと表現されるものの理念的なことを言えば、個人の相談をきっかけにしても、個人の問題だけと見るのではなく、周囲や社会にも目を向けてみる。その姿勢が大事、ということなのではないかと思います。
国試に合格するだけでなく、その先のシゴトを考えるなら、内容を覚えるだけでなく、「何故それが知識として教えられているのか」にも思いを巡らせる必要があるのではないでしょうか。
(ちなみに、介護や保育の分野では、メゾは「(施設内などでの)グループワーク」、マクロが「地域・社会活動」とされていることもあります。ここでも大切なのは、区分することでなく、“その人のため” であっても、直接その人に接するだけが、“ケア” ではないよ。というこのなのかもしれません。)
どの領域が重要?、、、ではなく
ひとまず、養成課程・国家試験という枠を離れて、考えてみたいと思います。
ー 視点をどう置くかという技術(姿勢)
ソーシャルワークの技術的な面で、重要になるシゴトの過程に、「アセスメント」というものがあります。
まず第一には、“支援の計画” をちゃんと機能するものにするには、その人の強みや環境についてしっかり把握しないといけないよ、ということなんですが、個人的にはもう少し広く意義がある作業であり、技術なのだと思っています。
福祉の計画作成の場面だけでなく、「しっかり振り返った上で実行する、判断する」ということは、大事なことだと思います。よい例えではないかもしれませんが、「カウンセラーでなくても、人がコミュニケーションを取るときには、『聞く技術』って大切だよ」、というような。
ビジネスなどにおいては、「まず実行。やってから考える」が大事になることはあると思います。しかし、こと、困りごとを抱えた人や社会にあえて関わろうとするときには、振り返って考えることは、必要になる技術だと思います。
その「アセスメント」を行ううえで、必要になる視点の置き方の一つが、“ミクロ・メゾ・マクロ” です。
一つには、どうしても相談や対人援助と言われる場面では、その相手個人に視点が向きがちです。だって、目の前に困りごとを抱えたその人がいるのだから。
とはいえ、その相手だけじゃなく、他にも目を向けてみようと言っても難しいものです。「他にも」などと漠然としたものに、人間は注目したり、深く考えたりはできません。
そこで、アセスメントで本人の話を聞くときにも、「家族や知人は?」「地域(メゾ)は?」「行政や社会(マクロ)との関わりは?」と、なんとか具体的なポイントをたぐるように視点を動かすわけです。
そうやって地域や社会にも、本人の“強み”になるものや、“助け”になるものを探していくのです。
また、もう一つ。
「これは行政の問題だ!」などと思い至っても、一人のソーシャルワーカーにできることなんて限られています。
そのため、相手本人のメゾ・マクロだけでなく、自分の、話を聞く側のメゾ・マクロにも目を向ける必要があります。
言葉にしてしまえば、“連携” や“協働” ということなのですが、この国には、対人援助の仕事をしている人も、地域活動を展開している人も、政策提言を行なっている人もいます。
これは、単に、いろんなの領域で、広い分野で、それぞれ活動している人がいるということだけではないのかもしれません。
これは、さまざまな領域で活躍している人がいるというだけではなく、違う領域だけど“同じ想いを持って”動いている人がいる。ということなのではないかと思います。
それぞれの現場で活動する人達が、“ミクロ、メゾ、マクロは連続体であるということ(Hokuto Yokoyama,2017)“ を共有し、声を繋げていって、初めて“社会変革” というのは実現するのではないでしょうか。
ひょっとしたら、同じ想いを持つ人を広げるために、資格を取ることが推奨されたり、同じ言葉を(まずは知識として)勉強するのかもしれない。と、いま思いました。
ー “福祉” の分野だけでなく
先ほど、ソーシャルワークでの「振り返る技術」は、カウンセリングでの「聞く技術」のようなもの、といった意味のことを少し書きました。
これは、カウンセラーや心理職の方が、一般向けにコミュニケーション術についての書籍などを出されるのをみて、「ソーシャルワークでは、そういった技術ってあるかな?」と考えていて思い至ったものです。有り体に言って、ただの僕の持論です。
ただ、そう思う理由はあります。
福祉やソーシャルワークの分野ではなく、この「ミクロ・メゾ・マクロの視点」にとても似たことを言っている方がいます。
これは、山田ズーニーさんの書かれた「伝わる・揺さぶる!文章を書く」という本の一節です。
この本は、文章術であり、「自分の頭で考えるということ」を、ズーニーさんが文章を書く仕事の中で、そして、学生に小論文などの指導をしてきた経験から見つけたものに基づいて書かれたものです。
引用させていただいたのも、“7つの要件の思考法“の一つとして、“問いを立てるエリアを広げていく“ と表現されている一部です。(ちなみに、同じレッスンで、“クロノ” に相当することにも触れられています)
ソーシャルワークでも、福祉の分野の話でもありませんが、“ミクロ・メゾ・マクロ” と視点を動かしていく考え方には通じるものを感じます。
向き合うものが、困りごとを抱えた相談者でも、自分自身や、逆にひろく社会や世界であっても、深く考えようとする何かを見つけようとするその姿勢には違いはないのだと思います。
そして、ソーシャルワーカーが向き合うのも、相談者だけではありません。家族であったり、友人であったり、学校や職場の仲間であったり、自分自身であったり。専門職であってもなくとも、人と社会と関わって生きていく限り、人は人と向き合います。
だから、資格や生業のためだけでなく、生きていくための技術として、学ぶ意味を僕は感じるのです。
国試対策(?)と学びの提案
一応、いま養成課程を受けている人や、養成課程に入ることを検討している人向けに、書いているつもりnoteでした。けど、何だか文句をつけている傾向が強くなってきたので、少し「国試を通した学び方」の提案のようなものも書いておきたいと思います。
“メゾ”は「地域活動」、“マクロ”は「政策提言やアドボカシー」と覚えておくことも、間違えではないと思います。今のカリキュラムや国試は、“マクロ志向” だと思っておくのも良いと思います。そう踏まえておくと、けっこう「“適切なものを選びなさい“」のような問題は、何となくでも正答を当てれることは多いです。
(ちなみにマクロ志向というのは、「社会福祉士は、もっと国や社会に訴えていく“社会を変える仕事” を担っていかないといけない!」のようなことです。正確には、「それぞれの仕事や活動を“社会を変える仕事” に繋げることを考えよう」なのですが。)
ただ、人によるのかもしれませんが、「正答を覚えるだけの勉強」はつまらないと思います。正解・不正解、何点取れた、、、 だけをやっているとモチベーションを保てる人ばかりではない、のではないでしょうか。
そこで、一つ。「勉強方法」の提案です。
① (いきなり)過去問をやってみる
わからなくて大丈夫です。わからなかった、または間違えた問題について②へ
② 間違えたりした問題のテーマに関する書籍や論文を読む
書いてあることを記憶しようとまでしなくても良いです。なんちゃって速読ぐらいでOK。可能であれば、過去問や自分の考えと“違っているところ”に注目して読めればベスト。
③ ①と②を繰り返す
です。
これは実のところ、僕のオリジナルの方法というわけではありません。伊藤塾という法律系の資格塾で教えてもらった方法です。(たぶん、方法やアイデア自体に著作権とかはないはず、、、。)
ただ、メリットとしては、単に知識を覚えるだけでなく、試験問題の作成者、書籍の著者、自分の感覚の違いを感じることで、発見もあります。
記号や単語で記憶するのでなく、書籍などの記述の流れで関連情報にも結びつけて触れるので、定着もしやすいです。
慣れれば、書籍を読みながら「このテーマ、こんな問題が出そう」と試験問題の傾向のようなものもつかめてきます。
僕が、考えるのは好きだけど、単に記憶するのは嫌い、というタイプだから「性に合ってる」だけかもしれません。でも、「暗記は苦手」とちょっと心当たりのある方は、一度お試しあれ。という感じです。
ともあれ、このnoteでも、カリキュラムや国試の傾向、自身の考え、引用させていただいた人たちの考え、それぞれが含まれています。どれが正しいという話でなく、それらに触れて比べて、その上で自分はどうするかが大事だと思っているからです。また、その比べ考える中で定着するものも大いにあると思います。
その以上のようなつもりで、自分なりの“国試”との向き合い方を、いま関心のある「ミクロ・メゾ・マクロ」というテーマに絡めて考えてみました。
まとめ?
今実際に地域活動やソーシャルアクションという取り組みをしている人達は(僕の知っている範囲ではですが)、個人に関わるより社会を変えた方が“効率的”だとか、“もっと大きなことがやりたい” だとか、そんなことでやっているのではありません。
こんな言い方は失礼かもしれませんが、「ただ、視点を変えて見まわしたとき、まだ自分にやれることがあった。だからやっている」のだと感じます。
そして、何より。
ソーシャルワーカーの先人たちが、“ミクロ・メゾ・マクロ“といった考え方、その元になったシステム論や生態学理論に目を向けたのは、リッチモンドやバイスティックの時代から、“当事者” と呼ばれる立場の人たちと向き合うとき、「この人が苦しんでるのは、この人だけの問題か?この人が頑張れば済む問題か?」と感じ続けたからだと思います。
だいたいのソーシャルワーカーは、“自己責任” という言葉が嫌いです。僕も嫌いです。「自己責任だったらナンだ。お前のチームは、メンバーがミスしても、『そいつの練習不足だ。集中してないからだ』と、フォローもしないのか?そんなチームが勝てると思ってんのか?」とすら思います。
だけど、逆に「社会とだけ向き合っていれば良い」とも考えません。単に社会に影響を与えたいだけなら、有名になって政治家やインフルエンサーを目指す方が“効率的” じゃないかと思います(できるできないは別として)。
結局、“ソーシャルワーク” というものに関心を持つ、価値を感じるとという人は、人と関わるのが好きなのでしょう。“社会を変える” を目標にしてても、その結果だけを求めているのではなく、その途中で人と関わることそのものを求めているのではないでしょうか。
ソーシャルワークの養成課程では、書籍でも教科テキストでも、「理論」とか「実践モデル」とかいった、ちょっと小難しい言葉が並びます。だけど、それらを知識として覚えるだけでなく、どうしてその理論やモデルとかが選ばれたのか、その“想い” のようなものに目を向けてみるのも、学習のモチベーションになるんじゃないかなと思います。
ソーシャルワークでも、第三者を説得するためにエビデンスや理論は持とうとします。でも、やっぱり、人や社会と関わる、つながるということは、「想い」が先なんです。だと思います。
長々と語ってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇
参考文献
最後に
引用もさせていただいた横山さんが代表されているNPO法人Social Change Agency でお世話いただいているプラットフォームの紹介をさせてください。
オンライン上でソーシャルワーカーが集えるプラットフォームを、と設けられたもので、現在の実践者だけでなく、これからのソーシャルワーカーの方にも聞いてほしい、知ってほしい話がたくさん交わされています。
ソーシャルワークの専門職に就いている方だけでなく、直接その仕事ではなくても“協働“の想いのある方、学生の方も歓迎です。
僕も、他の方のnoteなどを見ていると、通信制大学などを利用してソーシャルワーカーを目指す人も多そうですし、一緒に学べる場にもして行ければと考えています。