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酒肴を巡り1──吾たるや斯く吾なるべし


両刀遣いなれば時に甘味をも含め旨しもの、あるいは料理を巡り語ろうか。


「みなもすなるnoteといふものをあもしてみむとてすなるなり」とばかりに始めるに当たっては、先ずApple Musicを巡り書きしたためようというのは当初よりめてはいたけれど、何とはなしに悪戯心から「酒と肴の女と僕と」なる副題を付したのは、折節「音楽」とは異なる「好きき」をも顧みんとて「遊び心」からとばかりに──とまれ酒も肴も女も大好物ではある(笑)。
 尤も本格的に綴り始める春先辺りよりこの方、胃の腑が聊かご機嫌斜めであるのに加え、地球の自転がせめて半分ほどゆるりとしていたなら、つまりは時間的制約から馴染みの店へと通ういとまも見出せず、あるいは馴染みの女とも(苦学生たる彼女とは身体の関係こそあれ、飽くまで恋人未満)、およそ半年ばかり遡ってはつい疎遠となり、また僅かに許されし時の多くも今や動画制作とその関連作業にばかり費やす始末なれば、さても副題は「どこへやら」たる趣きにて、結局のところ手を着けかね今日へと到るというのが実情である。
 ただいずれ、和田大貴さんの「カクテル」あるいは「お菓子」さらには「料理」を取り巻くnoteが記事を拝見し、驚破すわとばかりにそれらが話題なども折々交々こもごも触れようかしらと改めて思い立つについては、何は措いても和田さんへと感謝の念を憶えるばかり。そんなこんなで酒肴などはこの二年ほど写真へと収めたる(それ以前のものはクラウドなどへは上げておらず、筐体のクラッシュ等により全てお釈迦)それらを中心に、また聊か下世話のそしりたるやを免れぬなどと恐慌しつつ、なれど過去が女性遍歴(尚、筆者は半ば冗談にてプロフィールに恋人募集中と記載するが、されど募るも紛う方なき事実ではある)など「徒然なるままに」筆ならぬ指がまろびに任せてみようか(女と僕を巡っては、また別なるマガジンを設ける心算こころづもり)。

 さて僕と酒との邂逅はある意味「不幸なる」ものであったやもしれぬ。高校生の折に部活動(吹奏楽部)が合宿にて先輩の持ち込むそれをばっては味を占めたのであるが、これは露見もせずわば不幸中の幸いではあれど、しかしながらしっぺ返しというのは天の采配が如しであろうか。やはり高校生がとある初夏の日、偶々たまたま開かれし恩師抜きになる私的な中学同窓が集まりにのこのこと出掛けてやがて「酒席」へと到り⋯⋯調子に乗りてウィスキーなど鯨飲をしたる果てに「急性アルコール中毒」へと見舞われ昏倒をして挙句、救急搬送をされるという大失態を演じたのは誰あろう「僕自身」である。それにしても往時たるや、あるいは「牧歌的なる時代」がせるゆえであろうか、今日なれば大事へと発展しかねない醜態悪行ながら、問題としてクローズド・アップされるでもなく、また僕自身も一夜の入院こそ余儀なくされるも(当然親からは苦笑混じりにも叱責はされるも)、顚末はそれにて幕引きとなる。
 こうなればおそらくは「酒の怖さ」をば身を以て戒めんとて脳裏心奥へ刻むが穏当ではあれど、いやはや呆れた話ながら、どうやら僕の場合はそうはならなかったようである。

本邦のビールも、実に多種多彩を誇るに到りて久しい。


 確たる科学知見がある訳ではなけれど、巷間にあって酒の「強い弱い」は「隔世遺伝」なる与太話は往時から人が口のにてはやされはしていて(とは言え、遺伝子タイプたるNN型、ND型、DD型の種別はあり、これらは遺伝の結果であるを知る人も決して少なくはなかろう)、僕も二度三度とそんな話は耳にしていたが、思えば父方は措いて母方祖父母が左党上戸さとうじょうごである一方で両親はいずれも下戸であり、豈計らんや斯く与太話が真を穿ちたるゆえなるか醜態蛮行が怪我の功名か──爾来じらい、酒との付き合い方をもすっかりとわきまえ、帰結たるとて「酒好きなる」身を得る今日がある。いやさその後にあっても聊かなりとて酒にての失態は経験するも、精々のところ電車を乗り過ごし始発運行までの数時間「無聊ぶりょうかこつ」とか、二度ほど(いずれも景気停滞が本格化して人々がみゆとりを失う90年代後半)持ち去りという憂き目に遭い、最初のそれではタキシードと百ドル札二枚を含む四万円強を窃取されてしまい、二度目もやはり三万円強の現金入り財布と業務上枢要なる書類を失うという笑えない失策をすら経験すれど、幸いにもその程度で済むは運も良かれと今や笑い話が種ではある。しかもである。今日に到るも外呑みなどすればビール数種あるいはジョッキ二〜三杯は別腹にして、その後に五合、時に六合以上も日本酒を呑り平気の平左であり、晩酌にても然して変わらぬ酒を浴びても猶、明くる朝とて何ら差し支えも差し障りもなく、それどころか「毒抜き」とか「デトックス」とか「ファスト」などと称し、一週間、時にはそれ以上口にせずとも全く苦にならぬは、いやさそれこそ物怪もっけの幸いかしら⋯⋯要するところ酒に依存せずともつつがなく日々送るもかなうのであるから、にも不思議というより外あるまい。
 とどのつまり、非合法ではあれど十代後半より、僕と酒との長い付き合いは先述が通りに始まるのである。

(続く)

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