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願望実現のヒント。心が挫けそうな時ほど、自らを輝かせる。自己紹介⑤
願望実現のヒント
さて進みたい学校が見つかり、受験合格の為に必死に勉強しました。
もっとも高校時代に、学習に専念していればよかったのですが、(目的が決まらないと努力できないタイプ)怠ったツケが辻褄合わせで回ってきた様です。
それも中学時代にも必死で勉強し、折角入りたかった進学校に入れたというのに。部活動やアルバイトに明け暮れたことを、後悔しました。過去に戻り、未来の可能性の為に授業を真剣に受けたかった。
しかし、きっと自分が決めたどんな道にも必ず意味があり必然なので、後悔すべきではないし無駄な経験は1つもないのです。
きっと眼の前に置かれた課題を大切に取り組むだけで、良い方向に進むのです。
自分の心に決めた現在の状況が、実は元々決められていた‥のが真実なら、自由で楽になりませんか?
最初から決められているのは悲しいですが、自分でこれから決める事がもう決まっている、という意味です。
辻褄合わせのように必死に独学で受験勉強をするシーンは、傍から見たら短時間で願望実現の為に行動を起こし、頑張っていたと思います。
ただひたすら夢(自分の見たヴィジョン)を強く信じ、行動に移す。その状態のことを「頑張っている」と言うと思いますが、私には「頑張っている」意識はありませんでした。
必死で勉強をする=苦痛な出来事だと捉えた時、自分が創り出した現実だと当然ハッキリとわかりますよね。
裏を返せば、幸運な出来事=自分が創り出せるのは同じ方程式のはずです。
この方程式は、過去を変えなくても後から辻褄合わせができることを表しています。
ただただ、その願いを叶えられるか叶えられないか、到達できるかできないかの不安もなければ迷いもなく、真っ直ぐ歩くことができたら願望は実現するのです。
「神との対話①」の一説
神:信念だ。けし粒ほどの信念があれば、山を動かすことができる。わたしがあると言えばあることがわかるだろう。あなたが求めもしないうちに応えてあげるとわたしは言っている。あなたが選ぶこと、わたしの名で選ぶことはかなえてあげると、わたしはあなたがたずねるより前に、あらゆる方法で、あらゆる教師を通じて、言ってきた。
ニール:しかし、祈りがかなえられなかったというひとは、おおぜいいます。
神:どんな祈りでもかなえられる。祈りとは、これが現実ですと認めることだから。そして、どんな祈りも、どんな考えや思い、感情も、創造につながる。
祈りがかなえられないというときは、じつは、最も強く信じている思考や言葉、感情が作用している。
あなたが知っておかなければならない大切な秘密は、思考の陰にはつねにもうひとつの思考、「思考を支える思考」とでも言うべきものがあって、それが、思考をコントロ-ルしているということだ。
つまり、何かを求めたり、願ったりしたら、望んだことがかなう可能性は非常に小さい。なぜなら、「欲求を陰で支えている思考」というのは、「望みはかなっていない」という思いだから。そちらのほうが現実になるのだ。
支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いよりももっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信念、それだけだ。その信念をもっているひともいるが、非常に少ない。
神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、そもそも求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのではなく、望みがかなっていることをすなおに感謝するようになる。
神との対話という本は、24歳頃に出逢い、衝撃を受けて食い入るように読んでいました。不思議と時間を忘れるほど夢中になったのは、真実の言葉のエネルギーは強烈なので、きっと脳が過剰に反応したのです。
今までの人生で叶えられた願いは、確かに自然と「けし粒ほどの信念」を持てていた!と激しく共鳴を受けました。
決まっている未来がある/未来は決められる
話は「進路」に戻ります。晴れて入学試験に合格し、進学が決まりました。きっとそれも、この学校だとわかり通うと決めた地点で、その学校に通う未来は決まっていたと思います。
もちろんヴィジョンを信じず行動も起こさなければ、違う未来が待っていると思いますか?
ただ、他に歩む道が見つからないですよね。
そして叶えられるヴィジョンを信じないことは、不可能に近いのです。
心が信じられることしか私たちは考えられない
言い換えると、叶えられるヴィジョンは自然と心の底から強く信じられるのであれば確実に可能だということです。それは魂の願いだから。
無理をして強く信じようとする、あなたの意思は必要ありません。それはあなたの願いだから。
魂の願いは必ず叶えられる
魂のしたい事の自然な流れに身を任せると、幸運な人生を生きられる。反して、自分のしたいこと(自我)を優先すると、不幸な人生を生きることになる=魂の学びを与えられる。
(言葉に語弊があるかもしれませんが、自分が心の底からしたい事=魂のしたい事です)
自分が不幸せな現実を創り出す方程式の中にいると、当然願いは叶えられません。
※心が挫けそうな時こそ、魂は成長を遂げて自らを輝かせようとします。
「神秘の記憶」に秘められた魂の目的は、あなたの決めてきた運命、本来の自分を生かすことだからです。
生かされている
私たちは自分の人生を生きているようで、何か壮大な、目には見えない存在に生かされているに違いないのです。
人々は自分の人生を生きているようで、生かされている。命のパワーはきっと自分自身のものでなく、いただきものなのです。