【読書】1年364日働く化粧品店のおじいさんが元スパイだった話【天路の旅人】
沢木耕太郎「天路の旅人」。感想を勢いにまかせて書くぞ!
内容に触れますが、最初にどんな話か説明しても影響は少ないタイプの本です。
大きなくくりでいえば辺境を旅するノンフィクション。インド旅行ものとか、面白い作品が多いジャンルです。
作家の沢木耕太郎氏が、岩手で化粧品店を営む西川さんという人に話を聞く。
体格のいいおじいさんで、元旦にしか休まない。毎日カップヌードルとコンビニのおにぎりを食べて、一年364日、ほかにどれだけ割のいい仕事を持ちかけられても断って、時計の針のように生きる。
その人が実は若い頃スパイで、モンゴル人を偽って中国大陸にわたり、チベット、インドなどを旅していた。
寡黙な元スパイの西川さんは、取材中にほとんど過去を話さないまま亡くなってしまうんだけど、そのあとで大変なものが見つかる。
関係者の家から、捨てるように頼まれたけど、あまりの迫力に捨てきれなかった旅の記録、原稿用紙3200枚が発見されたのだ。
実物を見た沢木耕太郎は「たしかにこれは捨てられない」と驚く。
過去を語ろうとしなかった西川さんの青春時代。スパイとしての作戦よりも未知の国への好奇心で旅した、生き生きした冒険の記録。3200枚の人生。
スケールからいえば、この話だけを生涯自慢してもいいぐらいだ。旅のスケールと、休まない化粧品屋のおじいさんの人間像がつながらない。あの人格はどこで形成されたのか。
遺書ともいえる、山と積んだ原稿を整理して、勘違いは裏を取り修正し、補足をいれて読みやすい形にして、プロのルポ作家である沢木耕太郎が、このとき西川さんはこう思ってたんじゃないかと旅路を再現する。
最初はスパイとして海外に出たけど、世界への好奇心やラマ僧の教えに共感して、仲間たちといっしょに凍った土地を歩き、連れてた動物に逃げられたり、盗賊に狙われたりしながら巡礼の旅をする。
最後は日本に帰って長生きすることが分かっているから、寒さも飢えも西川さんの命を奪えないのは分かっている。なのに面白い。
聖地を目指すのにタバコの葉を密輸したり、病気の仲間を助けるいっぽうで無賃乗車のコツを学習したり、いまの倫理観が通じない。
区別の付かない人名や地名がつぎつぎ出てくるモンゴルの旅も、果てしない道を歩いている感じがある。
仲間たちとささえあって旅をしたのに、スパイだから最初に仮の名前と出身地を名乗っちゃってるから、命がけの旅をした忘れがたき仲間に、本当の名前すら言えないまま永遠の別れを告げる。
命を預ける覚悟で歩いてくれた仲間に、嘘をつき続けなければいけない。
インドにたどり着き、お釈迦様が悟りを開いた木とか、人生初の列車に僧侶たちが驚く場面とか、長い旅をしてきてありがたがられて人が集まってくる終盤は、読んでいると世界が広くなったように感じられる。爽快。息がしやすくなる。
家々をまわって施しで命をつなぎ、修行で苦しみの中に喜びを見出した人が、帰国して旅立つ前と別の国みたいになってるのを見てなにを思ったんだろう。バブル期なんか、目も耳もふさいでないと耐えられないんじゃないか。
タイトルは「天路の旅」でなく「旅人」。
過酷な旅そのものではなく、西川さんが主役。最期まで自分のことを語らなかった旅人が中国大陸に置いてきた思いを、書いて伝えるプロが引き継いで2022年の今かたちになった。存在自体が奇跡的で、これが手元にある満足感がすごい。
そして「ラーメン」じゃなくて「カップヌードルを一杯」、そこだけ商品名で忘れられない。
初めて食べたとき、そんなに美味しかったのかな。ペヤングとか変わり種の激辛とんがらし麺とかは口にしなかったのかな。