河内長野木戸町の謎 ~破片のように散らばっている町~
河内長野に半年以上住んでいると、それ以前より良く分かったことがあります。それは古くからの山里があって、山や雑木林があったのどかな場所。それに対して山などを切り開いて新興住宅地にした場所です。こう言う開発は南海や近鉄と言った関西の大手私鉄が、河内長野駅から乗り換えなしで、大阪市内の中心部に直結して便利なために、やむを得ないのでしょう。
そのため散歩していると、開発された新興住宅地のエリアと、それまであったであろう山里の雰囲気とのギャップを強く感じます。
ところが、それが地名にも影響していることが最近分かりました。
たとえば、寺ヶ池の西側に小山田町と言う場所がありますが、それをGoogleマップで検索すると次のようになります。
南北に長い町ですが、真ん中にドーナツの穴のようになっているところがありました。ここは荘園町(そうえんちょう)と言う新興住宅地。
元々は小山田町に属していた雑木林か何かだと考えられますが、住宅ができると別の地名として独立したみたいです。そのほか北東や南西も住宅地のようなので、独立したように見えますね。
これはあくまで個人的な想像ですが、もしかしたら古くからの住民と新しく引っ越ししてきた住民との間で、余計な摩擦を避けるために、町を分けているのかもしれません。(また機会があれば詳しく調査しましょう)
さて、こういうパターンが多い河内長野でも木戸町(きどちょう)を調べてみると、あまりにも衝撃的でした。木戸町をGoogle上で見ると次のようになります。
このように破片のように散らばっているのが分かりますね。寺ヶ池公園の一部なども含まれており、飛び地と言うより意図的にバラバラになってしまったような感じです。そして木戸町を調べると次のように書いていました。
町村制施行以前の市村新田の一部にあたる。現在の住所表記制定以前は木戸、木戸東町、木戸西町、千代田南町地区も含まれていたが、現在は河内長野市立千代田小学校や寺ヶ池などの5か所に飛び地として残っている。
(Wikipediaより引用)
ややこしいのは木戸町のほかに木戸(1~3丁目)、木戸東町、木戸西町と言うのがある点。郵便の配達の人はさぞかし混乱しそうです。
ちなみに市村新田というのを説明しましょう。元々この辺りは南河内郡千代田村でした。そして明治時代は 市新野村と言う名前で江戸時代は、市村、市村新田、向野村という3つの村に分かれていたのを合併したそうです。
また新田という呼び方も、従来の村と違って荒れ地のようなところを開墾してできた新興地。恐らく市村だったエリアから独立した? もしくは地名の存在しない場所とかそんな気がしています。(要調査ですね)
そしてこの6か所ある木戸町が、実際にはどういうところなのか?気になったので散歩してみることにしました。その様子はまた次回。
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