先日紹介しました長野神社は境内にいくつも大木がありました。
ところがすぐ近くを歩いていると、別の大木があります。それは吉年(よどし)邸のクスノキとありました。
高野街道に面したレトロな建物で、江戸時代からの豪商・吉年氏の建物の中にあります。これは吉年与右衛という人が1718年に鍋・釜・農具などの製造を開始したのが始まり。
吉年邸についての説明書きを見つけました。引用します。
街道に面した「表屋造」と「袖蔵」は、江戸時代の豪商の風格を残した構えです。享保17年(1732)以降、伊勢神戸藩の郷目付けと大庄屋を勤め、文化8年(1811) 上田村 田中家から鋳物師職を引き継ぎ、現在に至っています。
吉年邸の隣にあったものですが、これを見る限り、城の石垣のような雰囲気がありますが、実は個人の家のものだから驚きです。吉年邸に限らずこの辺りは本当に古くからの家が並んでいました。
ちなみに豪商・吉年氏の事業は、大阪で最も古い可鍛鋳鉄製の管継手メーカー「株式会社吉年」として、現在も河内長野市内に工場があります。
工場は昨年紹介した塚穴古墳の近くで、風の湯のすぐ隣にありました。風の湯に行くときに通りましたが、大きな工場だと思いつつ、夜で暗かったのでちょっと歩きづらかったのを覚えています。
そして昔ながらの白壁の蔵を囲う用に、生い茂っている大きな樹木がクスノキです。
詳しくは下に書いていますが昭和45(1970)年の時点での計測結果が書かれています。すでに半世紀前の話ですから現在はさらに成長しているのでしょう。
現在も市内にある工場の全身だった豪商の屋敷。それを見つめ続けていたクスノキ。いずれも歴史を感じますね。
ちなみに河内長野市の指定文化財に登録されています。