烏帽子形城跡 ~河内長野が誇る天然の山城跡~
日本全国に城がありますが、どちらかといえば石垣と天守閣がある近世のお城のほうが観光名所としてインパクトがあります。
しかし主に中世に天然の山を利用して作られた城。要塞のような山城も建物などが残っているケースこそほとんどありませんが、想像を豊かにしながら眺めると楽しいものです。
河内長野にある烏帽子形城跡もそんな山城のひとつ。実際に登ってきました。
城のあった烏帽子形山(えぼしがたやま)は、河内長野の町中にある標高182メートルの低山。北から西側にかけて石川が流れ、東側には高野街道と、天見川が流れています。石川のさらに北側には国道170号線のバイパスが東西に走っており、南に目を向ければ三日市町の住宅地が広がる場所になっています。
今回は河内長野駅から高野街道沿いに進み、途中北側にあった本現寺の横にある「さいなみ広場」から入りました。
公園とはいえ山なので、入り口からすぐ目の前に青々とした自然が広がっています。
公園内の山で見られる樹木とその特徴が書かれていた表示板です。撮影と反対側は住宅が並んでいるとは思えない雰囲気。落ち葉が積もるように落ちているのが印象的です。
いよいよ山の中に入って行きます。あとで調べると大手道とありました。ということは正面入り口でしょうか?
公園なので遊歩道がしっかりしているので迷うこともなく進めます。それでも普段散歩するところと違い、自然に囲まれた場所。気持ちよさも違います。
道しるべもあり、わかりやすいです。また山城があったことを意味する「堀切、土塁、横堀」というものがあるようです。
木の伝染病になる虫の駆除とのこと。これがあるので公園の緑が守られているということですね。
「堀切」とありました。自然に同化しているので、これがないとみ落としそうです。よく見ると人工的になっているようなところが、はっきりわかりました。
山道を上のほうに歩いていきます。
山の木々からうっすらと公園の外が見えます。忘れそうになりがちですが、周りは住宅地に囲まれていました。また今回は行けませんでしたが、この山には、城とは別に烏帽子形古墳があります。
頂上近くまで来ると「土塁」というところがあります。言われてみれば確かに人工的に盛り上がっているような形状。
ここを登り切れば頂上です。
頂上付近も盛り土のようになっているようです。
ちなみに烏帽子形城を築城したのは楠木正成。楠木七城のひとつ、上赤坂城の支城です。2012年と最近国の史跡に指定されました。
そんな烏帽子形城は頂上が曲輪になっていて、このような説明板がありました。城自体は中世の城ですが、瓦葺の礎石建物があります。近世の城に近いということが書かれていました。
(ということは建て直した?)
礎石の様子を再現したところが、こちらにあります。
ここに遭ったであろう建物からは、低い山ながらも展望が開けたところなので、敵からの見張りに最適だったのでしょうね。
城の説明を読むと、楠氏の後。応仁の乱がおきて戦国時代になると、畠山氏の城になったようです。当時の畠山氏は河内を含め機内と周辺に、多数の領地を所有。室町幕府の将軍の次の地位だった管領に着くほどの名家です。
畠山氏が没落した後は、甲斐庄正治(かいのしょうしまさはる)が入城。楠氏の末裔で、彼はキリシタン大名だったそうです。
そしてその子で旗本の正房が、1617年に廃城処分としました。
山頂にはこのほか石の灯篭と石碑がありました。
「左:天之常立之命(アメノトコタチノカミ)、右:美葦芽彦遅神(ウマシアシカビヒコヂ)」と書いていました。
左は天を神格化した神で、日本神話の天地開闢の際に一瞬だけ現れた神です。右は生命力を神格化した神で、左同様に天地開闢の際に一瞬だけ現れたとあります。
山城の頂上なので見晴らしがいいのが烏帽子形城の特徴。
ということで実際に山頂から眺めた様子がこれです。これは北側。石川より北に広がる河内長野の町が一望できます。
ここで気になるスポットをクローズアップしました。左側にうっすら映っている高層ビルがあべのハルカスではないかと推測。右側にある河内長野市役所はほぼ間違いないです。
烏帽子形城跡
住所: 大阪府河内長野市喜多町
アクセス:河内長野駅から徒歩25分