【マインドを整える】 ニュートラルに生きること
仏教に、「中道」という考え方がある。
これは、「両極端に偏らず、バランスを取る生き方」を意味する言葉だ。
仏教の教えと聞くと、難しく聞こえるかもしれないが、古くから伝わる教えの中には、人間の心と身体を健康に保ち、自分と周囲の人を幸せにするヒントが込められている。
日々生活をしていると、心が波立ったり、ストレスを受けてしまうもの。
そんなときに大切になってくるのが、しなやかな弾力を持った豊かな心(=ニュートラルな心)だ。
いつも変わらない安定感のある人を、私はとても魅力的に感じる。
話しかけやすし、一緒の空間を共有することがとても心地良い。
「ニュートラル」な生き方とは
ニュートラルに生きるというのは、安定を求めることや、感情を失うことではない。
喜怒哀楽は味わいながらも、さらりと流すことができる。
自然体で、飾らず、執着がない。
自分のキャパシティを知っていて、超えるものは爽やかに断る。
こんな生き方は、自分を楽にするだけでなく、周りの人にも良い影響を与える。
なぜなら、ニュートラルな人のそばにいると、「あなたも、そのままでいい」と自然に思わせてくれるから。
私は、ニュートラルな自分であるために、3つのことを心掛けている。
1つ目は、自分の機嫌は自分でとること
2つ目は、「好きなもの」だけにエネルギーを向けること
3つ目は、全てのことには意味があると信じること
忙しい毎日に、ついつい忘れてしまうことも多いから、自分への戒めの意味でも残しておこうと思う。
自分の機嫌は自分でとること
数年前、お笑い芸人のみやぞんさんが、過酷なロケの中で放った言葉。
彼は、インド北東部にある虹の滝を目指して、10日以上に渡るロケに挑んでいた。
辛い道のりの最後に立ちはだかる壁は、滝までの階段6000段。
体力も限界を迎え、誰もが平常心ではいられない状況にも関わらず、
「幸せだな。もっと上りたいな。まだまだ登れる幸せ。自分の機嫌は自分で取って、人に取ってもらおうとしない!ツイてるぞ!幸せだな!」
と自分を励ましながら、終始笑顔で階段をのぼる姿が印象的だった。
「自分の機嫌は自分で取って、人に取ってもらおうとしない」
このマインドは、ニュートラルな自分でいるための大きな軸になる。
そのためには、自分の機嫌が悪くなるポイントや、その回復方法を知っておくことがとても大切だ。
私の場合は、寝ることや一人になることで、随分と回復する。
仕事中に何か嫌なことがあったときは、手を洗うことが気持ちの切り替えになる。
自分の機嫌は自分しかとれないのと同じ様に、他の人の機嫌もまた、その人しかとれない。
これもまた、社会で生きていく上で大切な考え方だ。
「好きなもの」だけにエネルギーを向けること
私は、よく「カバンが小さい」と驚かれる。
中身は、財布・ハンカチ・携帯・リップ・ハンドクリームくらい。
財布の中も、お札・小銭・免許証・保険証だけで、ポイントカードの類は、一切持たない。
いろいろ考えるのが面倒くさいし、集めたりするのがあんまり好きじゃないズボラな性格だ。
ノベルティとかも、貰わない。
気に入らないものを貰っても、どうせ処分することになってもったいないから。
人間関係においても、広く浅くとか、狭く深くとかじゃなくて、「狭く普通」がちょうどいい。
自分が一緒にいて心地良い人と、たまに会うくらいが合っている。
SNSも、「好き」ではないから、しない。
ご飯を撮ったり、それを加工するのも、性に合ってなくて面倒臭い。
「好き」じゃないものは持たない。「好き」じゃない人とは付き合わない。「好き」じゃない風潮には乗らない。その代わり、「好き」には、全力でエネルギーと愛情を向ける。
変わり者と言われるかもしれないけど、私はこれでちょうどいい。
シンプルで、楽だ。
全てのことには意味があると信じること
生きているといろんなことがある。
想定していなかった出来事が起こることもあるし、
自分が望む環境でない場所で、過ごさなければいけない時間もある。
でも、私は、それぞれの出来事には絶対に意味があると信じている。
自分が気づかないことや新しい何かを教えてくれているはずで、そこから何を学べるかは、自分次第。
そう考えれば、一喜一憂しないで済むし、「この出来事は私に何を伝えようとしているんだろう」と、冷静になれる。
最後に...
私たちは今、膨大な情報に晒されている。
そして社会は、個のキャパシティや価値観を超えて、色々なことを要求してくる。
予測していなかった事態が次々と起こる。
感情は揺さぶられて当然だし、受けるストレスの量も半端ではないだろう。
こんな時代だからこそ、自分の感情をうまくコントロールして、軸を保つことが大切だ。
自分に優しく、人にも優しい人間でありたい。
そんな人が増えると良い。
そして、世界が誰にとっても生きやすい場所になって欲しい。