うたの国 日本
明治維新後、外国から日本にやってきた西洋人は
日本の子どもが大人たちからとても大切にされ、
幸せそうであることに驚いたようです。
その一人、明治初頭に3度にわたって来日した米国人
エドワード・モースの著書『Japan Day by Day』によると
・世界中で日本ほど子供が親切にされ、子どものために深い注意が払われる国はない。
子どもたちは朝から晩までニコニコと幸福そうである。
・外国人の筆者が一人残らず一致すること、それは
日本は子どもたちの天国だ、ということである。
モース以外にも、日本の子どもがそのように記述されている記録が見られます。
それは、、おもうに、、
ひとつには、当時の子どもが朝から晩まで
うたっていたからではないかと思うのです。
自分の子ども時代を振り返ると
日々の生活のなかに、確かに歌が溢れていました。
わらべうた、からかいうた、絵描きうた…
遊びがつねに“うた”を伴っていたのはもちろん
友だちを誘うとき (◯◯ちゃん、あ〜そ〜ぼ)
お店に入って声をかけるとき (くださ〜いな)などなど
いつも節をつけて呼んでいましたし
極端なはなし、数を数えるときも
「いーち、にーい…(中略)こっこのっつ、とオ!」と
節とリズムにのって、唱えました。
石焼き芋屋さんも竿屋さんも豆腐屋さんも金魚屋さんも
お坊さんも(木魚というパーカッション付きで!)
みんなみんな、うたっていました。
日本は世界稀にみる“うた”の国なのかもしれません。
しかもそれらの多くには、無意識のうちに
数百年も前から伝えられてきた
日本のテトラコルドによる音階が使われていることは
驚くべきことではないでしょうか。
明治維新後、西洋音楽の波が
怒涛のように押し寄せてきたにもかかわらず
わたしたちがそうした感覚を失わずにいるのは
俳諧や和歌などの言葉のリズムや
自然が織りなす“ゆらぎ”を愛でてきたからだとしたら、
すばらしいことですよね☺️
文化(cultivate =耕す)とは、魂を耕すこと
音楽は、明治になって“音楽”という言葉を得る以前から
わたしたちの心の栄養、魂の糧だったのだと思うと
しみじみとこの国の歩みが有り難く感じられるのです。
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