オノマトペの国
花散りてげっくり長くなる日かな
艸山(くさやま)のくりくり晴れし春の山 小林一茶
日が“げっくり”長くなる、とか
山が“くりくり”晴れる、とはどういう感じかを
はっきりとは説明できなくても
“なんとなく”そのニュアンスがわかるのが
オノマトペの楽しいところです。
以前から一茶はオノマトペの天才、と思っていましたが
おんひらおんひら蝶も金毘羅参り哉
という句を知って、彼はオノマトペだけじゃなく
ラップの先駆者だった?という気すらしてきました(笑)
♫おンひらおンひら 蝶もこンぴら参りかな♫
ほら、ちょいと調子をつけて声にだすと
そのまま歌になりませんか?
…こうした擬音が狂言や歌舞伎の台詞だけでなく
和歌や俳諧にもあれこれと使われてきたのだから
どうりで日本はオノマトペが豊かなわけです。
最近、思うのです。
日本人の音楽センスの源は
こうした“言の葉の音”のおもしろさにあるのではないか、と。
何気なく口ずさんだり繰り返しとなえた言葉が
なんとなく節をともない、それが自然に“うた”になって
“詩(ウタ)”と“歌(ウタ)”の区別すら消えてしまう、、
そのくらい、わたしたちは
言葉とうたを“ひとつ”のように感じているのではと。
日本には他国に類をみないほど
たくさんの民謡やわらべうたがあるのも、
そのあたりに何かヒミツがありそうな気がしてきます。
日本の言葉はとても音楽的なのかもしれません。
話しているのが歌に聞こえる、というと
イタリア語を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが
オノマトペの多彩さでは負けていないと思います(笑)
、、
このごろ日本の言葉が愉しくて、おもしろくて、
今さらながらに枕草子や徒然草をひっぱりだして
読みなおしたりしています。
そういえば、若い頃はヴァイオリンを弾いていた祖母も
晩年は俳句の会に入って楽しんでいたっけ。。
わたしも、そんなお年頃になってきたのかも…☺️
桜の花は散ってしまったけれど
杜音の庭のチューリップはまだ元気です🌷