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だって私は『私の書き方』しかできないから。

昨夜、これを観ていた。

古沢さんが脚本を書いた作品が好きだ。全てを観たわけではないが、テレビドラマは『リーガル・ハイ』シリーズや『コンフィデンスマンJP』シリーズ、『デート〜恋とはどんなものかしら〜』は観た。それから『相棒』は全話観たので、古沢さん脚本のものも通ってきている。映画なら『ミックス。』と『コンフィデンスマンJP』シリーズ。『探偵はBARにいる』シリーズは流血シーンも多いので苦手だけれど。大好きなTEAM NACSの舞台『悪童』を書いてくれたのは嬉しかったし、その前にシゲさんが出てた『趣味の部屋』も書いてくれてた。そして今期は私の見慣れないジャンルであるアニメの脚本も書いていらっしゃるので、『GREAT PRETENDER』も観ている。
Officialヒゲ男dismについては、『コンフィデンスマンJP』の主題歌になっている曲だけは知っている。その他についてはメンバーが4人というくらいの知識しかない(ごめんね)。今回、対談していたヴォーカルの藤原さんは、『リーガル・ハイ』を4周観たと話していて、やるな、と思った。

この2人、作品ができるまでの過程にはどうやら共通点があるようだ。
古沢さんは、とにかくたくさん考えるとのことだった。キャラが先とか、ストーリーが先とかということもない。頭から書く決まりもないし、必ず着地点が決まっているわけでもない。書きたいテーマが、途中まで書いたあたりでやっと見えてくることもある。全てが蓄積した結果、作品が出来上がるのだ、と。
藤原さんは、曲が先でも詞が先でもない、と。『Pretender』も、最初はキーも違っていたし、途中のメロディも全然別ものだった、と。そして使いたい音(ドレミという音階ではなく、サビの「あーいあーいあーいあー」といったような言葉としての「音」)があったり、それならこの言葉を繋げたいという思いが生まれたり。そんな風にいろいろな角度から構築されていった結果、こうなったそうだ。

おこがましいのだが、ちょっと自分と似ていて、うきうきした。少なくとも、始めから終わりに向かって作ることがたった1つの正解ではないのだ。

文章の書き方を習いにいったこともあるし、今でもnoteでそういう内容の記事を読むこともある。でも結局、自分のやり方でしか書けないのだ。
「最初から最後までとりあえず書いて、後から修正しなさい」とよく言われたけれど、私は「違う、この表現じゃない」と思うとそこがずっと引っかかってしまい、無視できなくなる。直さないとどうにも気持ち悪くなってしまうのだ。結局、我慢できなくなって、そこに戻って、直す。そして書きかけのところにまたいって、続きを書く。
もちろん、書き終われば見直しはする。そうすると、書いているときはよくても、最後に読み直して、どうもリズムよくいかないなぁと感じる箇所が見つかったりもする。そこはたぶん、自分の言いたいことがうまく表現できていないところなのだ。別の言葉で同じニュアンスを伝えられないかどうか、試行錯誤することもしょっちゅう。流れるように最初から最後まで(私が)読めたら、これでいいやと思えるようになる。
番組中の古沢さんの話のように、頭から書かないこともある。例えば、中盤から書き始めて、最初の方を後から書き足したりする、とか。漠然と書き始めて「あ、私、これを書きたいんじゃね?」と気づくこともある。最後まで書いたけどどう結んで終わらせたらいいのかわからず、そのまま数十分、うーんと悩み続けることもある。
でも、全部、これでいいのだ。それが私のスタイルなのだ。これからも、これでいこう。例え、スキがゼロの投稿が増えても、営業的なスキしかつかない投稿があっても。

古沢さんのnote。最後の投稿は2018年11月29日だ。いつかまた、何か書いてくれたらいいなぁと、微かに思っている。

皆さんの『スキ』や『サポート』が、私とこのアカウントを育ててくれる源になると感じています。よろしくお願いいたします。