【働き方】会社員として「全方位で輝こうとしない」仕事への向き合い方2022
こんにちは。元日本語教師の会社員です。2022年は本格的に自分のビジネスを考える1年にすることにしました。私は誰に、何を提供して、喜んでもらうことができるのか?それをぐぐぐーっと深く考えて、ちょっとずつ形にしていく「私のこれから」のはじまりの1年です。
自分のビジネスのこともしっかり考えるけれど、もちろん、今の会社員としてのお仕事も毎日あるわけで。でも、人生の中での優先順位は「私のこれから」がもちろん上なので、それを踏まえて仕事への向き合い方を考えてみました。日本語教師をやめて会社に入って、4年目を迎える2022年です。
2021までの反省、全方位で同じトーンで頑張りすぎていた
私はIT企業で人事をやってます。人事といっても採用(=会社に引き入れる仕事)ではなく、会社に入った後の方で、新入社員のケアや社員に対する施策の実施、管理などをしています。社員一人一人が能力を生かして働ける会社にする、ことが大目標です。年始はもう数日働きましたが、改めて明日からの本格仕事始めを前に、もっとスムーズにストレスなく、バッサバッサと捌いて、割り切って仕事をしていけないか?振り返りを兼ねて、抱えている仕事を整理しようと思います。まずは、ルーティーン業務について、どれだけあるのか書き出してみました。
書き出すとボリュームがそうでもなく見えるけれど、実際は新入社員の受け入れは月に2回で、タスクは全て単純に月2回繰り返されています。(社員は500名規模ですが、ほぼ1人でやっています。)各部署や新入社員本人とのやりとりも多いので、個別対応が要るイレギュラーの発生があったり、受け入れ人数が多い時はちょこっと面倒が増えたりもします。受け入れに連動したりしなかったりの人事システムのメンテも定期的にあって、こっちもイレギュラーな修正依頼、リスト出力依頼なんかが入ってくることもあります。
そしてもちろん、これは業務の中の「ルーティーンのもののみ」で、他の業務(年間ルーティーン的なものやその年々の新施策など)も時期に応じていろいろあります。ルーティーン+あと半分か3分の2、というイメージです。
新入社員の受け入れは、私が入社した当時は全くなく、ただ入社日にPCを渡されて、部署に直接行かされる、そんなものでした。ただ、それではさすがにダメだろうと、私が人事で主担当として始動させた施策の一つでした。もう開始して2年以上になるので、ルーティーン化したわけです。ただ、2年もやって慣れはあるものの、やはり心の中では私がちゃんとやらなきゃいけないと、メイン業務の位置付けだったのでしょうね、かなりパワーを使っています。いや、使っていました、2021までは。
受け入れ周り業務では、とにかく誰かにお知らせしたり、誰かの予定を聞いたり、誰かに催促したり、誰かのために間に入って動くような、そんな仕事が多いです。人は好きだし、人の役に立ちたいとは思うけれど、面倒だと感じることも正直多いです。「あなたの部署に新しい人が入るから、ここまで準備して丁寧に連絡してるのに、なぜ応えないの?」と思えるような(腹立たしい)ことがあったりすると、「なんなの?」と萎えることもしばしばです。そもそも“持っている本質診断“のようなものでは「ガテン系で職人気質、1人で黙々やる作業を好む」らしい私、人に邪魔されず、自分の決めたスケジュール通りに、好きなことをとことん突き詰めるような環境にいる時、すごく心が安定すると感じます。(会議がない日が本当に好きです。)なので、予定や時間が人によって左右されたり、一部の協力的でない人からのストレスが、本当に苦痛です。(寝れば忘れますが)
ルーティーンと化した受け入れ業務、ルーティーンだからサクッとこなしたいけど、メインでやってる自覚もあり、パワーもそれなりに使っていて、間にぽんぽん何かを頼まれたり尋ねられたりして予定通りに進められない、イレギュラーが起こる、こんなはずじゃ…のイライラのせいで何かが抜けてしまってもっと焦っる、後処理に時間を取られて他の業務もどんづまる、そんなこんなでさらにネガティブになる…という負のスパイラルが2021の中間ごろでした。いろいろ進めなきゃならない新しい企画や施策に集中したいのにできず、慣れたはずの業務もミスしたりしてうまくこなせず、私は何をしてるんだろう?と凹んだり、なぜこう邪魔が入るのか?とイラつくこともよくありました。
ルーティーン業務はできる限り自動化する
2022はそんな風になりたくないし、いつもやっておくべき仕事なら、できるだけエフォートレスで、最小限の努力で成果を出そう、もう半ば強引に、「私にとっては会社の仕事はそれくらいの価値」と心で強く割り切って考えることにしました。何事にも私が頑張らなくちゃと力を入れ過ぎてたのを緩めて、私がしなくてもいい、私がするなら意識しなくてもそれが流れるように、自分で自分のイライラを作り出さないように、ゆるーっとやれるように先に仕組みを作っておくことにしました。
・人への連絡や催促、リマインドは通知機能を使ってあらかじめ設定
・個別メッセージから定型文に更新、毎回同じものを任意の日時で配信できるように自動化
・カレンダーにルーティーン業務を半年分まとめて設定して自分の予定化
・覚えていることも不要にして、すべきことはその日のその時間に確認すればもれなく行えるようにする
・ちょっとくらい抜けがあっても、リカバリーできればよし
無駄な努力をしないために、少しの工夫をして乗り切る、そう「乗り切る」だけでいいと考えたら、すごく楽に思えました。今や誰も注目していないので、乗り切れればどんな方法を使っても良いはずだし、それなら、自分に負荷をかけずに努力せずにできる流れで対応すればいいんですよね。なんで、気づかなかったんだろう?全部全力で頑張りすぎていたのかもしれないと、改めて気づきました。そして、頑張るべきところも間違えていたなぁ、とも。
魅せる仕事を意識する
ルーティーンは流れてさえいれば、乗り切れれば上等だったのに、例えるなら、私はルーティーンのステージで大声で歌っていました、誰も見ていないのに。ルーティーンはきっとイントロで、印象に残るメロディーにつなげられればもっと見てもらえたんです。だから、流れを止めないことを目指して、着実につなぎながら、聞かせたいメロディーを、見てほしいステージを、=「私」の仕事として評価されたいことを、「魅せる仕事」として、アピールしていかないといけなかったなぁ、と気づきました。実際くすぶっていた先期は評価がいまいちでした。
年末年始に、起業のことやら将来のことやら、ぼんやりいろいろ考えていて、「やっぱり会社を早く辞めたいなぁ」と思ってしまいました。どうしてだろうと考えた時、ふと思い立ったことは、「結局、私は誰からも評価されたくない」んだということです。
会社に入ってみて、変な政治っぽいところとか、根回しとか、そういうのがうまくできる人が評価されるのを見たり(そんなことはやりたくないし、そんなものの評価なんて要らないけど)、実際私がやっている仕事の工数や手間、気遣いを評価に足るほど把握していると思えない上司からなんとなく見えていることだけで評価されていると感じたりすることに、もやっと感じています。もやるけれど、会社の歯車の中にいる以上、評価されなければ給料は増えないし、居心地が悪くなるし、それを選んだのは他でもない私です。もやもやは安定した給与とのトレードオフと考えることにして、会社員の私を遠くから眺めながら、自分軸で自分を評価できる未来に目を向けようと思います。他人の評価とはこういうものだ、評価はこのようにして成される、ということも学びにしつつ、賢く利用するならば、
日の当たらない、見られていない(=評価で見られない)ステージ、地味な業務はそれなりに乗り切って、見えているところで強めの光を放って評価されるシステムを利用しない手はないです。
会社の仕事が全面的に嫌いなわけじゃないんです。面白いと思えることもあるし、自分がやってみたいと言えば、割とGOをもらえます。だから、「魅せる仕事」の余地は自分次第だったりします。これまでは、誰も聞いていないイントロのところで、全力出しすぎて、つまづいて、1人でイントロから歌い出し過ぎてただけじゃないだろうか。2022は全部同じ声量で歌うのをやめて、サビだけを印象的にパワフルに歌い切って感動を呼んでやります。パワー配分と長い目で見た人生の優先順位を忘れず、会社員としての4年目をしたたかに乗り切ろうと思います。