左側マンの松葉杖生活。経過観察60日目(手術後30日目)
右膝を怪我してからあっという間の2カ月。早いもんです。
昨日は夫婦で結婚式の打ち合わせを済ませた後に、そのまま目黒駅周辺で夕食を済ませたのですが、行きたかったお店が私たちの下調べ不足でお休みでした。なので急遽違うお店を探して行き着いた先が『ホルモン関西』というお店でした。
そこの1品である『大根フライドポテト』がサムネイルの写真です。これがあまりにも美味しくて、食べたモノ全部美味しかったんですがこれが一番衝撃だったのでご紹介しました。
みなさま目黒駅へ行った際にはぜひ『ホルモン関西』へ行ってみてください。お酒もつまみも美味しい居酒屋さんです。陽気な関西の店員さんが迎えてくれますよ。
本日の右膝
右脚加重制限が少しずつ解除されていっているので、リハビリもトレーニングもどんどん進んでいく。例えば1週間前は起床時に100度も曲がらなかったくらいだが、現在は起床してからだいたいこのくらい曲げられる。見た感じだと85度くらいだろうか。起床時の硬さも和らいできている。感触は悪くない。
24日の診察時に、MRIの写真を見ながら気になっていることを聞いてみた。
まず右膝の外側にあった『血の塊』のような雰囲気の膨らみは手術によるボタンのようなものが中で止まっているのが原因だった。これはいずれ除去されるらしい。
それと「脂肪体の位置」だ。トレーナーからは脂肪体の硬さを取りましょうという指示を貰っていたので、具体的にどの位置にあるのかを把握するために聞いてみた。すると膝の回りや裏側に位置しているのはわかっていたが、写真で見ると結構後ろ側にあることを知った。なので特に曲げて収縮した時に解しやすい位置にあるみたいなので、もう少し屈折させてから膝の裏側を解してあげるイメージで今後やケアしていった方が良さそうである。
片足の松葉杖だが、全体重が右脚にいってしまう怖さがまだあるので、長距離の移動時は2つ使うことにしている。家の中では松葉杖1本で過ごしている。
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それでは、昨日とりかかるはずだった『コミュニケーション』についてを述べていく。
これがおそらく、書くにあたって一番難しい。コミュニケーションを説明するには「ヒト、モノ、コト」を切り話して語れないこと。そして私自身これまで狭い領域で生きてきたと思っているからだ。だが今後「コミュニケーションとは何なのか」を自分なりにハッキリさせないと確実に人生を挫折する気がしているので悪あがきをしてみたい。
コミュニケーションとは
定義は『互いの考えや気持ち、価値観を伝える行為』とある。基本的にはお互いに持っている情報を交換する作業で、それを用いてお互いを理解しあう『意思疎通』をすることで、コミュニケーション能力が向上していく、というのが一般的な認知である。
意思疎通=コミュニケーションと、表すこともある。そこで
・世に言われる『コミュ力が高い』というのはどのような人物を表すのか
・コミュニケーション能力はどうやって向上していくものなのか
・根本的に『コミュニケーション』は必要なのか。
この辺りをハッキリさせたい。
”コミュニケーション能力の高い人”とは
単に”人と話せる”だけで無いのは明らかである。
『だめだ、あなたとは話にならない!』などと言って議論を終わらせてしまう人もちらほら見かける。コミュニケーションで最重要なのは、『自分の意見をハッキリと、相手が理解できるように伝えること』だろう。
これには双方に読解力が必要不可欠であるが、読解力というのは日本人の脳の構造上「中学生までしか伸びない」と言われているので、なかなかコミュニケーションが成立しない場合も多い。しかし年齢を問わず「学習すること」は出来るので、継続していけば読解力を補えるだろう。
すなわち”中学生までに読解力が決まる”とされるのは『人の話を聴く力』なのではないかと位置づけてみる。これは先天的な物に近い気がする。
『人の話を聴く力』は、どう育んでいけば良いのか。それは今回のnoteで最後の方でハッキリするだろう。
とにかく
コミュニケーション能力の高い人=相手の話をしっかり聞き、言っている事も理解できる人。なのだろうという結論に至った。
これはサッカーの試合におけるゴール前での局面で表すことが可能である。
後述に続く。
コミュニケーション能力はどうやって向上していくものなのか
本来、意思の疎通=コミュニケーションと表せる。
だがコミュニケーションというのは言葉が無くても成立する場面がある。だがそれが出来る人と出来ない人、向き不向きがあることは先に言っておく。例えでわかりやすいのがスポーツだ。スポーツはあらゆる局面で会話の無いコミュニケーションが存在している。
サッカーはまさにそれに該当しやすい。ひとつ例を挙げてみよう。
『ゴール目前で私はシュートを打ちたいが敵のGKがいる。しかし真横には味方がいるので、パスの精度によっては自分がシュートを打つよりも、より簡単にゴールを奪えそうだ。』という場面。
ここで私が真横にいる味方に”シュートを打って欲しい”とわかるようなパスを送り、味方が”なんなく”ゴールした場合、これはコミュニケーションが成立している状態と言える。
もちろんここに会話そのものは無い。その味方が『シュートを打ちたいからこの辺にパスをくれ』なんて、その一瞬の局面で伝えることは考えにくい。だがボール(モノ)にメッセージを乗せることで味方に自分の意思を伝えることは可能である。会話が無くとも意思の疎通が存在しているのだ。
だが一方で、真横にいる味方がそれを理解出来なかった場合(あるいは理解できる準備が整っていなかった場合)には、ゴールの可能性が薄れる。極端に言うと味方がその局面でそっぽを向いていた場合(基本的にはあり得ないが)はパスが来ると思っていないという事になるので、当然パスに反応出来ない。仮にギリギリで気づいてボールに届き”何とかゴールした”という結果になった場合、ハッキリとコミュニケーションが取れていたとは言い難いだろう。
話を戻そう。これは”会話の存在しない”コミュニケーションであるが、この二人が普段からどういったコミュニケーションを取っているかによって状況が変わってくるだろう。(前提としてこういった局面でサッカー論を出せば、パスが来る準備は誰でもするものであるが。)
お互いが選手として、あるいは人間としてどういった特徴があるのかを普段からのコミュニケーションで把握しておけば、この局面でのゴールの確率は上がるだろう。私がゴールすることにそこまで喜びを感じていない選手とわかっていれば、その味方は「こいつはこういった局面でも俺にパスをくれそうだ」とわかっていれば、その一瞬でも準備が出来るものだ。こういうものは普段からの会話のあるコミュニケーションがやはり重要だとわかる。
ヒトが(選手)がモノ(ボール)を使い、コト(ゴール)を成立させる。
すべてが関わっている。
ただフットボーラーとして、この局面ならば自らシュートを打つべきだと感じる人もいるので悪しからず。
コミュニケーション力を向上する瞬間というのは
ヒト・モノ・コトが合わさって初めて、お互いが望む結果が出て生まれるのではないか。
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根本的にコミュニケーションは必要なのか
閉鎖的に生きている人に関しては私にはまだデータが無いので語れない。
例えば世の中には「自宅警備」と揶揄される(本人が主張している場合もある)人がいるが、そうした人たちは自分のご両親が亡くなった場合はどうするのだろうか。。。というのが私にはわからないのでひとまず置いておく。
『職場を5日で辞めてしまった同期がいる』という相方との会話があったので引き合いにしてみよう。※辞めてしまった女性をAさんとする。
相方の職場はスポーツジムで、メインの就労形態は顧客への機械指導だ。Aさんが辞めてしまった理由は『これまでスポーツ栄養学を学んできたので、それを活かしてマンツーマンでの栄養指導をしたかったのだが、現場ではそれが出来なさそうだったので退職した』ということだった。
私自身、そのスポーツジムで機械指導以外にどういった指導があるのか、もしくは他の種類の有無がわからないので一概には言えない。だがAさんはスポーツジムでの就労経験も無く、栄養指導の経験も無いとのことだったので、この退職理由からすると次の職場でも彼女の願いがすぐに叶う現場というのは少ないのかもしれない。
「指導」ということなので”コミュニケーション”は必須になる。それを考えると、機械指導などで顧客との距離を縮めることで栄養指導にシフトしていける可能性もあったと考えても良さそうではある。だが彼女にとってそのワンクッションがいらなかったのだろう。もしそうだとしたら現代では『フリーランス』として活動した方が良さそうだ。
だが、”直近で栄養指導をして欲しい”という顧客は「自分で見つけて自分を売り込まなければいけない」ので、どちらにせよ彼女にとってはかなり茨の道かもしれない。
このように、自分のやりたいことで
『お金を稼ぐ』『生活をしていく』あるいは『人のためになりたい』という明確な目的や目標がある人間にとっては、コミュニケーションが必須だと言えるのではないか。それがわかっていれば、幼少期から『人の話を聴く力』がいかに大事で必要なことか、というのを子供たちに伝えやすいはずだ。
そして『夢』「やりたいこと、なりたいもの」を持つことも重要なのだ。
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〆
以前のnoteにも書いたのだが、私は今後コミュニケーションを取る上で「真心」を込めていきたい。それを実現するには、自分の信念が必要なんです。
『相方を大切に思う』とか『このお客さんのために精一杯サービスする』とか。なんでも良いんです。
1日空けてしまったけど、今回noteに書いた5つのテーマ
『幸福について』
『多様性』
『不安』
『自分の命とは何か』
『コミュニケーション』
明日はこれらを振り返り、本当に自分がそう思って書いたのか、その場で感じた雰囲気だけで書いてないか。自分を疑ってみようと思う。
そうやって自分の信念、土台をしっかり形成していきたい。
まだまだ人生の追求は続いていく。
ひとつよしなに。
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