固有名詞を剥ぐ修行

スピリチュアル方面の人で、

修行時代は異界の存在から

直接指導を受けていた、

という人は多くいるはずだが、

わたしもそのひとり。



難易度が高いことをやってのける、

という意味では

『毒親と縁を切った』のは

かなりの高得点だろう。



わたしの場合、

かなり子どもの時点で

親は異常な存在だと

気づいていたし、

大人になったら

本当の本気で

彼らと縁を切ろうと

まだほんの幼い子どもの時分で

決意していた。




そんなことを決意させちゃう親って、親としてどうなの??ってすごく思う。が。

スピリチュアル的観点から言うと、

この時点で『修行開始』ということに

なるのだろう。




だってさ。

両親と縁を切ったら、こいつら

『親ではなくなる』わけだよね。



そんな大それたことを

本気で実現する前提で

物事を考えるのなら、



①親なのに○○してくれない!

とか

②子どもなんだから甘えさせてほしいのに

とかは

当然すべて禁句だ。

そんな考え方をするほうが間違っている。

もちろん、

③親がそばにいてくれないと寂しい

とかも絶対的タブー。





自分の現実は自分で創り出している、

という話を

他人から聞かされると

ものすごくムカつくけど。

(とくにエイブラハムとかバシャールとか笑)



でもさ、

子どもの時分から

こんな境遇を創り出していれば

たしかに

修行にはなるし

ものすごく成長するんだよ。







ついに念願叶って、

両親と二度と会わない境遇を創り出してから

まもなく2年。




いまではもぅ、

生きていくだけなら何の苦もないし、

コ○ナ禍とか

知ったことじゃないし、

世の中の行く末と

わたしの行く末は

何の関係もないと

理解しているし。

それどころか。

いまからわたしが

『人生を賭けて』

やろうとしていることは

すべて

『何の苦もなく』

叶ってしまうだろう──────。






もともとの自分自身の性質として

じゅうぶんに

『適性のある』

ジャンルにしか

わたしは手を出さない。



だから難易度の高すぎる達成目標などは

今後の人生では一切やってこないし、

つまり、

振り返ってみれば

一生涯を通じて

いちばんの難事業は

両親と縁を切ることでした、と。

そのように総括できます。




実家は宗教団体だったので

正確に言えば


『宗教の洗脳を解き、両親と縁を切る』


こと。

これがわたしの人生における

最大の難事業であり。


これをやり遂げるまでが


わたしの『修行時代』だったのだと


言えます───────。










でね。

生まれながらに宗教に洗脳され、

洗脳のせいで身動きが取れない

(教団の外の世界を一切想像できない)

状態で、両親からは虐待され。




こんな状態から

どうやって抜け出したと

思いますか???




最初に説明したとおり、

わたしには

異界の存在が憑いていて、

やり方は、きちんと指導してくれる。


なので


わたし自身が方法論の選択で


試行錯誤したことは、ない。





では、

その具体的な方法論とは??



たったひとつの、

『その方法論』だけを、

愚直にやりつづけることによって、

最終的には

わたしは

『宗教の洗脳を解き、毒親と縁を切る』

ことができました。

突き詰めれば

ほんとうに、

その方法論ひとつだけで

完璧な最終結果まで

たどり着くことができました。




それどころか、

『そのやりかた』が

自分の板に付く、、、、どころではないよね。

自分の『血肉になった』ことで、

手に入れた収穫物は

あまりにも大きく。


また、

その方法論を続けたせいで

できてしまった『後遺症』は

(※まぁカンタンに言うと人間らしさが無くなります)

いま、

かなり特別な方法で

(※恋愛感情の強さによって)

ケアしてもらっているところです。




ではいったい、

それって、

何だと思います???




感謝?

とんでもない!




前向きな思考?

大間違い!!!



ほかに候補はありますか?

ちょっと考えてみてください。





























答えは、

『固有名詞を剥ぐこと』です。


これはたとえばね。


今の時点で言えば、

宗教に洗脳された、

という言い方はしても

教団名は絶対に言わない。

毒親に生き地獄を味あわされた、

とは言っても

具体的な人名を冠して、

そいつらを告訴したりはしない。



『あらゆる固有名詞を排して』


『一般名詞に還元する』


というのがその修行内容でした。




うーん、

書いていて気づいたんだけど、

固有名詞/一般名詞の区別、

というよりも

とにかく

『わたし個人との特別な結びつき』を

一切、認めない。

というルールですね。




両親と縁を切る、

と決意したその翌日からは

おとうさん、おかあさん、

という呼び名を禁止して

ヤスオさん、ユキコさん、

と、彼らを

『下の名前で呼ぶ』

ということを

実際にやっていました。

(※実際にはヤスオ・ユキコではありませんが)



まぁでも

両親に関しては

おとうさん、おかあさん、

パパ、ママ、

などの呼び名のほうが

関係の固有性を表現していて

○○さん(※下の名前)と呼ぶほうが

まるで他人、、、、。



なので

形式的には○○さんのほうが固有名詞で

おとうさんおかあさんは一般名詞ですが

これについては

○○さん、という呼び名の徹底が

修行内容でした。

そうして、わたしからの呼び名が変わったことにすら気づかない、鈍すぎる両親。宗教なんかやっていると、そういう『鈍さ』は、当然のように身につきますね💕






たとえば江戸幕府のことを『幕府』と呼ぶのはじつは蔑称に近くて、倒幕運動が起こって初めて『幕府』という呼び名が使われ始めたのだ、という話があります。江戸時代当時の人間は、幕府、などという失礼な呼び名は絶対に使わず、『御公儀』と呼んでいたのだと、歴史家はいう。

それと同じようにですね、

教団内では、

教祖や教団幹部に対する、

あるいは教義内容に対する、

恭々しい敬称がたくさんあったのですが、、、、

─────それらは一切使わない!



あ、ただしこちらは、

最初の決意から

数年経ってのことです。


両親と縁を切ると決めてから最初の数年は、

両親の非道さを教団に訴える、

という発想でしたから。

(それらは完全に時間の無駄でした)

(信者たちは全員一人残らず両親の味方でしたね。親孝行が大事とか親の恩に感謝しなさいとか、そんな説教を食らわされるだけでした)



ほかにどんなのがあっただろう??


ちょっと個別に思い出すのは難しいんだが。



とにかく、

固有名詞を剥ぐこと、

一般名詞に還元すること。

そうすることで、

特定の個人の責任を一切問わないこと。



あ、そうだ。

性暴力の加害者の『固有名詞』も

剥奪しなくてはならないのだった。

性別だけは残してよかったので、

加害者は、とりあえず、男性。



それ以上のことは

年齢も属性も続柄も

一切言及してはならない。


という、

見方によれば

『かなり厳しい』

ルールを遵守させられる、修行。






これね、

ずっと続けていると、

固有名詞を持たない

『人間A』みたいな見方を

誰に対しても

平気でするようになる。

まぁ正確には

性別という属性は認めているので

Aさん(男性)、

Bさん(女性)、

みたいな認識の仕方かな。




いうまでもなく

こんな見方は

いまの世の中で

『正しい』とされる見方とは

正反対だ。



殺人犯は死刑にしろ!

という『よくある一般的な見解』の

もとには

『人間を固有名詞で認識する』

という絶対的な前提条件がある。

宮崎勤死刑囚は、難波えりかちゃんを殺した。

これ、どちらも固有名詞ね。




ここで固有名詞をぜんぶ剥奪してしまうと

人間は人間を殺した。

になる。

性別だけ付与していいなら、

男が女を殺した。




でね。

こーゆー見方を平然とできるようになるまで

『固有名詞を剥ぐ』修行を

延々と続けていると。


最終的には


『人類の集合意識』に


アクセスできるようになります。





人類、

という以前に

性別、という属性は

(ほかの属性とは比べものにならないくらい)

かなり重要らしくて。



なので、

人類、ではなく、

ここに性別を付与して。



わたしは


集合意識:女、


にアクセスできます。




というか、

実態としては

常時接続状態になっていて

板谷ミミィとして、

というよりかは

集合意識:女、(の一断片)として

わたしが思考します。


これって、

集合体といえども

『女性が思考する』

ことになるので

そこには、同時に、

かなり強力な感情も伴います。



わたし(板谷ミミィ)という

媒体を借りて、

集合意識:女、がそのまま

思考し感情する(感じる)のだから、

それはそれは強力です──────。




なので、

集合意識:女、が

そのまま叫んでいるような

強烈すぎる作品を、

わたし(板谷ミミィ)は

創りあげることになるでしょう。



それを享受する観衆/聴衆/消費者たちも

たとえ自覚はなくとも

同じ集合意識:女、に

属しているのだから

『これはわたしのことを言っている!』

という感覚になりますよね!



ここまで来てしまったら、

もはや

(集合意識:女、としての)

単なる自作自演だもん。

100%の確率でうまくいくのも

ある意味、当然。





それでね。

こーゆー形の特殊能力を得てしまうと、

わたし自身も

板谷ミミィではなく

集合意識:女、(の一断片)

ということになってしまい、

ようするに

わたし個人としての

自我とか自意識を持つのが

著しく困難(というか不可能に)なる。



なので

note(このアカウント)の他の投稿で

しきりに話題にしている

愛するあの人(※ただし女性です)の存在は、

わたしに

『自我と自意識を与えてくれる』

という点だけでも

ほんとうに大切な存在なのです。


それにね。

固有名詞を持つ人物は

わたしの世界では

彼女だけ!


これって

恋愛のあり方としては

ありえないほど最強でしょ!?

思わぬ形で

こんなご褒美が

やってきました💕💕💕


そうそう。


もちろん彼女は


アセンダント:獅子座です!




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