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あたらよ『おいしいミッドナイトを』

深夜、という時間帯の認識に多少のズレはあると思うから、ここで言う深夜は労働基準法で定められた22:00以降のこととしてみる。

我が家の夕飯というか晩ごはんは、いつもその深夜になるのだ。
夫のなおさんの仕事の都合上、帰宅するのが22:30近くや23:00を過ぎることもあるから。ごく稀に早番だったりして早く帰ってくる時も、お休みの日も、いつもの生活リズムをなるべく崩さないように晩ごはんは遅めにとる事を意識している。

深夜にご飯を食べるなんて、と思われるかもしれないけれど、言葉のまきびしを投げないでくれるととてもうれしい。

なおさんと同じ会社で働いていた身として、そこに文句なんて言えない。無い。責任感を担う立場でやるべき事から逃げずに仕事を日々頑張っている彼には、尊敬と感謝しかないのだ。


そしてこれは夫婦ともに解釈が一致していることなのだけれど、
晩ごはんは一緒に食べたい。
人によっては引かれそうな深夜帯の食卓での時間が、わたしにとってもなおさんにとってもすごく特別なのだということ。

多忙のため、出勤前の朝はギリギリまで寝ていたいなおさん。朝食は摂らない派で、でも今は薬を飲むためにわたしが用意した小さな小さなおむすびを食べてくれる。
わたしもお弁当作りやまるハウスの掃除で忙しなくて、気付いたら夫が家を出る時間。
行ってらっしゃいと気をつけてねを必ず言って、猫と見送るのだ。
「父ちゃん今日も帰ってくるの遅いん?」
「そうやねぇ、」
彼と遊ぶのが大好きな息子は、わたしがリビングに戻ってもしばらく玄関を見ながら廊下でおすわりしている。

仕事中のなおさんにとっての息抜きは、休憩時のお弁当と煙草、それからわたしが送る息子の画像や映像なんかだ。
気持ちに余裕があるときは返してくれるけれど、わたしは大切な連絡事項とか以外は、無理して返さなくてもいいと思っている。

ただ、我が家のやんちゃな猫の姿で少しでも心が解れてくれればいいんだ。


晩秋の晴れ、陽射しはぽかぽかで猫はうとうとゴロゴロ。
けれどここは海が近い街だから風は冷たくて、日没後は急激に寒くなる。わたしは靴下を履いて温かい飲み物を飲んで、まるはサークルの中の冬用のハンモックに移動してまた寝る。

寒空は晴れていると澄んでいてきれいで、だから夜のはじまりの美しい色を見届けてから、いつも窓のシャッターをおろすのだ。



白い壁にはオレンジの明かりが注いで、猫とわたしの影が動く。
暗すぎず、でも明るすぎない雰囲気がすきで、そんな中でキッチンに立つ。
なおさんの「今から帰るよ」の連絡を受けてそわそわしだすわたしを呆れたふうに眺めながら、
「母ちゃん、そんなにはりきったらまた具合悪なるよ」
と息子がつぶやく。
それは本当にその通りで、頑張りすぎると目が回ったり、早々に疲れて【うつ】の症状が色濃くなってしまうから、たしなめられてからはゆっくり作業を再開。




寒くなってくるとお鍋がやっぱりおいしい。
鍋という調理器具を使った料理が、最近はよく食卓を飾ってくれる。わたしがいつも使うのは、母が持たせてくれた外側が鮮やかな赤橙で、軽量で硝子蓋がついているタイプ。
お洒落な無水調理ができるものに憧れるけれど、それは今の鍋をたくさん使って替え時になった頃でいい。

疲れ切った上に身体も本調子じゃないのに遅くまで頑張って、すっかり冷えた夜の中をくぐって。なんとか我が家まで帰ってきてくれたなおさんを、なるべく温かい出来立てのごはんで迎えたい。

わたしが仕事に復帰できない今、できることは限られる。
夫が居心地いいと思ってくれる家を保つこと。まるのお世話をすること。
なおさんの疲れて曇った心が少しでもほころぶような、ほっこりした晩ごはんを一緒に食べること。


たぶん。
周りが思う以上に、この時間は本当に本当に大切な夫婦の時間なんだ。


それより前にごはんを食べた猫は、満足してお腹を見せて寝ていたり、かまって欲しいときはでんぐり返しなんかしたり。気分屋さんでとても猫らしい子に育ってくれている。

オレンジと白のライトを光が混ざるように点けて、白いテーブルに赤橙の鍋と、白米をのせたお茶碗と、我が家にはとんすいが無いので深めの取り皿。
キムチ鍋、寄せ鍋、ミルフィーユ鍋、チーズ入りの鶏団子鍋、シンプルな水炊き。

お菓子作りは大好きなのにまともなごはんを作るのが不得手で、鍋も、鍋のもとを使うことが多かった。
なおさんと晩ごはんをいっしょに食べるようになって3度目、結婚して2度目の寒い季節。
今年はプロの人のレシピも参考にしながら、自分で調合して鍋つゆを作って探求していきたい。

先日は、同じ鍋でおこげ付きの焼きビビンパも熱々で食べた。おいしかった。つゆの鍋ばかりだと飽きがくるかなと思ったけれど、具材ひとつで出る出汁も味も変わるし、ビビンパみたいな応用的な使い方だってできるのだ。
わたしはこの秋冬、鍋という器に無限の可能性を感じはじめている。

「キムチ鍋だけどあんま辛くないね。野菜の水分で薄まっちゃったかな」
「もっと辛くても良いけど、これもおいしいよ」
「お醤油の風味付いてるけどポン酢いる?」
「いる!どっちの味でも食べたいからお皿もう1個使いたい」
「水菜まるまる入れたけどちょうどいい感じやね」
「そやね、この出汁めっちゃうまい」

熱いから気をつけてね、うまいね、豆腐いる?
ひとつの鍋をふたりでつつくと、自然と会話の数も、より増えるんだなあと最近気づいた。


そんなふうに話もしながら、気になる動画を一緒に観て過ごす夫婦の時間は、互いに不可欠なもので。
世間的に変に見られるかもしれない深夜でも、心がほころぶ特別な時間になる。


猫にとっては、ご飯のあとのお風呂が沸くまで待っている間が、父と遊べるいちばん楽しい時間になる。
「父ちゃん!今日これ!これであそんで!」
そうやっておもちゃを選んだり、走ったり跳んだり。

めちゃくちゃ嬉しそうな息子の姿と相手してくれる夫の優しい横顔を、キッチンカウンター越しに片付けをしながら眺めるのが好きな母、という図。

大切にしていきたい我が家の深夜帯。


『おいしいミッドナイトを』


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