
『憐憫』 島本理生 作 #読書 #感想
かつて子役だった沙良は、芸能界で伸び悩んでいた。自分の正体をまったく知らない人間に出会いたい──そんな折に酒場で偶然出会った柏木という男に、たまらない愛しさと憐憫(れんびん)を感じた──。愛に似て、愛とは呼べない関係を描く、直木賞作家の野心作。
「憐憫」とは
かわいそうに思うこと。あわれむこと。あわれみ。れんみん。「―の情」
捨てられないのは,そこに互いの失われたものを見るからだ.
ようやく心の奥底で納得した.彼は私だった.最初から,そうだった.
新年早々,島本理生さんの恋愛小説を手に取ってしまった.
島本さんの恋愛小説は私にとって"しっくりくる"ものであり,これは多くの人が理解できるようなことではないと思っている.
そして今回の恋愛の話も,重いといえば重い.そして今回の恋愛は,男と女が逢瀬を重ねることは,「憐憫」と表現されている.この表現が正しいのかは分からない.でも確かに私も共感できるな,という感情がうまく文章にされていてすごいなと思う.
私は時々,相手の顔を見すぎる.感情の小さな波立ちさえも拾ってしまう.下に見られたとき,苦手意識,嫉妬も,一瞬の躊躇いも.否定的な緊張感を自らに課していた思春期の癖が抜けない.
主人公の沙良は女優であり,10代でデビューしたものの,20代は療養していた.家族からの裏切り.金をむしり取られていたこと.ものすごく痩せたこと.裏切り.薄っぺらい表現をあえて使うのであれば,彼女は搾取され続け 孤独になっていた.
「そうじゃなくて,人間は簡単ではないことを知っている人に見えました.そういう人が,好きなんです.きっと」
そんな彼女の心の支えとなるのが,柏木という年齢不詳の男性である.おそらくこの"彼"の方が心に傷を抱えているというか,家族という言葉に対して敏感な反応をするわけだが…..この彼の詳細な過去は物語の中では明らかにされていない.
ただ一緒にベッドで寝ているだけでいい.2人でいてもまるで1人でいるような気持ちになるのに,確かに相手を必要としている.
彼が分かっていることを,私は分かっている.私が分かっているということを彼は分かっている.そのことを私は分かっているし,それをさらに彼が分かっている.
彼女も彼も結婚していて,現実世界では恐ろしくバッシングを受けるような「不倫」をしている.
しかし言い訳がましいかもしれないが,綺麗事かもしれないが,この小説で描かれているのは男女の友情でもなく恋愛でもなく,「憐憫」である.
冒頭に書いた152ページの引用に戻ってほしい.私は自分にないものを持っている人に(恋愛だけではなく人として)とても惹かれるけれど,もしかしてその相手が持っているものは,自分がもともと持っていないものだけではなくて,失ってしまったものも含まれているのかもしれない,と思ってしまった.
2人の関係性とは全く関係なく,私が最も共感したのはこの部分である.
「知らない町へ行くと,その町によく似た昔の風景や記憶を,思い出しそうになることがあって,でもそれが,いつのどこだったかは,けっして思い出せなくて,ただ取り戻せない気持ちだけは蘇るから,少し,怖かった」
怖いという感情を抱きながらもただ一緒に入れることのありがたさと満足感のようなものを感じている沙良.恋愛は何かの恐怖を忘れさせてくれるものかもしれないし,憐憫は自分の恐怖は大したことがないと思い込むために誰かの恐怖を背負うことかもしれない.
なんでもいいけれど,怖いとまではいかないけれど,知らない町を訪れたときに感じる"なんか見覚えある景色だなぁ"というこの感情が,私はとても嫌いである.
1つしかない選択問題で,正解はこの1つ.この関係はそんなニュアンスで表現されていて,これがたとえ不倫だったとしても,2人はお互いに幸せだったのだろうか.そんなことを聞くのは野暮だろうか.幸せでなくても,出会う前の自分より出会った後の自分の方を,好きでいることができるだろうか.