いちいち本気で怒る自分のこと
もしわたしがわたしではない人間だったら
わたしを見て
「もっと上手くやればいいのに…」と思うだろう。
自分でそう思うくらい、器用に、上手く立ち回るということができない。
空気は読める方だと思う。
人の感情の動きもわかるし
人付き合いも上手だと、周りからよく言われる。
だけどわたしは受け流したり、聞き流したりすることが苦手だ。
言われた言葉、されたことにいちいち真剣に向き合ってしまい
それによってコミュニケーションが上手くいかないな…と感じたことが何度かある。
例えば旅館で働いていたときのこと。
自分の洗い物や片付けが終わり、さあ帰ろうとすると、働いてる歴だけは長いパートのおばちゃんことAさんが現れ
他の人の残した洗い物を見て
「mimiさん、これも洗っといて」と言う。
最初は、まあいっか。と思いながら言う通りにやっていた。
だけど毎日のようにそれは続き、
『あれ?自分の仕事が終わったのに、どうして他の人の仕事で残ってるんだろう?』
と、だんだんおかしいと感じるようになった。
その旅館は自分の仕事が終わったら帰っていいとされていたし、他の人の洗い物や片付けをしないと帰れない、なんてルールはない。
洗い物なんて至急やることでもない。
本人が落ち着いたタイミングで片付けたらいいことだ。
そしてあるとき、このもやもやを口に出すことになる。
いつものように働いてる歴だけは長いパートのおばちゃんことAさんが現れ
「mimiさん、これ洗っといて」と言う。
これまでのことが溜まりに溜まったわたしは言う。
「わたしは自分の片付けは終わりました。
これからは自分の片付けは自分でするようにしませんか?」
そう言うと働いてる歴だけは長いパートのおばちゃんことAさんが
「えっ、そんなの、気づいた人がやれば良いじゃない。」
と言う。
え?!いやいやいや。
気づいたのに人に押し付ける貴方にだけは言われたくない。
腹が立ってしまい、こう言い返す。
「ではAさんが片付けたらいかがですか?
ご自分で気づかれたなら、わたしに押し付けないで、ご自分で片付けたら良いじゃないですか。」
こんなことを言って働いてる歴だけは長いパートのおばちゃんことAさんに嫌われた。
他にも日常生活でこんなことがある。
列に並んでいて、悪びれもせず当たり前のように横入りしてきた人がいたとする。
急いでるわけではないなら
まあいっか。と流してもいいことだろう。
だけどわたしは、そういう人に黙っていられない。
『え?当たり前のように入ってきたけど何も言わないと思ってる?』
そう心の中で怒り、
「すみません、並んでます。」
そう口に出してしまう。
すると横入りした人は列の一番後ろまで行って並び直すことになるので
わたしは後ろまで追いやったやつ、みたいになるけど
うーん、でもそれって当たり前だと思うんですよね。みんなそうやって一番後ろから並んでるんだから。
こんな自分はめんどくさいな、と思う。
世の中は穏やかな人が好かれるし
怒ったり感情的になる人はみっともなく、厄介な人だと思われがちだ。
そうわかっているけど、わたしは人のことでもよく怒る。
職場の同僚が理不尽な目に遭っていたら
「なにそれ。そんなのおかしい!」と本人以上に怒るし、あまりにもおかしいなら理不尽なことをした張本人に物申す。
友達や夫が誰かに酷いことを言われたときも本人以上に怒る。
本人以上にわたしがキレるもんだから、
本人たちから「まあまあ」なんて言われてしまう始末。
ブチギレ大賞なんてものがあったらグランプリがとれそうだ。
列に平気で横入りしてくる人。
人に仕事を押し付けて煙草を吸いに行ったり、
なんなら先に帰る人。
人にはあれこれ言うくせに、自分は動かない口だけの人。
これを言ったら相手は傷つくとわかっていて
わざわざ言ってくる人。
他にも自分勝手で理不尽で心ない人というのはたくさんいるが、わたしはそういった人たちに腹が立つ。
ひどい!と思うし、我慢ならないときは物申す。
自分から喧嘩を売ることはしないけど
売られた喧嘩は全力で買ってしまうのだ。
曲がったことが許せない。
平気で人を傷つける人や、自分だけ得しようとする人が許せない。
たとえ人のことだとしても
自分のことのように人の痛みに共感するし、
共感しすぎるあまり本人よりも怒ってしまう。
わたしにはこういったところがある。
こう書くと、さぞ正義感が強そうだし良い人そうだ。
みんなを守る正義のヒーローっぽい。
ではわたしはアンパンマンのようにみんなから愛されるのか?人付き合いに困らないか?
というとそんなことはなく、
むしろ正義なんて貫けば貫くほどうざがられるし、自分のこういったところは悪い方に働くことの方が多い気がする。
なぜなら前述のようにパートのおばちゃんに嫌われたようなケースは何度か経験済だし
他にも口には出さないけど、わたしのことを
言い方キツイなあ、こいつがいると厄介だなあ。と感じた人はこれまでたくさんいただろう。
(いまもいるかもしれない。)
理不尽なことをしてるのは相手、だとしても
それに対して物申すと厄介なやつと思われたり
言ったこっちが悪者みたいになるあの感じは不思議だなと思うけど、この世の中はそういうものだ。
それが正しくても受け入れられるとは限らないし、なんなら声をあげたり物申す人は批判の対象になりがちだ。
そして自分のこういったところが要因で人間関係うまくいかないな…
と感じた最大の例が家族である。
わたしは幼少期から家族の些細な言葉、何気ない言動にいちいち反応しては傷つき、その度に衝突した。
そんなん受け流せばいいのに…
いちいち向き合わなくていいのに…
頭ではそう思うのに心が許せなかった。
おかしいと思ったら受け流さなかったし、
酷いと思う言葉は聞き流さなかった。
家族はわたしがいると面倒だっただろうし、
実際「お前はいつも輪を乱す。家族の誰ともうまく付き合えないお前はおかしい。」
などと言われ、結婚できないだのなんだのと罵られた。
わたしも自分はおかしいのかもしれないと思い悩んだ。
だけどじゃあ、家族が発するひどい言葉はぜんぶ受け止めないといけないのだろうか。
何年も経ったいまでも、家族から言われた言葉がフラッシュバックして心臓がバクバクすることがある。
そんな言葉、受け流すのにも限度がある。
だからわたしは、家族といるといつも怒っていた。
そしてそれ以上に傷ついてもいたし悲しかった。
家族なのに分かり合えないこと、マウントを取られたり暴言を吐かれることに。
家族といると疲れたし苦しかったが
それはきっと家族もそうだったのだろう。
結局絶縁して、いまはもう誰とも連絡を取ってないし連絡先も知らない。
そうなったことに対してなんの後悔もないが
生きるの下手くそだな、とは思う。
そんな真剣にならず、軽く受け流して
なんとなくうまくやってればいいのに。
相手にしない方がラクなのに。
いちいち本気で向き合って、怒って、そんなの自分が生きづらくなるだけ。
もっとうまく立ち回って、器用に生きられたらいいのに。
何回もそう思うのに、それがうまくできない。
だからわたしは受け流せる人がうらやましい。
どんなに嫌なことを言われても言い返さず
「あ〜そうだね〜」と適当に流せる人、
そして周囲を嫌な気持ちにさせず、
怒らず、感情的にならない人が。
きっと言い返すだけ無駄なことがわかっていて、相手にしていないんだろう。
ムキになって怒らず、無駄なエネルギーを使わない。
そういう人を見ると、スマートでかっこいいな、と思う。
わたしもそっち側に行きたかった。
だけどたまに、人のことでも本気で怒るわたしに
「mimiは優しいね」と言ってくれる人がいる。
たとえば友達の彼氏との喧嘩話を聞いたとき。
友達の彼氏に対し本気で怒るわたしに
「そんなに怒ってくれてmimiは優しいね。うれしい。ありがとう」と。
さらっと傷つけられてる人を見て
「いまのは酷くないですか?」
とつい言ってしまったわたしに
「言い返してくれて助かった。ありがとう」
と言ってくれる人が。
そう言ってくれる人がいると、自分のこの厄介なところも捨てたもんじゃないのかな、とこちらこそ救われた気持ちになる。
だからこういった自分を全否定するのではなく
必要なときは怒ってもいいんじゃないかと思う。
誰かを守れるなら。助けられるなら。
そして誰かだけでなく、自分のことも。
なんでもかんでも言い返したり、人のことにまで首を突っ込むのは控えたいけど
あれ?おかしいな。ということには気づける人でいたい。
そうやって自分の厄介なところともうまく付き合いながら、自分のことを好きだと思えるように生きていきたい。
でもいつかは、なにを言われたって怒らず、穏やかでのほほんとしたおばあちゃんになることを夢見て。
道のりはだいぶ長そうだ。
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