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24時間テレビが苦手だった。

24時間テレビが昔、苦手だった。理由は、番組自体が「感動の押し売り」のような気がしていたから。

 「愛は地球を救う」というキャッチフレーズも、妙に白々しく感じてしまっていたのは、私が冷めた人間だったからかもしれない。番組の最後に「サライ」をかけて、より一層視聴者の感動を誘うのも、年々飽きていた気もする。

 はたして、「24時間テレビ」は、本当に視聴者に向けて「感動」を求めていたのか。もしかすると、私が勝手にそう思っていただけなのではないだろうか。

 そもそもテレビに出演している方々が何を考えているか、視聴者にどう捉えて欲しいのか。ひょっとすると、別に「感動して欲しい」とは思っていないのかもしれない。

 私が「24時間テレビ」を受け入れられるようになったのは、子どもが生まれてからだ。

 私の子どもは、4歳になるのにまだ話せない。病院からは発達遅延といって、少し発達が遅れている恐れがあることを指摘された。このまま何も問題なく育つと思っていた私は、その場で呆然と立ち尽くした。

 そんな中で、ふと何気なくテレビのスイッチを入れると、24時間テレビが放送されていた。いつもならサッとチャンネルを変えるのに、その時は食い入るように画面を眺めている自分がいることに気づく。

 そこには障がいを抱えていてもなお、懸命に前を向いて進もうとする人たちの姿があった。

 感動というよりも、希望。喋ることができないからって、何もすべてを諦める必要はないんだ。できるものの中から目標を見つけて、取り組んでみる。大それたものじゃなくても、小さな目標だっていい。彼らの姿勢を見るなり、そんなことをぼんやりと思った。

 目標を達成していく出演者の表情は、とても晴れ晴れとしている。昔私も舞台で踊っていたことがあるから、少しだけ彼らの気持ちが理解できた。

 目標を達成する舞台が用意されていること。そして、その日のために努力を重ねてきたことを披露して、周囲から「凄い」「良かったね」と褒められること。日常を何気なく過ごしていては味わうことができない機会だからこそ、踊り子として用意されていた舞台は、私にとってとてもありがたいものだった。

 人は、時として「褒められたい」「認められたい」という思いを、承認欲求と嘲笑う。けれど私は、違うと思う。

 私自身、8年ほど舞台で踊ってきた。観客の方々に向けて踊るので、その都度たくさん声をかけられた。

 それは人前で踊り続けてきた、ある日のことだ。舞台でいつものように踊っていた時、観客から「とても良かったよ。演舞を見て、明日からも頑張ろうと思えた」と言われたことがあった。

 実は褒める側も、言葉をかけることで救われるのだ。

 人から褒められることと、褒めること。合わせ鏡のようなものでもあるが、どちらも欠けていては成り立たないのである。

 24時間テレビを見るまで、私は正直諦めていた。娘が生まれたら、バレエを習わせたいなぁと思っていた。けれど……。

 言葉が通じない娘に対し、習い事云々の前に「この子は支援が必要だ」と受け止めるようになった。だから私は今、娘に習い事はさせていない。本来なら3歳で英語、バレエかピアノを習わせたかったけれど、泡沫の夢だった。

 私はバレエも、ヒップホップもピアノも習ってきたし、発表会に出たことも一度二度ではない。よさこいも8年続けていて、踊りが決して上手いとはいえないけど、たくさんの舞台で踊り続けてきた。

 発表の際に受ける歓声と、拍手。その日のために努力を重ねることの大切さ。人前で発表することでつく、度胸。なにもかも、娘は自分のような経験ができないのではないかと絶望していたけれど。

 24時間テレビを見て、意識が変わった。娘も、もしかしたら。日の目を浴びる日が、いつか来るのかもしれない。

 叶えたい夢と言っていいかわからないけれど、娘には「挑戦する面白さ」を知って欲しいと思っている。目標を立てて、物事に挑む。たとえそれが、失敗でも構わない。そこから得る経験が、生きていく上で大切な財産となるからだ。

 そして娘がいつか言葉を話せるようになり「お母さん、私これをやってみたい」と意思表示したら、その時は全力でサポートしたい。まだ娘は今「あー」「まんまんまんまー」しか言わないけれど、いつか意思表示できる日が来るだろうか。来て欲しい。片言語でもいいから。

 子どもの存在によって、「24時間テレビ」の受け止め方が変わった。物事はその人の立場次第で、希望にもなれば苦手意識が芽生えることもある。だから今は、あまり「苦手」と言ったり、何かを否定しないよう心がけている。もしかしたらその苦手が、いつかの「好き」に変わるかもしれないのだから。

 もしかしたら、私自身もその対象なのかもしれない。今は「みくまゆたんさんの文章のファンです」と言ってくれる人がいても、いつかは「苦手だ」と言われる日だって来ることもある。人の気持ちは、花のように移り変わるから。

 ならせめて「今、ファンです」という方の声を、大事にしたい。もちろん人の思いに対して期待、依存はできないが、その一瞬だけでも自分に目を向けてくれた人のことを、自分は大切にしていけたらいいなと思い、今日も文字を紡いでいる。

【完】



 青空ちくわさんより、リレーエッセイのバトンを引き継ぎました。テーマは「チャリティとは?」とのこと。

 ちくわさんのエッセイでは「3月11日。この日は、yahooで「3.11」と検索すれば寄附に繋がる」というお話について紹介がありました。実は私も、その日になるとこっそり検索しています。自分の小さな行動が、誰かを救うきっかけになるといいですね。

 私自身、昔はコンビニでモノを購入した時に、おつりが出たら募金したりしていましたが、最近は「将来、もしかすると私自身が『1円』に困るかもしれない」と思うようになり、募金より貯金するようになりました。

 そんな私がチャリティの何を語れるかというと、24時間テレビをやっと受け入れられるようになったことかなと思い、エッセイを書いてみました。

 そしてPJさん、小林潤平さん。この度は、リレーエッセイに参加させていただき、ありがとうございました。

 あらためて、募金とは。チャリティとは何かについて考えさせられるいいきっかけになりました。

 次にバトンを繋ぐのは、日々木さんです。

 現在、名前が「福内鬼外日々木ドラゴン」になっており、節分への意気込みを感じられます。今から鬼のお面でも被るのでしょうか?

 彼とは昨年、福岡でオフ会をしました。

 小顔で長身のイケメン、25歳独身とのことです。日々木さん、バトンをよろしくお願いします。

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