映画の感想が言えなかったから
20歳の頃、大学卒業後の目標を見つけられずにいた。
言葉自体に興味を持って、フランス語を勉強し始めていたが…。馴染みのない文法が覚えられず、つまらなくなっていた。どうやっても声に出せない発音でも苦戦し、やる気がなくなっていた。そもそも、フランス語を理解できるようになったところで、将来何に使えるのか、と疑問を感じてもいた。
唯一、楽しかったことは、フランス人の先生と親しくなったことだ。先生は講義外でも、フランス文化について教えてくれたり、私がたどたどしく話す日本の話も楽しそうに聞いてくれたのだった。
ある時、映画の話題になった。先生にとって1番の映画は『田舎の日曜日』(1984年)だという。ベルトラン・タヴェルニエ監督作品で、数々の賞をとった名作フランス映画だ。タイトルも初耳だったが、1番だと聞いた以上は観ておきたい。ちょうどリバイバル上映をしている映画館があったので、楽しみに観に行ったのだった。
だが、先生が絶賛したその映画は、それまで観たことのないタイプの映画だった。パリ郊外の田舎に、週末、家族が集まる話。どうやって観たらいいのか、何を感じたらいいのか、さっぱり分からない。
観終わった時、「物語が始まる前に映画が終わってしまった…」が感想だった。ジェットコースターみたいに、ストーリーが次々と展開していくハリウッド映画ばかり観ていたその時の自分には、何も起こらない映画としか感じられなかったのだ。
それはまるで、印象派の絵画の前で、何も言えず、何も分からず、分かったフリも出来ないまま呆然と立ち尽くしているような状況だった。
先生から感想を聞かれた時には、うまくフランス語に出来ないだけのフリをして(まあ、その点はフリでもなかったのだが)、適当にごまかすしかなかった。
そんな自分は、きっと人として何かが欠けているのだろうと思った。じわじわと、確実に、自分のいたらなさに焦り、名作を理解できない自分をとても恥ずかしく感じたのだった。
以来、『田舎の日曜日』は自分のコンプレックスの象徴として、深く記憶に刻まれることとなってしまった。
どうしたらこの状況から抜けだせるんだろうと考え、2つの答えに辿り着いた。
まず、もっと色んな映画を観ようということだった。多くの映画を知れば、鑑賞する能力も上がるかもしれない。
そして、フランス語をもっと習得しようとも思った。フランス語を学べばフランス人の思想も知ることになり、フランス映画への理解へとつながるかもしれない、と思ったのだ。
自分の不安を鎮めるには、とりあえず前へ進むしか方法はなかった。
映画については、当時は小さな映画館や上映会、独自のセレクト作品を置いている貸しビデオ屋さんに行くしか方法がなく、情報を得ることも容易ではなかった。そんな中、過去の名作だけではなく、様々な国の作品、ミニシアター系やアート系の映画に至るまで、気になる映画を観るようになっていった。でも、観れば観るほど、分からないことや、観てない映画が増えていくような感覚だった。
フランス語については、資格を取ったり、力をいれて勉強するようになっていった。でも、覚えては忘れ、進歩したと思っても、初歩的なところでつまづいたり、なかなか自信には繋がっていかなかった。
それでも、やめずに続けた。
数年後。
自分は映画の仕事をするようになっていた。出張でフランス語を活かす機会にも恵まれたのだった。
相変わらず、コンプレックスと共にいたし、そんな環境を得られたのは、様々な巡り合わせやご縁のおかげだった。ただ、焦りや不安、劣等感との葛藤が、自分が向かいたい場所へと導いてくれたのかもしれないとは思っている。
その頃、再び『田舎の日曜日』を観る機会があった。かつて何も起こらなかったと思った映画は、こんなに叙情的なドラマだったのか、と驚いた。
この映画を「人生を変えた映画」と言ってしまうのは、おこがましい。なにしろ理解出来なかったわけだから。
でも何かを変えるきっかけは、はかって出会えたり、つかんだりできるものでもないから、先生が教えてくれた『田舎の日曜日』は、自分にとって特別な映画であることは間違いない。
気がつけば、2度目の鑑賞からも、もう20年以上経ってしまった…。今の自分が再びこの映画を観たら、どんなふうに感じるのだろうか?どうやら、この文章を書いたことが3度目の鑑賞をするきっかけになりそうだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
追記:コングラボードをいただきました!
お読みくださった皆様、ありがとうございました😊