教師を目指す理由②#忘れられない先生(1)
こんにちは。30代3児ママで英語教師志望のMikiです。
自己紹介はこちらの記事をご覧ください。
前回の記事では、私が教師を目指す最初のきっかけになった、母が教師を「辞めた」ことについて書きました。
教師を目指す人は、誰しも「忘れられない先生」がいますよね。
私にも、どうしても忘れられない先生が2人います。
良い意味で、悪い意味で忘れられない先生が。
今回は、2人の先生の内の一人について書いていきたいと思います。
(注:この記事は、私の過去にあったトラウマ体験についてのものです。
ご了承の上読み進めていただけますと幸いです。)
中3の担任だった女の先生
私に悪い意味で一生忘れられないインパクトを与えたのは、地元の公立中学校3年の頃の担任の先生でした。
私は当時、中1の頃から部活で長期的にいじめられていたストレスから、親や教師に反抗的な態度をとっていました。
よく遅刻する、服装はだらしない、提出物は出さない、授業ではやる気がない、私語が多い。
一方で、勉強は苦手と言う訳ではなく、成績もそこそこ良い方でした。
特に、テスト範囲がない実力テストでは学年でも上位を取っていました。
こういう要素の全てが、先生にとってはマイナスの印象に働いたのだと思います。
三者面談での一言
最初に先生から言われた忘れられない一言は、親を交えた三者面談でのことでした。
「〜高校は、あなたのような不真面目な生徒がいく学校ではありません」
当時私は、県内一の進学校を志望していました。
校則のゆるい自由な校風が、自分に合っていると思ったのです。
確かに、普段から不真面目な生活態度でしたから、「不真面目」と言われても仕方がなかったかもしれません。
しかし、あなた「のような」生徒、つまり、私のような人間が行く場所ではないと烙印を押されたような、そんな気持ちになりました。
人生で一番ショックだった言葉
二度目に言われた一言は、私がこれまで生きてきて一番ショックだった一言です。
その時のことを思い出すと、今でも涙ぐんでしまうほどです。
そして、私の人生を変えた一言でもあります。
三者面談後も相変わらず「不真面目」だった私は、ある日のクラスの朝の会でも先生の話を聞いていませんでした。
一番好きだった英語の宿題が終わっていなかったので、内職していたのです。
(ちなみに、内職する生徒は私以外にも当然いました)
英語の課題をひたすらやっていた私は、ふと顔を挙げると机の前に先生が立っていることに気づきました。
「何をやってるんですか、今は朝の会です」
「先生の話を聞いていない人は廊下に出なさい」
そう言うと、先生は私の机をつかんで、そのまま廊下に出してしまったのです。
先生は机と私を廊下に出すと、教室に戻ってそのまま朝の会を進行していました。廊下に机を出されることが初めてだった私は、激しく後悔し、動揺しました。
朝の会を終え、廊下に出てきた先生は、私を見ずに職員室に戻ろうとしました。
その背中に、「先生、すみませんでした!」と泣きながら声を掛けましたが、先生は振り返ることはありませんでした。
教室に戻った私は、「大丈夫だった?」と友達に声をかけられました。
「余裕余裕。泣いてたのも演技だし」
普段から不真面目キャラを貫いていた私は、廊下に机を出されたことや、泣いて先生に謝ることをクラス全員に見られた恥ずかしさから、クラスメイトの前では強がって言い訳していました。
この時の私には、その言い訳について深く考える余裕はありませんでした。
朝の会以降は特に何事もなく一日が終わり、放課後に謝罪のために改めて職員室に行った私は、先生に衝撃的な一言を言われました。
「聞いたよ。泣いたのも全部演技だったんでしょう?」
「あなたは明日から学校に来なくていいよ。〜組は、あなたがいない方がずっと良くなる」
私が教室で口にした言い訳について、クラスメイトが裏で先生にリークしていたようです。
クラスメイトにリークされたこともショックでしたし、何より「私がいない方がクラスが良くなる」という言葉が衝撃的で、まともに言い返した記憶がありません。
その日は帰ってからずっと泣いていたように思います。
親にも「私がいない方がいいから、学校には行きたくない」と言って、翌日休むことを伝えました。
翌朝目が覚めた私は、ふと思いました。
このまま学校を休んだら、先生が言ったことを全部認めることになるんじゃないか?
絶対に見返してやる!!!
ヤケクソで翌日登校した私は、その日から、周囲を見返したい一心で勉強に打ち込むようになりました。
その結果、無事志望校に合格することができました。
経験からの教訓
結果から見れば、先生の厳しい一言が私を鼓舞した、先生の激励のおかげで志望校に合格したと言えるかもしれません。
しかし、私はあの日から不登校になる可能性だって十分あり得た。
大人になった今ですら、私は「不真面目」なのではないか、今いる場所にそぐわない人間なのではないかと考えてしまうことがあります。
私は今でも、先生が言った言葉は決して正当化できるものではないと思っています。
教師の言葉はこれほどに恐ろしく、時に生徒の人生の呪縛にすらなり得るのだと言うことを、忘れないでいたいと思います。
そして、思春期の子どもの反抗的な態度や言動の裏には、その生徒が抱える環境や境遇からくるストレスなど、様々な背景がある。
そういう背景に想いを巡らせ、寄り添ってくれる大人が側にいて欲しかった。
私はある意味過去の私を救うために、先生を目指すのだと思います。
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