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「顔のない娘」から「顔のない母」にはなりたくない…┃女の在り方今昔

「娘」はある日「妻」になり、やがて「母」となる。
そして背中の子供に、かつて自分が聞かされた子守歌を聞かせることになるーー。


陰鬱なショートショート(超短編小説)ですか?
とでも問いたくなる、前時代的な女性の人生のバトンリレー。

出だしから重々しくて、すいません…。


時代を遡って”女の生き方” というものを眺めてみると、
女性の人生における「主体性」の不在を目の当たりにします。
”何をすべきか自ら考え行動すること” がごっそりと抜け落ちた生き方…、想像するだけでもゾッとします。

誰からも非難されることのない”安心” を手に入れる代わりに、
自分の人生の「主体性」を欠いたまま暮らしていかざるを得なかった女性たち。

そんな女性たちの在り方を、19世紀の終わり頃から追ってみます。



□戦前・戦中(明治民法下~)

多くの女性にとって、生活の保証を得る方法が、
結婚しかなかった時代。

家に属さなければ生きられない。女は適齢期になれば結婚するしかない。
女が一人で生きていくのは、想像を絶する大変なことでした。(戦争が始まると良妻賢母教育が女性教育の中心に。労働水準は低い)

そして、夫の家からの品定めをされる側として、「処女」は嫁入り資格の必須条件…

この時代を語る上で、
どうしても避けて通れないのが「家父長制」と「家制度」、「儒教思想」です。基本的な説明は割愛しますが、女性への影響の具体例は以下の通り。

「家父長制」と「家制度」
・何番目に生まれようが、長男を特別に可愛がる。長女として責任を負い頑張ったとしても、男兄弟がいれば認めてもらえない、女の子のジレンマ。
女は”長男” を産む以外には認めてもらえない。

「儒教思想」
・処女の価値を高め、貞操を求めるようになったのはこの思想によるもの。(女性貞操、純潔の観念。儒教は、家父長制とも密接に関係)

女性にとって、生きることを主体的に考えることはおろか、処女やセックスが男性(父親や夫)によって管理されていた時代

生活のための結婚、結婚のための"処女"…。
婚前交渉という言葉以前の、"初夜" の時代です。


□戦後(~50年代~)

「家制度」が撤廃され、民主主義がはじまります。
憲法には男女平等がうたわれますが、現実は”タテマエ男女平等”

「家制度」の名残は簡単には消えるはずもなく、
結婚は、まだまだ家と家の問題であり、処女であることも、依然として嫁入りの大事な資格。

※ 戦争で多くの結婚適齢期の男性が亡くなり、
男女比では圧倒的に女性人数が多かった。
ゆえに、男性優位の結婚市場に
⇒「キズモノ」ではなく「新品」がいいと言われれば、それに従うしかない女たち…。

嫁いだ家の為に尽くすのが務めであり、みんな文句も言わずに従っていた。
職業経験もなく、そうやって生きるしかなかった。

生きのびる"処女神話" とともに、
スポットライトは当たらないけれど、誰からも後ろ指を指されない人生を女たちは生きていました。


□結婚という呪縛(60年代~)

時が進み高度成長により産業構造が変わることで、サラリーマン中心の社会になります。
そして主婦となる女性がこれまで以上に多く登場します。
核家族が増え、家族の形も新しくなりました。

はたして、そこで女性の在り方は変わったのか?
答えはノー。

”近代家族という装置、
一夫一妻制という制度、
その上で経済的に夫に依存する妻”

という新しい構図ができただけ。

依然として、女は結婚相手の経済力に依存する以外に、生きる道がないのが実情でした。

そして”結婚という呪縛” がある以上、
処女とかセックスが「女の命ほど大切なもの」という昔からの価値観はそのまま継承。
1970年代あたりまで(※別記事参照)、この価値観が続いたらしい。


■ここまでのまとめ

女性たちの主体性の欠けた人生って、
「女」という一人の人間の個人的な話ではなく、
「社会」の構造の問題、だよなぁ~…と思われてなりません。

既存の枠組みの中でしか生きられなかった女性たち。

「自分が何をすべきか考え…」なんていう主体性は、
時に剥奪され、時に邪魔者でしかなく、
ゆえにこれまでずっと、女性の人生には存在してこなかった。

夫婦関係や性の悩みを話すことさえ、長らく”家の恥” といって口にしてはいけなかった環境です。
個人の思いや葛藤を共有することすらできない。

”個人的な問題” ではないはずの事柄が、長きにわたり埋もれたままになってしまっていたという現実。


ようやく表立って登場するようになってきたのは、ごく最近のことなのですね…。これまでの時代を生き抜いてきた女性たちに、感謝。



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・     すすむ、女性の社会進出!
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□~現在

家制度のような、どんなに頑張っても女性が主体的に考え、行動することが不可能だった時代から比べると、様相は随分と変わりました。
性を管理されるような時代錯誤なことも、見られなくなりました。

しかし、「女の役目」とか「女の幸せ」とか言われる刷り込みは、まだまだ世の中の仕組みとして残っています。
日常や業界にひそむ、古い時代の女性蔑視的な思想やスキャンダルもその一つ。

いま、個人の問題、という意識を排して、集団のうねりとなった女の子の「声」が、たくさん聞こえてきます。


祖母から母へ、母から娘へと、繰り返され続ける「女」の在り方。

わだかまりを抱えたまま、
そして「女」という記号を背負っただけの
のっぺらぼうのまま、何となく次の世代にバトンを渡すようなこと
には、
私は違和感しか感じられません。

一度立ち止まって考えたく、記事を書きました。


【参考文献】
『少女たちの性はなぜ空虚になったか』高崎真規子
『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』上野千鶴子 田房永子

※明らかな誤りなどありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
※正直とても扱いずらい話題でした。不快な気持ちになられた方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。



最後までお読みくださり、ありがとうございます。



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