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バラバラの家族

 大喧嘩の末出て行ってしまった夫。
 事務所で寝泊まりしようと思ったのだろう。次の日には車で細々した日用品を買いに行ったような形跡があった。ワンルームのマンションを事務所として借りているので、小さなキッチンで自炊も出来るし、シャワーも浴びられる。部屋には天井まで機材を積み上げていたが、わずかな隙間に布団を敷けば何とかそこで眠れる。家へはもう帰ってこないつもりのようだった。
 このままでは関係を修復出来ない。とりあえず「寝るときだけはこちらの家へ帰ってきてほしい」とLINEで伝える。翌日からは父と私が寝た深夜に帰ってきてくれるようにはなった。朝起きて食パンを家で食べ、すぐに事務所へ行き、そのまま1日過ごし、夕食も済ませてから深夜に戻ってくる。帰ってきてほしいとは言ったものの、こちらから折れるつもりはなかった。同居してからの、いやそれよりもずっと前から積もりに積もっていた不満が爆発してしまったのだ。直接話をするのも嫌だから、LINEでまた言い合いをする。全く埒が明かない。
 父には「今仕事が忙しくて、1日中事務所で作業してるんやって」と言っておいた。勘付いていたのか、何も思わなかったのかはわからないが「そうか」とだけ答え、何も聞かれなかった。
 4月3日、父の6回目の抗がん剤の日だけは「約束してたから」と車を出して1日付き添ってくれた。その日は雨だったので助かった。
 が、この日の父の態度が最悪だった。
 風邪の発熱は結局4日間続き、抗がん剤の前日まで上がったり下がったりを繰り返していた。私は仕事の合間におかゆを作り、おかずも消化がよくて栄養がつくものをと心を砕いた。当日の朝は平熱に戻り、M先生が今の体調なら問題ないと言ってくれたので、いつも通り点滴をしてもらうことにした。
 通院治療センターに着くと何故かイライラしている父。点滴の薬剤を看護師さんと一つ一つ確認していく作業で「いつも同じことばっかり・・・」と文句を言い出すので「お薬間違えたらあかんねんから、必要なことやねんで」と慌ててたしなめる。
 点滴が始まると、薬剤を確認したときとは別の看護師さんが問診にやってきた。年配でおしゃべりな看護師さんで、抗がん剤の白い液体が入った点滴パックを「カルピスみたいやねー」と笑いながら取り付けるなどデリカシーのない発言をしてくるので、正直なところ私は苦手だった。
 いつも通り、前回の抗がん剤の後どんな風に副作用が出たか話していく中で、便秘のことを尋ねられた父が「点滴した次の日はいつも便が全く出ない」と言った。その発言に至るまでも何だか噛み合わない受け答えばかりしていたので、すでに私もかなりイライラしていた。
「便秘薬飲んでちゃんと出るときもあるやん。嘘つきなや」
「嘘とちゃうわ」
 険悪な雰囲気になりかけ、苦手な看護師さんが仲裁に入ってくる。
「まあまあ。今は、お父さんが普段どんな風に感じて、捉えているかを聞いているから、事実そのままでなくてもいいのよ」
「でもいつも大げさに言うから…」
 すると看護師さんは私が言いかけたのを遮って、自分も母親の病院の付き添いをするときはこんなんで、あんなんで、と自身の体験を語り始めた。何で私がお説教をされなければならないのかと思ったが、黙って聞いていると、父が看護師さんに便乗した。
「そうや。言うのは簡単やからな」
 看護師さんが自分の肩を持ってくれたと思ったのか、勝ち誇ったような顔で笑いながらいつもの口癖を私に言い放ったのだ。
 看護師さんは自分が話し終わると私達の席を離れていった。点滴が終わるまでまだまだ時間はある。胸くそ悪い。私も外に出た。外科の待合ロビーへ行き、点滴が終わるのを待っていた夫に「お父さんにこんなことを言われた。むかつく」と言う。
 一体私のことを何だと思っているのだろう。家政婦か何かとでも思っているのだろうか。
 私達が父の治療をサポートするためにどれだけの犠牲を払っているかわかっているのだろうか。
 何十万もかけて、気に入って住んでいたマンションを引き払って、実家に引っ越して。
 夫にマスオさんをさせて。
 正社員で勤務していたHクリニックをパート勤務に切り替えさせてもらって、かけ持ちで別のパートにも行って。収入は半分以下に減って。
 毎日毎日、食事や掃除洗濯の面倒を見て。病院の付き添いもして。
 自分では何も出来ないくせに。
 点滴が終わるタイミングで通院治療センターに迎えに行き、会計を済ませ、昼食を食べに3人でうどん屋に入った。私は一切口を聞かなかった。家に帰ると夫はコーヒーだけ飲んで事務所に戻っていった。
 本当にもう限界だった。今度は父に爆発した。居間に座ってぼんやりしているところへ文句を言いに行った。
「お父さん、点滴のとき、私に何て言ったか覚えてる?」
「・・・・・・」
 父が何と答えたかは覚えていないが、全く見当違いのことを言われてさらに腹が立った。
「言うのは簡単やけどなって、私に言ってんで。私がどんなに考えて、一生懸命勉強もして、少しでもお父さんの体が楽になるようにって思ってるかわからへんの?偉そうに言うて、お父さんは自分の体調がよくなるように努力してることある?」
 うつむいて、少しの間黙り込んでから父は答えた。
「努力してることは、少ないなあ」
 とにかく私は怒っているのだと主張して、父も「反省します」と言ってくれたものの、一緒に夕食を食べる気にはとてもなれなかったので、父の分だけ用意して自分は外に買いに行った。
 抗がん剤をした当日に怒ったりして、ちょっと悪いことをしてしまったなあと思った。明日からまたしばらく副作用で悩むことになるし、仲良くしよう。
 が、謝ってくれたにも関わらず、父の態度は次の日も何も変わらなかった。朝食の際も、
「何飲む?」
「コーヒー”で”ええわ」
「お父さん、その言い方やめてって言わんかったっけ?」
 買い物に行く前に、
「今日のばんごはん何がいい?」
「野菜炒め”でも”ええわ」
 昨日言ったこと何聞いてたん?と私は激怒した。父は昔と同じように口先だけで「ごめんなさい」と言い、私が怒っていても無視するかのように食事を続けたり自分の用事をし続けている。
「人が話してるねんから、ちゃんと手を止めて聞いてよ!!」
 抗生剤が入っているから最後まで飲み切ってねと伝えてあったはずの風邪薬も、途中で飲むのをやめている。怒ると、何やねんという表情でこちらを睨んだ。
「反省します。言われたこと守ります」
 と、また口先だけの謝罪をし、次の日も同じことを繰り返して私を怒らせる。自分の部屋へ行きしばらく顔を合わせないようにし、カフェRにも一人で行かせた。3日連続で娘に怒鳴られたのが堪えたのか、その翌日からは父の態度も落ち着き、よく話しかけてきたり冗談も言ってくれるようになってきた。副作用で膝が痛いと言うので、痛み止めを2日ほど続けて飲ませる。便も出たり出なかったり、便秘薬が効き過ぎて下痢気味になったりしながら、いつも通り日が経つにつれて落ち着いてきた。私の気持ちも少しは落ち着いた。

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