荒井美紀

1985年2月生まれ、大阪出身。5歳息子と夫との3人家族。医療事務と介護ヘルパーのかけ…

荒井美紀

1985年2月生まれ、大阪出身。5歳息子と夫との3人家族。医療事務と介護ヘルパーのかけ持ちで働いています。 息子を出産したとほぼ同時に父が末期がん告知を受け、亡くなるまでの3ヶ月半の出来事を記した著書「ダブルケア」を星湖舎より出版しました。

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同居~介護~出産までの出来事を書いていきます

はじめまして。荒井美紀です。 大阪で医療事務と介護ヘルパーのかけ持ちで働きながら、5歳の男の子の育児に奮闘しています。 私はひとりっ子で、母を中学3年生のときに、父を31歳のときに亡くしました。 父が末期がんで亡くなったとき、私は産後3ヶ月。出来る限り自宅で過ごしたいと言う父のため、各種手続きや病院、訪問看護、ケアマネさんとのやり取りなどに奔走しました。乳飲み子のお世話をしながら。 育児と介護が重なる「ダブルケア」としては3ヶ月半という短い期間でしたが(そのうち1ヶ月は入院

    • 小豆島旅行2日目

       食堂へ行き、朝食をとる。メニューは島の名物、ひしお丼だ。湯豆腐や鮭の塩焼き、出し巻き玉子などおかずも豪華。 「普段、朝こんなようけ食べへんのになあ」  そう言いながら半分ほど食べる父。普段は栄養面から、まんべんなく食べてと言っているが、旅行中は量が多いので好きなものをしっかり食べるように言ってあった。そうすると苦手なほうれん草やひじきなどはちゃっかり残してある。子どもみたいだ。  前面ガラス張りのロビーでコーヒーを飲みながら景色を楽しんだ後、チェックアウト。  宿のご主人が

      • 小豆島旅行1日目

         とうとう7月7日がやってきた!朝早く家を出発して神戸港まで車で行き、小豆島行きのフェリーに乗る。父は6時に起きて準備を始めたのに、直前でトイレにこもってしまい予定の7時半より10分遅れて出発。さらに雨の中夫が道を間違えてしまい、フェリーの出発時間ギリギリに神戸港に到着した。何とか予約していた便に間に合いホッとする。  雨が降らないことを祈っていたが、梅雨の最中なのでさすがに免れることは出来なかった。フェリーが運休にならなかっただけよかった。平日のせいなのか梅雨のせいなのか、

        • 旅行に行こう!

           6月1日、父のCT検査に行く前に、産婦人科の健診に行った。エコー検査では赤ちゃんの形がもうはっきりと見え、もにょもにょと手足を動かす姿が映っていた。かわいい、と率直に思った。  つわりの症状はだんだん治まり、楽になってきていた。幸い私は軽くで済んだが、それでも、1日中ムカムカと吐き気がして食べる物も選ばなければならなかったり、においに過敏でスーパーの惣菜コーナーのそばを通るだけでえづきそうになったり、近所の空き地に生えている雑草の匂いまでもが辛く感じられたのは大変だった。一

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          手を変え品を変え

           連休最後の日、私が自室にこもって寝ていると、2階で父と夫が大きな声でやり取りしているのが聞こえてきた。「ちょっと横になったら」と夫が父のことを気遣っている様子だ。  何かあったのかと部屋を出て見に行くと、父がカフェRの前で転んで頭を打ったという。おでこには大きなタンコブ。  父は「トイレットペーパーは嫌だ」とトイレでは落とし紙を使っており、ランチの前にそれを買いに行って、片手に落とし紙の大きなパック2つ、もう片手に杖を持った状態で、足がからまったのだそうだ。タンコブは出来た

          手を変え品を変え

          何とかしよう

           私のつわりはだんだん顕著になり、1日中ムカムカと吐き気がするようになった。何かを食べているときは少しましになったような気がしても、食べ終わってしばらくするとすぐにまたムカムカが復活する。すっぱいものや、パンやフライドポテトなど決まったものばかり食べたくなるという話はよく聞くが、私の場合は毎日のように味覚が変わるので、これを食べたら楽になるという食べ物もない。そもそも食事量自体も大幅に減ってしまった。仕事中もずっとムカムカするので、色んな味の飴を買ってその日に合わせて選び、周

          何とかしよう

          抗がん剤をスキップ

           父の7回目の抗がん剤は、妊娠の報告をしてから4日後の予定だった。夫は外仕事のとき以外は家に帰ってきて食事を作ったり、私の仕事の日は父のランチに付き添ってくれたりした。カフェRに行くときの父の様子を心配そうに報告してくれた。 「お父さん、ふらつくから杖がいるかも知らんって俺に言うねん。確かに歩く姿を見てても足元がおぼつかない。相当しんどそうやで」  ふらつきは、胃がんが見つかる少し前から訴えがあり、抗がん剤を始めてからも毎日のように「船酔いみたい」と言っていた。が、M先生に相

          抗がん剤をスキップ

          妊娠

           4月も半ばを過ぎた。夫と大喧嘩してから3週間近く経とうとしていた。夫は相変わらず寝起き以外は事務所にこもっていて、家にいるときに顔を合わせても話をすることはなかった。お互いに譲歩する気はないし、このままだと本当に離婚かなあと思い始めていた。おそらく夫もそう思っていただろう。薬局のパートに行きHクリニックに行き、合間に家事や父の相手をして、と、夫がいない生活にも慣れてしまっていた。    そんな中、自分の体調に違和感を覚え始めていた。毎月コンスタントに来ていた生理が、1週間ほ

          バラバラの家族

           大喧嘩の末出て行ってしまった夫。  事務所で寝泊まりしようと思ったのだろう。次の日には車で細々した日用品を買いに行ったような形跡があった。ワンルームのマンションを事務所として借りているので、小さなキッチンで自炊も出来るし、シャワーも浴びられる。部屋には天井まで機材を積み上げていたが、わずかな隙間に布団を敷けば何とかそこで眠れる。家へはもう帰ってこないつもりのようだった。  このままでは関係を修復出来ない。とりあえず「寝るときだけはこちらの家へ帰ってきてほしい」とLINEで伝

          バラバラの家族

          もう限界

           そんな中、風邪をひいてしまった。熱は38.5℃まで上がり、耳鳴りがし視界も緑色にかすんだので、これはよくないと思い、その日の父の夕食を作った後すぐに自室で休んだ。23時頃事務所から戻った夫がうどんを茹でてくれたが、キッチンでテレビを見ている夫に音が耳に響いてしんどいと伝えると、小さな音で見てるのに何でうるさいねんと怒り、自分の部屋に行ってしまった。体調が悪いのだから、いくら音量を下げてくれていてもうるさいものはうるさいのだ。じゃあテレビ見るのは明日にするわ、ごめんねありがと

          父へのいら立ち

          父に胃がんが見つかり、私達夫婦との同居を始めて3ヶ月。お互いの生活リズムや価値観の違いにストレスが溜まり、限界を感じていました。 **********************   その父との間にも溝が生まれ始める。  朝、夫の仕事に合わせて一足早く朝食を食べていると、起きて3階から降りてきた父が睨んできたと夫が言う。「俺の仕事の時間がバラバラなことに、そろそろ耐えられなくなってるんじゃないか」  確かに、夫の仕事は休みもバラバラ、繁忙期と閑散期の差も激しく、各々の現場によ

          父へのいら立ち

          同居のストレス

           翌日、父の闘病を知らせていた親戚に、検査結果の報告をする。Hクリニックの副院長にも、報告のメールをする。まだまだ先は長いが、とりあえずよかった。  この頃、Hクリニックは週1回だけの勤務にさせてもらっていた。父の通院に合わせて休むと他の職員さん達に迷惑がかかること、引っ越したことにより通勤時間が倍近くかかるようになってしまったことなどから、毎週水曜日のみ固定で入らせてもらうことになったのだ。入職したときは「30年働きます!」と息巻いていたのに、とても残念だし悔しかった。  

          同居のストレス

          抗がん剤の効果

           2月20日、4度目の抗がん剤。夫は仕事のため、父と私2人で行くことに。  足元がふらつくのを気にして「電車は無理かなあ」と言うが、私も一緒に行くのだから電車で行こうと促した。採血をし、診察を受け、食堂で親子丼を食べ、抗がん剤の点滴をする。抗がん剤が3週間に一度のルーティーンになってきた。Tさんともまた一緒になり、嬉しそうだ。  帰宅後、足のしびれを強く感じたり、足の甲が痛い、お腹が張ってきたなどの訴えがあったが、何度も「ありがとう。ごくろうさん」と言ってくれた。体重も一番最

          抗がん剤の効果

          父の理解度

          父との本格同居が始まりました。 抗がん剤の副作用に悩まされながらも、落ち着いた日々を過ごす父。元気で誕生日も迎えることができました。 が、自分の病気をちゃんと理解しているかと言われると・・・。 高齢者ってこんなものなのでしょうか? *********************  同居開始から2週間後の2月11日は、父の71歳の誕生日だった。1年前、70歳の誕生日にサプライズでケーキをあげたらすごく喜んでくれたので、今回もそうしようと前の日にケーキを用意し、当日の朝父が起きて

          父の理解度

          同居本格開始

           さて、父の退院直後から進めていた同居の準備だが、3度目の抗がん剤の3日前にやっと引越しの日を迎えた。引越しの日と言っても、引越し業者がまとめて荷物を運んでくれたり、電気屋さんにエアコンの付け外しの作業をしてもらったりしたというだけで、それまでの間に自分達で運べる荷物は夫の車で少しずつ運んでいた。何度も何度も、本当に何度も何度も、2人の仕事の合間を縫ってマンションと父の家を往復した。20歳から一人暮らしを始めて、度々引越しを経験したことのある夫も「今回の引越しが一番大変だった

          同居本格開始

          抗がん剤の副作用と「がん友」の支え

           翌日はいつも通り、何も問題なく過ごした。カフェRに行ったら「ちょっと遅いけど退院祝いね」と、マスターがコーヒーゼリーのあんみつを出してくれた。ランチでいっぱいになったお腹を、2人してあんみつでさらに膨らませる。よく全部食べられたなあ、と感心するほどいつも通りの食欲だ。  念のため、抗がん剤当日から1週間ほど仕事を休ませてもらうようお願いしていたが、これなら大丈夫なんじゃないか。このまま穏やかに3週間が過ぎて、何事もなく3度目の抗がん剤に挑めるように思っていたが、その次の日か

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