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センター試験に臨んだ10年前の自分を抱きしめてあげたい

こんばんは。
明日は大学入学共通テスト。
私は10年前に受験した。
数ⅡBの平均点が大爆死した回だ。
そんな回でも現役で医学部に合格した子は通常通りの点数を出していた。
それに驚きすぎて未だに覚えている。
英語のリスニング回の変なキャラより覚えている。
それでまた思い出した。
英語は苦手なのだが、当日は8割採れた。
よっっっっしゃ!!!
本番で採れたことに喜び、ほくほくの状態で学校に行くと、「おれ満点だった!」「俺も!」
なんだ、英語は簡単だったのか。。。と静かに落胆した。

当時の日付を確認してみると、1日目は1月17日。
今日だった。
あれから10年経ったのかと思うと感慨深い。


***
良い大学に入れば良い会社に入れて良い生活ができる、なんて全く思っていなかったが、
「国公立大学に現役で合格したい!」
の気持ちはあった。
自分が心底その気持ちだったのか、と今思い返すと、高校がそういうところだったからか、「そうでないとおかしい」と自分で自分の首を絞めていた気もするが、その当時は「国公立大学に現役合格すること」が正義だった。

実際は学力が足りず、というか緊張してしまって、どこか焦ってしまい、実力をすべて出し切れたか怪しい。
実際、力みすぎて、国語は現代文の部分を解き終えたところで、結構バテてしまっていた。
おかげで現代文は満点だったのだが、古文と漢文はそんなに点数は良くなかった気がする。

明日はここぞ!という日だ。
ここで力を発揮しなけりゃ、いつするんだ?
という日だ。
けれど、「今持てる力を全部出しきれる」ように
頑張ってきてほしい、と思う。
仮に点数が酷くても、「全力でやれた」経験は
未来の自分にとって、心の支えになる。

答えのない問題に差し掛かった時、
「あの時一生懸命がんばれた自分」が
「今の自分の背中を押してくれる」。

頑張らなければならない時に頑張れた人は、
その辿った過去も救うが、未来も救うんだと思う。
結局、目標の国公立大学の現役合格は叶わなかったが、あの時頑張っていた自分を思うと、今頑張れている。
答えのない問題、答えがいくつもあり得る問題から
現実的な答えを探す時、「解がある学生時代だったらどうしていただろうか」と時々思いをはせることがある。あの時の自分がいるから今があるんだ。
後ろから抱きしめてあげたい。


最後は月並みになってしまうが、
自分の力を信じて、力を出し切ってきてほしい。
積み重ねてきた過去と今と、その先の未来の自分のために!


がんばれ!!!!!!!

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みかり
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