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13_亜鉛華軟膏の女_ J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』読解
J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』読解をマガジンで連載しています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。
Q.13 鼻に亜鉛華軟膏を塗った女は何者か?
フロリダで表現される楽園は、『聖書』においてアダムとエヴァがいた楽園に通じる。Wikipediaやキリスト教の入門書(S)によると、アダムとエヴァが楽園で口にした禁断の果実、知恵の実りんごは、一節にはバナナとも、オレンジとも言われているという。
「バナナフィッシュ」におけるバナナは、この禁断の果実を表しているのだろう。「テディ」では知恵の実リンゴについて語られ、これが「バナナフィッシュ」のバナナと対になっていることは、先行研究で指摘されている(C)。知恵の実バナナを食べて善悪の区別を知った人間は、地上へと落下し、彷徨える魂となる。『シビュラの託宣』(下記参照)にもある「The Fall アダムとエヴァの楽園追放」である。
バナナを食べすぎてバナナ・ホールから出られない魚とは、だから、知恵の実を食べすぎて、善悪、男女、生死、敵味方などあらゆる世俗的で些末な二項対立にとらわれて、心を惑わせている人のこと。
シェイクスピアの『十二夜』では、一人だと思っていたヴァイオラとセバスチャンが双子だとわかったときの驚きが「ひとつの顔、ひとつの声、ひとつの服、だが別々の二人!/自然の作りなした魔法の鏡、あり得ないものがある!」(165)「どうしてあなたは二人になったんです?/一つのリンゴを二つに割っても、この二人ほど/そっくりじゃない」(166)と語られるように、リンゴが割れること=知恵の実を食べること=知恵を得て精神が分裂することはイコール。この分裂が、ナルキッソス的、実像と鏡像、正気と狂気の分裂とも結びつく。
楽園からの落下、精神的な堕落は、西洋では、甘くて香り豊かな果実を食べることに例えられ、それが静物画に腐敗しかけた果物としても描かれてきたという(『絵画を読む イコノロジー入門』若桑みどり、ちくま書房、2022年)。
生きるために必要な量を超えて、味覚や嗅覚の快楽、食欲を満たすために、甘い果実をほおばる行為は堕落。欲望のままに行動する堕落した魂は、地上に落下して彷徨い苦しむ運命にあるのだと戒められる。
気が狂うことを意味する〈go bananas〉というスラングが「バナナフィッシュ」の着想源ではないかというのはしばしば指摘されてきたことだ。
エレベーターの中で若い男が遭遇する、鼻に亜鉛華軟膏を塗った女は、嗅覚の異常を連想させる。『荒地』にも登場する神話の人物、ティーレシアスが盲目になる代わりに未来を見透かす能力を得たように、此岸に対する五感の能力を閉じた者は、彼岸世界にあるものが感知できる、という思想がサリンジャー作品にもある。
鼻に亜鉛華軟膏を塗った女は、現世においてバナナの味が分からない人物であり、シーモアの目から見れば、知恵の実を食べすぎていない、堕落していない、食欲や二項対立に惑わされていない、だから、シーモアと同じ楽園=鏡の中の世界の価値観でものを見ることができる人間ということになる。彼女には、五感が正常な人、現世の価値観でものを見る普通の人は気づくことができないシーモアの足の異常を見抜かれてしまうかもしれない。シーモアはそれを恐れて、彼女に対して怒りをぶつけているのではないだろうか。
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J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。