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30_千の顔をもつ英雄_J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』解説

Q.30 サリンジャーは『千の顔をもつ英雄』を読んでいたか?

 [J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解 1]マガジン1~29まで、ジョーゼフ・キャンベルが『千の顔をもつ英雄』で示した英雄の旅の要素に従って、『キャッチャー』を読み進めてきた。こうして読むと、『キャッチャー』が驚くほど王道の英雄の旅・聖杯伝説の型に当てはまることがお分かりいただけるだろう。
 勢いにまかせて一気に書き上げたように見える饒舌でスピーディな文体の背後には、それを支えるしっかりとした骨格がある。1950年代発売当時の若者言葉をとらえた画期的な作品だったという評価の裏には、太古から現代まで続く神話・文学の伝統、普遍的なテーマが息づいている。
 
 と同時に、キャンベルの『千の顔をもつ英雄』と『キャッチャー』を比較しながら読むほどに、新たな疑問がわいてくる。それは、サリンジャーが、ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』を読んでいたか、ということ。
 例えば、『ストーリーメーカー』で、大塚英志氏が中上健司の『南回帰船』を分析したように、通常は物語の構造だけを取り出して、後からそれとキャンベルが示した型とを比較し、考えてゆくことで、作品の読解をしていくもの。
 しかし、『キャッチャー』は、構造だけでなく、オシリス神話、豆、インディアンの毛布など、細かなモチーフまで、キャンベルの『千の顔をもつ英雄』と一致する点が多い。実はこれ、『フラニーとズーイ』にもいえること(詳しくは『F&Z』読解にて)で、サリンジャーは『キャッチャー』執筆途中のどこかの時点で、キャンベルの『千の顔をもつ英雄』を読んで『キャッチャー』を仕上げ、『フラニーとズーイ』は、そのあと、『千の顔をもつ英雄』の影響下で書かれたのではないかと、個人的には考えている。
 「ハプワース」には、英雄的な資質や英雄的行為についてまとめて記した箇所がある(234)。詳しくは同作品読解でまとめるが、この記述はここまでサリンジャーが書いてきた一連の作品が〈英雄の旅/ヒーローズジャーニー〉であることを、作者自らが読者に明かそうとしている記述ではないかと思うのだが、いかがだろうか。(ヒーローズジャーニーの円環については下記参照)

 ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』が出版されたのは1948年で、『キャッチャー』が出版される3年ほど前。だが、『キャッチャー』のもととなる短編「ぼくはちょっとおかしい」が構想されたのは戦前のこと。ここにはすでに、落下とキャッチ、イエスの磔刑、捨て子と父親捜し、道化、漁夫王、ノアの箱舟、浄化と再生、エジプトのミイラ、聖書とオシリス神話のかかわりまでがはっきりと描きこまれている。
 さらに「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」では、男女の聖婚、クリスマスツリーと樹木信仰(詳細後述)について描きこまれている(詳しくは各作品読解でまとめる)。
 『キャッチャー』からさかのぼって読むと分かる点も多く、初期短編「ぼくはちょっとおかしい」や「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」で、サリンジャーの表現の試みが成功しているかはまた別の問題になるのだが、サリンジャーがこの時点ですでに、同様のモチーフを使って作品を構想していたことは間違いない。
 さらに、『キャッチャー』の前半、5~6章くらいまでは、戦地にいるときにほぼ完成していたというのも有名な話。この段階では、サリンジャーはキャンベルを読んでいない。ただ、戦後、後半を足して長編として完成させ、細部を仕上げていくなかで、キャンベルが示したモチーフを盛り込んで作品の完成度を高めていくことはおそらく可能だったはず。

 しかし、サリンジャーが絶対にキャンベルの『千の顔をもつ英雄』を読んでいたと、証明することは今のところ不可能。参照していなかった可能性も、もちろんある。
 キャンベルは、『神話の力』という本を、ニューヨークの自然史博物館で行った対談をもとに記している。その中で、この博物館から多大な影響を受けたと述べている。キャンベルはサリンジャーよりも15歳年上で、サリンジャーと同じようにニューヨークで育ち、幼い頃に何度も自然史博物館へ行き、インディアンやエスキモーやエジプトの展示を見て、太古から伝わる神話にも親しんでいたようだ。『キャッチャー』が自然史博物館の展示を起点として書かれている可能性については、前々回述べた通り(下記参照)。

 ホールデンは「僕はこの博物館のことなら、それこそ隅から隅まで知っていた」(202)と語る。この言葉は、ニューヨークで育ったサリンジャーが博物館に対して持っていた感覚とほぼイコールだと思われる。
 サリンジャーはキャンベルではなく、自然史博物館の展示から影響を受けて、『キャッチャー』を書いた、という可能性もある。それが、同じように自然史博物館の展示から影響を受けたキャンベルの研究と、結果的に重なったのかもしれない。とすれば、サリンジャー、キャンベル、両氏にとって重要なのはむしろ博物館の方かもしれない。
 サリンジャーがキャンベルを読んでいたかどうかは、今の段階では何ともいえないし、正直なところ、個人的には結論はどちらでも構わない。『キャッチャー』という小説が私たちの手もとに届いたという事実に比べれば、作者が何を参照したかなんて、それほど重要ではないのかもしれない。ただ、キャンベルの研究とサリンジャー作品の共通点には興味深いものがあると思う。
 
 [J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解 1]として、1~30回まで連載してきたマガジンは、こちらをもって終了とします。次からは、『ナイン・ストーリーズ』やグラス家サーガの読解を中心に、『キャッチャー』読解も、別の角度から考察したものを少しずつ追加していきます。引き続きお読みいただけたら、とてもうれしいです。

 J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解21~30のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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