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noteで意識のコントロール

例えば、ちょっと弱気なときに子どもから

「今日は学校行かない」

と言われると、心が揺さぶられる。

親としては行ってほしい、

でも行きたくない理由があるんだろう。


そんなとき、

どこまで背中を押してよくて、どこまで受容したらいいんだろう?

というさじ加減で悩むの。


その「さじ加減」に私の気持ちの強さがとても関わっているなって最近感じてる。

そんなお話。


noteに書くと変わること

noteにいろんなことを書いてきて、私は自分の中でバランスって大事なんだなって自覚が芽生え、その感覚を腑に落としていきたくなったのね。

一度自分の感覚や考えを言葉にして客観視して、それから今の自分に必要なさじ加減を考える…ということを noteでは意識していて。

それで私の中の何が変わるかというと、自分で決めたという強さとか軸につながる。

私はこう思っててこう考えてるからこうする!という気持ちの強さにつながる感じね。


なので、記事を書くと心が強くなります。


すごいよね。

うん、私にとってはスゴくて、自信につながってる。

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わかってるんだけど自信がない

なんとなーく自信ないときって、私は周りの影響をものすごく受けてしまう。

流されるというか。

押してこられたら、そのままズルズル了解しちゃう、みたいな。

そう、強くこられるとNOとは言えない、みたいな感じ。


私なりに一応考えもあるし、それってなんか良くないんじゃないかな、と思っていてもそれを伝えたり、カタチにすることが苦手。

で、そんな状態のときは伝えなくても伝えてしまっても、行動しても行動しなくても後悔が残る。

つまり、どっちを選択しても後悔しちゃうわけ。

そんなときはどっちにしてもモヤモヤしちゃって、気持ちの整理や切り替えが必要になる。

なーんか私、パッとしないな、自信ないのかなぁーみたいな、うだつの上がらない、メリハリのきかない感じ。


まぁね、そうなっちゃったら気分転換したり、思考の整理したらいいわけで、それはそれでアリなの!

だけど、可能な範囲で予防できたら楽だなぁと思っていたわけです。

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今の私はコレでいい!を持つ

noteではただの気持ちの整理のつもりで、日々のことを書いてたのね。

誰かに伝えたいとか、わかってもらいたいとか、そういうんじゃなくて、ただただ事実を言葉にしたり、気持ちを言葉にしたり。

最後は客観視して、それがどういうことなのか考えて、

私はこうしてみよう!とか

こう考えてみよう!とか

大丈夫だと思えたな!とか

モヤモヤで終わりにしないで結論を出す、言葉でいい終わりを作るようにしてた。


そうするとね、別に頭にあったことを言葉にしただけのようなんだけど、気持ちが強くなる感じというのかな。


うん、そうだ、私はそうなんだ!とか、

私はこれでいいんだ!とか、


私らしさを肯定することにつながってた感じ。

気持ちがね、強くなったの。

今の私はこう考えていて、こうしたい、こういうのがいい、それをしっかり自覚できた感じもあった。

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親の責任、専門職の責任

子育てや仕事ではどうしても責任がつきまとう。

私はこの責任、が苦手だったんだと思う。

プレッシャー。

間違ってたらどうしようとか、いい結果が出なかったらどうしようとか。


当たり前のように毎日のことをこなしつつも、そこの部分にはいつもドキドキというか、不安があったんだよね。

もちろん正解なんてなかったりするし、捉え方次第ではマイナスもプラスになる。

その中で大事なことって、私がどう考えてどう動いたか、であって、他人の評価ではないんだけど、人の目ってやっぱり気になる。

だけど気にしてビクビクしてたら、もっと事態は悪くなることが多いわけで。


仕事では結構揺れてたかな。

自信ないときは院長の言葉がグサグサ刺さった。

そんなときは子育てのことを理由にもう辞めた方がいいんじゃないかって思った。

でも子育てが問題じゃないのはわかってた。

だって調子がいいときは仕事も子育ても程よいバランスでやれてるから。


子育てでもそう。

子どもを尊重し過ぎると統制が取れない。

社会適応との折り合いの付け方のさじ加減も難しい。

ビシッと言ったとしても、良かったのかな、どうなのかな、とモヤモヤしてる。


どちらにしても、長期的な視点で考えることは大切で、今すぐ結果が出ないことはいっぱいある。

わかっているけど自信が持てない。

結果が出ないことに対して、自分のやっていることがいいのか悪いのか…と自分の今の考えを自分で肯定できない。

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noteで強くなれる

noteで自分の想いや考えを言葉にしながら、いろいろと感じてた。

もう200記事を超えたんだけど、それくらい書くとなんとなく気持ちにも響くものが増えてくる。

その中でなんとなく思えたことがあるのね。

それは、自分なりのビジョンを「強く」心に持てているかどうかが大事なんだなって。


で、私の場合はビジョンは持ててるのだけど、頭の中にあるうちはとっても「弱っちい」気がするのよね。

それがnoteに書くとね、人に見られることも意識するからか言葉を選ぶし、結論をネガティヴにしないように気をつけるし、読み返すと最もらしい気がしてくるから不思議!!!

それってすごく大事なことじゃないかなって思う。


人それぞれ、成長のステージってあるし、今大切にしたいことも違う。

だから同じ状況でも考えることは違うと思うし、描く未来も違う。

今、自分がいる状況と成長段階で自分がベストだと思うことを、きちんと自覚することってこんなにも強くなれるんだね。

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今朝、強くなれたこと

昨日の夜から、小学3年の次男が学校に行きたくないって言ってた。

次男「明日、2年生に作ったやつをみんなで渡しに行くんだ。

 渡すのはいいんだけど、ひと言言わなきゃいけないのは緊張する。

去年、1年生にやったとき、やれたんだけど「は?」って言われて嫌だったんだ。」


今まで学校は行きたくないと言えても、その理由は言えなかった次男。

ちゃんと言えた!スゴイ!! 


でもコレだったら配慮や気持ちの持ち方、工夫などで乗り越えたら力になりそうよね。

親としては応援してあげたい。


夜、去年のトラウマに対する視点を広げたり、緊張することへの考えられる方法とか、視野を広げるような話をした。

あとはママの失敗体験とそのときの気持ち、大人になってからの気持ちを話したり、失敗したことがそのあとのパワーアップにつながったこととかも話した。

不安を和らげられるように。

そして、夜は久しぶりに一緒に寝たの。


でも朝になるとこうだった。

次男「やっぱり行かない。」

で、ここなの、私の気持ちの強さが関係するところ。

弱ってると次男の強い言い分と態度で押し切られて学校を休む選択をしてしまったりする。

まぁそれも悪いわけじゃないんだけどさ。

そんな経験から、応援するのも強さが必要なんだって、スゴく実感してる。


こういうときにドンっと背中を何のサポートもせずに押して大きな失敗を重ねるのも、学校に行きたくない気持ちがベースにあるときには慎重にならないといけないと思ってる。

いいカタチで終わらせてあげたい。

もし失敗して、また学校に行けなくなったら…と思うと、行かせない方が無難かもしれない、なんて気持ちにもなる。

今、次男はとても敏感なんだ。

迷う。

でもいいカタチで終わって、自信につなげてあげたい。

だけど自分の力の及ばないところへ、強く押すって無責任なことはできない。


グラグラグラグラ。


でもね、昨日は私、仕事休みで、予定も三男の修了式だけで、まとまった時間がとれたから、 noteに気持ちを書きなぐってたのね。

結構、記事書いたんだよ。

コマ切れで用事をこなしながら、頭の中整理して、書いて、子どもと遊んだら話したりして。

その効果あり、よ!

スッキリしてたの。

そして、ちょっと気持ちが強く持ててた。

私の考えで大丈夫って自分の背中を押せた。


そのね、自分で自分の背中を押せたことが、次男の背中も押せたんだと思う。

次男の背中をそっと押して登校させてから、先生に電話して、事情を話して様子を見てもらえるように伝えたの。

先生もなんとなく勘づいてくれていて、対応してくれたみたい。


自分の出勤の5分前にそんなことができるのは、頭がスッキリしていた証拠だし、強く気持ちを持ててたからだって思う。

私、いい感じじゃない?


帰ってきたら次男は笑顔で教えてくれた。

「言えたよ!できたよ!」

思わずギューっとしちゃったよね。

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noteを活用して自分を肯定しよう

そんなわけで、私は noteで自分を肯定しまくろうと思います。

昨日もグダグダとよくわからない記事をたくさん書いたな、なんて自分を肯定できない部分もあったんだけど、今日の1日を通してハッキリと言える!

全て今日の自分への力になってた。

自分を肯定する時間って大事だーーー!

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