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【京のブログ】(8)「悪気はないのは、悪くないわけではない」

 このブログに出会ってくださって、ありがとうございます。

 今日は、「人のことを詮索する人」について書きたいと思います。

 私が出会った人で、人のことを異常と思えるくらい詮索する人がいました。

 休日は何してるの?
 どこに住んでるの?
 今日の晩ごはんは何食べるの?
 買い物はどこにいくの?
 仕事の後どこかに行くの?
 飲みに行かないの?
 結婚してるの?
 旦那はどこに勤めてるの?
 車は何に乗っているの?
 子供はいるの?
 子供はどこの学校?

 ここにあげたのは一部ですが、たたみかけるように、個人的なことを事細かに聞いてくる人がいます。

 相手が同性だったとしても、異性だったとしても、怖く感じませんか?

 なぜそこまで、私の行動に執着するのか不思議に思うのです。

 その人は、私にこう言いました。

 「えっ!?
  こんなの世間話でしょ?
  なんの意味もないよ。」

 そういう人に限って、他人に平気で話します。
 事実、そこでの話はすぐに周りの人たちに伝わっていました。

 その現象から、私は思うのです。

〝なんの意味もないというのは嘘ですよね〟

 なぜなら、少なくとも〝周りの人たちに伝えるという目的がある〟と思うのです。

 もっと言うのであれば、〝私はあの人の事を誰よりも知っていると、個人的な情報を言いふらすことにより、自分の承認欲求を満たすため〟ではないかと私は思います。

 でも、あえて私は言いたいのです。

 「それで、あなたの心は満たされるのでしょうか?」

 誰かの知らない情報を、自分が知っているという優越感や、それを他人に自慢気に話す時の刺激を得たいのかもしれません。

 でも、それは一時の事で、すぐに自分でも忘れてしまうような些細なものではないでしょうか。

 他人の個人情報を踏み台にした、一瞬のストレス発散の手段でしかないと私は思うのです。

 そしてその情報は、尾ひれはひれついたあげく、全く事実とは違う情報として、伝達されてしまう危険をもはらんでいるとさえ思います。

 世の中には、その時の気分で、事実に自分の主観を交えて伝達してしまう人が多数います。加えて、その情報はたいてい、悪意が付加された情報であることも多いのです。

 世間話を装って、なんの躊躇もなく、嘘の情報を伝達してしまうのです。

 そして、そういう人に限って、自分に都合が悪くなると「悪気はなかった、だから私は悪くない」と口を揃えて言います。

〝悪気はないことは悪くないわけではない〟

 私はそう思います。
 
 悪気はなくても、結果、傷ついた人がいるのなら、他人を傷つけた事実には変わりがないからです。

 ですから、軽々しく他人のことは言わないことが賢明だと私は思います。

 なぜなら、少なくとも嘘の情報で、傷つく人が増えないからです。

 皆様の周りにも「世間話といいながら、人のことを詮索して傷つけている人」はいませんか?

 もしかしたら、自分も知らず知らずのうちに、他人を傷つけているかもしれません。
 
 今一度、自分の行動を振り返り、「他人を傷つけるよりも、他人を思いやることができる」そんな素敵な人でいられるよう、自らの言動を意識してみてはどうでしょうか。

 皆様の毎日が充実した日々でありますように。

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