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「一般的に」「普通は」から解放してくれた物理の先生の教え|『自分が頑張れる方を選択する』
その科目に1年間向き合わなきゃいけないんだから、自分が1年間勉強していけると思う方を選んだらいいと思うよ。
高校2年生も終盤に差し掛かったある日、理科の選択科目に悩む私に物理の先生はこうアドバイスをしてくれた。
あれから私は、何か重要な選択するときはいつも、この言葉を思い出す。
たかが1年間勉強する科目選択。しかしそれは、選び難い2つの事象を選ぶときの本質なんじゃないかと、大人になった今思う。
物理か生物か。「一般的に」「普通は」とは別の選択軸を教わる
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農学部志望の私は、高2のころから理系クラスに所属していた。
そして3年生に上がると、物理か生物どちらかを選んで授業を受け、その科目で受験に挑むことになる。
農学部志望の人は、生物で受験する。
これは受験生の間では一般的で、普通のことだった。
だから私も生物をすんなり選べばよかったが、それをためらっていた。
私は物理が大好きで、反対に生物はあまり好きじゃなかったのだ。
高2で始まった物理の授業に、すっかりに惚れ込んでいた。
暗記科目と呼ばれる理科だが、物理の先生は数式すら丸暗記させず「なぜこういう公式が出来上がったのか」という成り立ちを、授業中ひたすら紐解く。
問題を解く上で実践的じゃない、という他の生徒からの声もあったが、納得感を持って授業を進めるスタイルは私に合っていた。
毎日物理でもいい、というくらい物理が楽しかった。
しかし、物理で受験をした自分が農学部に入ったところで、大多数が生物受験で入学を決める。周りとの知識の差に絶対苦しむ。
生物にすればよかったのに、何で物理にしたの?と必ず言われる日がくる。
物理をやりたいです。でも、この先を考えるのならば生物を選んだ方が絶対にいいと思っていて……。
うんうん、あーそれは難しいよね、と、いつも質問に来る生徒を安心させてくれる相槌を先生は挟んだ後、こう続けた。
その科目で受験をするんだから、1年間はどちらかに向き合わないといけないじゃない?だったら、1年間自分が勉強し続けられる方を選んだらどう?
ひたすら暗記の生物か、ひたすら計算の物理か、と、笑いながら先生は付け足した。
このとき初めて、「目から鱗」という言葉の使い方を知った。
こうやって選んでいいんだ。
周りの目やその先の勝手な不安で「好き」を諦めようとした自分に、別の選択軸を与えてもらった。
分かりました、考えます。ありがとうございます。と言って私は職員室を後にしたが、そう口にした時点で答えは決まっていた。
教えを裏付ける本との出会い
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社会人4年目、ある本を読んでいたとき、その教えと同義の言葉に出会う。
ジェラシーくるみさん著作『恋愛の方程式って東大入試よりムズい』(主婦の友社)のなかにある1文である。
人生の岐路に立ったとき
選んだ選択肢が正しいかどうかより
正しくなかろうが
腹くくって突き進めるかを自分に問うべし
本書はタイトル通り恋愛について書かれた本だが、「これは!」とすぐピンときた。
まさに物理の先生が教えてくれたことを、人生というすべての事象に当てはめた言葉だった。
物理を選んで臨んだ高3で、私は見事に打ちのめされた。
物理の授業数が倍に増え、難易度も桁違い。
内容を理解できないまま次の日を迎え、復習もまともにできず授業に置いてかれた。
周りから見れば物理という選択は「失敗」だったかもしれない。
それでも何とか踏ん張って1年間乗り切ったのは、高2の自分を腹くくって突き進める道へと導いてもらったからだと思う。
ちなみに私は結局、第一志望の農学部は落ちて、地球環境科学部というより自分の学びたい分野の大学に進学した。
今考えれば、生物をやりたがらない農学部志望なんて、そこからして縁が無かったのかもしれない。
迷ったら「自分が頑張れる方」
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あれから私は、何か重要な選択をするときはいつも「一般的に正しい(とされている)方」ではなく「たとえ正しくなくても自分が頑張れる方」を選ぶようにしている。
自分が正しいと思っていることが、本当に正しいかなんて分からない。
みんなが進んでいる道が正しいかどうかなんて分からない。
それを正しいと確かめる術も分からない。
だったらいっそ、「正しい」という判断は捨てて、自力を出し続けられる方を選んだ方が、よっぽど幸せなんじゃないか。
一般的な「正しい」はいらない。
たとえ周りから「正しくない」と言われても、自分を信じて突き進める方を選びたい。