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推しのきらめきとファンのふぐふぐ【好きになってしまいました。】本語り#04

推しの存在はいるだろうか。私には、いる。胸を張って即答できる推しが、いる。
今となってはコロナ禍の影響も薄れ、ライブやコンサートでの「声出し」可能、スタンディングライブなど、密状態でのライブも開催可能になった。
三浦しをんさんの『きらめきとふぐふぐ』を読んで、コロナ禍のライブを思い出した。

初の「声出しNG」のライブ。普段はMC中になればすぐ推しの名前が叫ばれるし、お客さんとの会話を楽しむMCが定評の推しである。
声出ししないなんて、みんな出来ないんじゃないか?お客さんとやり取りできないライブなんて、厳しいんじゃないか??
そう思っていたが、実際に始まると、みんなちゃんと声出しをしないようにこらえていた。とても感動した。
声が出せない代わりに、推しの名前を叫ぶかのように、みんな一生懸命手を叩いた。手がどうにかなるんじゃないか?と思うくらい、必死に叩いていた。
声が出せずとも、みんな何かしらの方法で推しへの愛を伝えたいんだなと思い、きちんとルールを守る観客の姿にとても感動した。
そんなシーンがまざまざと蘇った。

某「歌ったり踊ったりするきらめく集団」のコンサートが開催されたため、東京ドームに行ったのである。
会場での感染防止対策は、こちらの予想以上に練りあげられていた。
観客の人数は定員の半分に絞っており、座席は市松模様のように、前後左右に空きがある状態だ。友だち同士で密着したりしゃべったりしていると、すぐに係のひとがすっ飛んでくる。もちろん、公演中に声を出すことも厳禁である。

とはいえ、出演者がきらめく集団なので、それを目にしたら黄色い悲鳴を上げてしまうかも……。
私の隣(実質的には、席をひとつ空けた隣)にいたのは、十代後半だろう女の子だったのだが、彼女はマスクをした口もとを腕でふさぎ、必死に声を押し殺して、一生懸命に旗を振っていた。ほんとは「きゃー」って言いたいんだけど、がんばって我慢しているらしい。うむうむ、気持ち、わかるよ……!

しかし試練はつづく。きらめく集団が花道に繰りだしてきたり、移動式ミニステージに分散して乗って、アリーナ外周をまわったりするのだ。つまり、メインステージにいるときよりも、客席に近い位置までやってくる。
このきらめきは……、人類的に耐えられるものなのか?心配になった地蔵は、ちら、と隣の女の子をうかがった。彼女は腕では追いつかなくなったらしく、マスク越しにタオルを噛んでいた。ていうか、マスクのうえからぐいぐいタオルを口に押しこんでいた。気持ち、わかるけど、もはや窒息の危機に直面してるよ!大丈夫なの?!

それでも彼女はこらえた。一声も発さずにきらめく集団を見つめていた。そんな彼女を見て私は、「きらめく集団よりもきらめいている、うつくしい姿だな」と思った。

実際は、ふぐふぐするほどタオルを口にめりこませてて、事情を知らないひとが見たら心配になるというか、滑稽さを感じさせる様子だったかもしれない。でも、彼女がどんなにコンサートを待望していたか、きらめく集団から、いまどれだけ感動をもらっているか、だけど声を出して、万が一にもまわりのひとになにかあったら大変だと理性を働かせているか、そんなあれこれがすごく伝わってきて、「いい子だなあ」と私も感動したのである。
隣の彼女みたいなひとがいっぱいいて、東京ドームは、拍手と小旗の音だけが響く無言の空間となったのだった。

きらめきとふぐふぐ
『好きになってしまいました。』三浦しをん

推しのことを「きらめく集団」と表現しているのがとても素敵だし、何より、周りを見渡せる余裕があることが凄いと思った。
私だったらきっと、推ししか見えなくなる。
推しに全神経を持っていかれるような場面でも、周りを見渡しネタを集めているのは、さすが作家さんだなと思った。

推しのきらめきはもちろんだが、推しを愛する姿もきらめいていると、私は思う。得に、ルールを守って、周りのファンのことも考えて推し活をする姿は、美しい。

今は存分に推しの名前を叫んでも良い世の中となった。大変喜ばしいことに思う。(私はどちらかというと声に出さず心の中で叫ぶタイプだが)
推しはもちろん、他のファンのことも大切に思う気持ちを忘れずに、これからも推し活を続けていきたい。


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Mii
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