推しの存在はいるだろうか。私には、いる。胸を張って即答できる推しが、いる。
今となってはコロナ禍の影響も薄れ、ライブやコンサートでの「声出し」可能、スタンディングライブなど、密状態でのライブも開催可能になった。
三浦しをんさんの『きらめきとふぐふぐ』を読んで、コロナ禍のライブを思い出した。
初の「声出しNG」のライブ。普段はMC中になればすぐ推しの名前が叫ばれるし、お客さんとの会話を楽しむMCが定評の推しである。
声出ししないなんて、みんな出来ないんじゃないか?お客さんとやり取りできないライブなんて、厳しいんじゃないか??
そう思っていたが、実際に始まると、みんなちゃんと声出しをしないようにこらえていた。とても感動した。
声が出せない代わりに、推しの名前を叫ぶかのように、みんな一生懸命手を叩いた。手がどうにかなるんじゃないか?と思うくらい、必死に叩いていた。
声が出せずとも、みんな何かしらの方法で推しへの愛を伝えたいんだなと思い、きちんとルールを守る観客の姿にとても感動した。
そんなシーンがまざまざと蘇った。
推しのことを「きらめく集団」と表現しているのがとても素敵だし、何より、周りを見渡せる余裕があることが凄いと思った。
私だったらきっと、推ししか見えなくなる。
推しに全神経を持っていかれるような場面でも、周りを見渡しネタを集めているのは、さすが作家さんだなと思った。
推しのきらめきはもちろんだが、推しを愛する姿もきらめいていると、私は思う。得に、ルールを守って、周りのファンのことも考えて推し活をする姿は、美しい。
今は存分に推しの名前を叫んでも良い世の中となった。大変喜ばしいことに思う。(私はどちらかというと声に出さず心の中で叫ぶタイプだが)
推しはもちろん、他のファンのことも大切に思う気持ちを忘れずに、これからも推し活を続けていきたい。