アンラッキーと思いがちなハードルにぶつかった時の考え方
こんにちは、ライターの矢島美穂です。
突然ですが、健康診断や人間ドック、行ってますか?
「要再検査」とか出たら、ちゃんと検査にいきますか?
実は私、数年前から大きな病院に定期通院しています。
きっかけは、健康診断で肝臓機能に異常あり、という結果が出たこと。
(あ、以下、重い話ではありません。)
お酒も飲まない(体質的に全くと言っていいほど飲めない)し、薬を服用していたわけでもないので、まったく心当たりはなく。
心配性な私は、すぐに近くのクリニックにかかり、経過観察しても改善しないためエコーを取っていただくことに。
結局それをもってしても原因はわからず、大きな病院に紹介状を書いてもらうこととなりました。
ここではまたエコーと共にCTも撮っていただいたのですが・・・なんと今度は「膵臓に影がある」と。
実は私、30歳になったばかりのころに、膵臓疾患で友人を2人亡くしています。
心臓がバクバク、動揺しまくりました。
肝臓なんてどうでもいい(緊急性は高くなさそうだったので)、膵臓どうにかしてくれ、今すぐ!!!!と。
結局、私の膵臓の影は、おそらく「脂肪種であろう」という結論に。
それ以来、半年に一度の頻度で、相変わらず改善しきらない肝機能と併せて経過観察を続けている、という状態です。
「なった」じゃなくて「見つかった」
で、この「膵臓の影」、脂肪種と分かったこともですが、「あってくれてラッキー!」と思っています。
というのも、膵臓は沈黙の臓器と呼ばれ、万が一悪性化した場合に予後が著しく悪い場所。人間ドックなどで膵臓狙い撃ちのがん検診などもほとんど見当たらない。
脂肪種も、大きくなることがあれば悪性化するリスクは高いそうなのですが…それでも「脂肪種」にかこつけて、大きな病院で定期健診が受けられるなんて、脂肪種がない人が「気づいた頃には悪くなってた」というよりもリスクが低いのではないか、とすら思っているのです。
以前読んだ物理学者の佐治晴夫さんが、書籍の中でこんなことをおっしゃっていました。
ご自身がガンに罹られたのですが、「なった、のではなく、見つかった、と捉えている」というようなお話を。
前後の文脈は失礼ながら失念してしまったのですが・・・
ただこのフレーズだけ取り出してみても、その捉え方は、とてもすてきだな、と感じています。
「なった」というと、神様のくじ引きに当たって(外れて?)しまったようなイメージ。
「どうして私が」、「どうして今」という思いがどうしても生まれてくる。
けれど、実は知らない間にあの人の体にも、この人の体にも、そして私の体の中にも既にあるかもしれないもの。それが、自分の場合、今「見つかった」のだとしたら・・・それはこれまでの人生の中で一番早いタイミングで発見され、むしろ手立てを考えられるだけラッキーなのかも、と。
私はこの「なった」のではなく「見つかった」を見たとき、そうそうわかる!!!と膝を打ったのでした。(もちろん、悪性ではないから能天気に共感できるのでしょうけれど・・・)
病気に限らず、想定外のハードルがひょっこり自分の前に現れたとき。
なかなか平常心ではいにくいものですが(そして私も決して自信はありませんが)・・・
「こんな目に遭ってしまった」ではなく、「今まで隠れていたものが見つかった」「姿を現した」と思えば、「不運」が何歩か「ラッキー」に寄っていってくれる、のかもしれません!
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