見出し画像

鍼灸の空間で癒されている



 8月末に右手首の腱鞘炎になってしまった。正直、20歳ぐらいの頃から手首の調子の悪さは自覚していて、良くなったり悪くなったりを繰り返していたので、ついに来たかという感じではあった。

 今回ダメになった明確なきっかけは、祖母を連れて道の駅に蕎麦を食べに行ったとき。カウンターで、左手に私の蕎麦の盆、右手に祖母の蕎麦の盆を受け取って、祖母の待つ席に運んだときだ。そこから何をしても痛くて痛くて、病院が嫌いな私でも即座に「病院に行かなければ」と思う程だった。そんな中、祖母は非常に美味しそうに蕎麦を啜っていたので、後悔はしていない。

 田舎の整形外科は老人で非常に混み合うのが常だが、私が受診予約をした日はそれに病院のネットワークトラブルが重なり、結局、予約時間から受診までに要した時間は約3時間強であった。なかなかに疲弊して診察室に入室すると、顔に"疲弊"と書かれたような先生が座っておられたので、なかなか心にくるものがあった。こういう方々のおかげで私たちは健やかを保っていられる。ちょっと表現が適切かどうかはわからない。

 その日は痛み止めの注射をチュッと打たれ、それは3か月ほど持つはずだとのことだった。なるほど次の日にはもうほとんど痛みがなくなり、普段通りの生活が送れるようになった。しかし、それはやはり根本的な解決ではないとのことで、以前から腰痛で鍼灸院に通院している夫から勧められる度に断っていた鍼灸院に、ついに一緒に通ってみることにした。

 鍼灸の先生は私よりも年上の女性で、私の症状は夫の施術中にすべて夫から聞いていたらしく、すでに私よりも私のことをよく知っていた。不思議な感覚である。

 そして、私が入室するなり「呼吸が浅いですね」と見抜かれ、その後の問診で顔を見ながら「ストレスがすごく溜まっていらっしゃる、大丈夫ですか」と声を掛けられ、本当に私が知らない私のことまで解られてしまい、心が解れてついには涙が出てしまいそうであった。実際に私は、何にでもストレスを感じ溜めやすい性格であるはずなのに、それに気付くことができず直ぐに体調を崩すことが多かった。まるでカウンセリングに来たかのようである。

 もうこの先生に嘘はつけまい、一生信じてついてゆきます、と完全に心を許し、体に鍼を刺すのも熱いお灸を据えるのも正直恐怖でしかないが、先生が仰るなら我慢いたします、という覚悟でえいやと施術用ベッドに横になったが、気が付くと気持ちの良さで完全に力が抜けてうとうとしかかっている自分がいた。腱鞘炎箇所の施術はやはり少し痛く目が覚めた。

 施術が終わって、温かいお茶をいただきながら、こんなに心地が良くて、身体もメンテナンスしてもらえるのなら、良いことしかないなと思った。逆に怪しいかもしれない…(と思ったがその後、実際に身体の調子もよく、肩こりや婦人科系の悩みも軽くなったので結果的に良さしかなかった。)

 私の施術が終わった後に交代で施術に入った夫の背中を、先生は「どうぞ」と言って見せてくれた。広い背中が鍼だらけになっていて、なんだか面白かった。喜んでいたら、女性の方がこういうの喜ばれますね、と先生も嬉しそうに言った。残りの待ち時間は、先生の推しの宝塚スター写真集のインタビューを熟読した。

 「やむを得ない」という感情で出会うものたちの中にも、なかなか素晴らしいものが紛れていたりする。そんなことを思いながら、今もそのまま鍼灸院に通っている。施術を受けたあとは身体が疲れて怠くなるので、家に帰って身体に染みついたお灸の匂いを感じながら眠る。大抵寝すぎるが、そんな自分もそのときだけは許す。

 まだ通い始めて間もないが、先生のところへ行くときの、楽しみではありながら少し緊張する独特の感じも好きである。自分を労わるということの第一歩を踏み出したアラサー。自分を大切にする方法も、これからはどんどん知っていかなければならない。とにかく「健康が大事」ということに気が付き始めたのも、オトナへの第一歩だと言えるような気がする。

いいなと思ったら応援しよう!