それでも猫を飼えますか?
おはこんばんにちは、つばめです。
動物ってかわいいですよねー。私も動物は好きです。
将来奥さんや、子供がペットを飼いたいと言えば受け入れますが、私は自らペットを飼いたいとは思いません。
今回は昔飼ってた、猫の思い出です。
私がペットを飼わない理由
私がペットを飼わない理由は、今は飼える環境では無かったり、飼いきる自信が無いとか、あえて欲しいと思わないとか色々と理由はありますが、一番の理由としては、私より早く死ぬからです。
なのでこれからも、今のところは飼うつもりは無いです。
ただ、過去に一度だけペットを飼いたいと言ったことがあります。
犬派の親父
私が実家に住んでいた頃は常に犬が居ました。私が物心ついた頃、床下にはウサギ小屋もあり、以前はウサギも飼っていたそうです。
コロ、トネ、ブリザード、銀、ポンタ
以上が、私が覚えている実家で飼っていた犬の名前です。
親父が好きなものは、酒、犬、プロレスで、我が子より犬の方を可愛がっていました。
そんな中、ある日のことです。
捨て猫
私が小学生1年の冬、家の軒下に茶白の猫が二匹、段ボールに入れられ捨てられていました。
私がその二匹の猫を見つけ両親に報告。家族会議が開かれました。
家は貧乏で、子供ながらその事を肌で感じていた私は、滅多に物をねだることはありませんでしたが、唯一その捨て猫だけは飼いたいと言った覚えがあります。
名前はフジ
その頃は近所に猫を飼っている家も無く、ペットの相場は犬。私の家でも犬派の親父としては飼うのは反対でしたが、私の意見にお袋、兄、おばあちゃんが賛同してくれました。
流石に二匹の猫を飼うのは無理だったので、一匹はお袋の知り合いに引き取ってもらい、一匹だけ飼うの事を了承してもらいました。
家族で決めた猫の名前は”フジ”。
当時飼っていた犬の名前が”トネ”。
日本を代表する富士山と利根川が由来です。
しつけ
当初は大変で、テーブルの物は取って食べる、押し入れで粗相をするなど、ひっちゃかめっちゃかでした。
友達が遊びに来た時に、その猫を自慢しようと捕まえたら、引っかかれて血を流した事もありました。
それでも、家族と“フジ”の方も学習し、慣れてきて、それなりには共存生活できるようになりました。
家族自体、猫の可愛がり方が分からなかったので、抱きかかえる事もせず、ほぼ自然体でした。
私がいくら呼んでもこっちに来ることは無なく、いつの間にか勝手によって来る感じでした。
余談ですが、猫は女性に例えられる場合がありますが。今になって良くわかります。
両親は共働き、私と兄は学校があるので、いつも家に居たおばあちゃんになついていました。おばあちゃんは、猫を撫でることも、抱きかかえる事も一切したことはありませんでしたが、よく日向ぼっこをしている、おばあちゃんの隣で丸まっていました。
当然ですが親父が可愛がるのは、犬ばっかりでした。
捨てられたフジ
薄っすら雪の降る冬の日、私が学校から帰ると”フジ”が居ません。
お袋に聞くと、猫嫌いの親父が、酒を飲んで酔っ払った勢いで山に猫を捨ててきたというのです。
私は激怒、家族ぐるみで捜索しましたが見つかることはありませんでした。
数日が経ち、ある朝親父が「猫が帰ってくる夢を見たと」とポツリお袋に言って仕事に出かけました。
私も学校に行こうとしていたら、雪の中右耳が少し裂けたフジがこちらに向かって、歩いて来ました。
”フジ”が帰ってきた。
ただたた嬉しかったです。
それから10年以上、フジは私の家に住む事になります。
最後は死に目を見せる事無く、居なくなりました。
責任を果たせる人だけが、ペットを飼える
ペットって本当にいいと思います。
子供の教育にも、生き物を飼う行為は学ぶものが沢山あると思います。
ただ私は、これからも自らペットを飼う行為はしないと思います。
友達の家で飼ってる、犬や猫を可愛がるので十分です。
食事の前に言う「いただきます」の語源は、「命をいただきます」からきています。
動物、植物全てにおいて命に感謝しないと、人は生きて行けません。
命は大切です。
命に対して、最後まで面倒を見れない人、責任を果たせない人はペットを飼うべきではありません。