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私にとっての書く習慣。


朝おきてご飯を食べて、身支度をして。
この間に、ぽっとアイディアがひとつ浮かぶ。

日光を浴び、駅までの道のりをするすると歩けば、またひとつふたつと続く。
あふれ出すかのように言葉が脳内を駆けめぐる。

ありがたいことに書きたいことは尽きない。



noteを始めたばかりの頃、書くことが楽しくて仕方なかった。東京でのあらたな生活が新鮮で、キラキラと毎日が希望に満ちていた。

アイディアが浮かぶたびに、慌ててメモをする。素早くどこにいても書き留められるように、iphoneのメモアプリに雲みたいなふわふわの状態のひらめきを文字にする。まだ文章にも言葉にもなっていない、ほんの少しの文字のものを。

ちょっとずつでも書いていけたらいいな。

それくらいの気持ちだった。


最初は今日書くものをと思い、メモをしていた。それが、明日、明後日とどんどんと増えていく。そうして、まだ文章になっていないものが30個ならんだ。

これは張り切って書いていかないと、と自分に喝を入れた。

年末に差し掛かった頃。
何日か連続で記事を投稿することができた。

5日、10日、14日…
すごい!2週間も連続で書けたぞ。

このまま続けてみようかな…

1ヶ月、3ヶ月…

気づけば、100日を迎えていた。


その頃には、随分と書くことへのハードルも下がり、書くリズムやスタイルもなんとなく定まりつつあった。

自分なりに、この曜日はこのテーマで書いて…などとルール化を図って。夫婦のこと、日常のこと、私のこと、過去のこと…ときには今日のことにかつてのことを絡ませてみたり。

パソコンの前に座れば、みるみると文章が浮かんでくる日もあれば、頭をぐるぐるとさせながら騙し騙しで書き進める日もあった。

とにかく書いた。


そして、150日を迎えた日。

自分の過去に触れる話を書いた。誰かに強制させたわけではないのに、そのテーマを自分で選んだ。毎日明るい話を書きながら、自分が”恵まれてきた人”のように感じてなんだか嫌気がさした。

極力、読んでくれる方がうっかりと”負”の感情を受け取ってしまわないような、そんな文章を書いていきたいと思っていた。

だが、どうしても過去を書きたいと思ってしまうときがある。

当初は同じように悩んでいる方に向けて。と思っていた。もちろんその気持ちに嘘はないのだが、極力オブラートに包みながらも文章にすることで、自分の心を浄化させたい、とどこかで考えていたのだろう。

勝手だなと思うけれど、

明るいことばかりじゃないから毎日は。
とも思った。


過去現在未来をぐるりとまわり、記事を書いた。

そして、プツン、と切れた。

ちょっとさらけ出しすぎたかもしれない、と自分から一歩引いた。


自己開示をする、というのはプラスの意味で捉えられることが多い。相手のことを知りたければ、まずは自分から話を切り出してきっかけを作る。これは、日常的にはよくあることだ。

ただ、書くことにおいては、まずは自分と対話をしたい。今日のひとつを自分の中で咀嚼して言葉にして文章にしていく。

考えるよりも、書いてしまった方が早いのだが、
私はそのわずらわしい過程を大切にしていきたい、と思った。



毎日投稿をやめてからというものの、
記事になっていない案が100個に達した。

必死になってひとつひとつ形にしてきたけれど、もう追いつかなくなっていた。ここまでくるとメモがメモの役割を果たさなくなる。

下書きも増えた。書き出したはいいものの、最後まで終えていないものばかりが目立つ。

やはり一日ひとつずつでも記事にしていった方がいいのでは、とも考える。


だが、案の状態でスタンバイをするメモも、未完成で時が止まる下書きも、これはこれでいいのかもしれない。

メモを見て、下書きを見て、また書き出したいと思えばそうすればいいだけのこと。思わなければ、それまでのことなのだ。

なにも記事にすることが全てではない、ということを改めて自分で自分に伝えたい。


noteを開かない日 や 文章を書かない日もある。

だからと言って、書くことから遠ざかっているかといえば、そうではない。言葉に触れていない間に、感じたり聴いたり見たりして、思考に自由を与えている。そしたらまたぽっと”書きたい”が浮かぶ。

そんな日々のリズムが、私にはあっている、と感じる。


これからも、書くことをそばに、
日常を過ごしていきたい。



最近は小さいスケジュール帳に、
3行日記、今週書きたいこと、行きたい展覧会情報等を
綴ってほくほくしている💭


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