人生が100秒だったら: 19秒目
脳内8ミリ
6歳から9歳まで暮らしたブラジル・サントスの記憶は、アルバム2冊の白黒写真に残っている。これはそのアルバムの中には残っていない出来事の話だ。写真という形で残されていないのに、いや、だからこそ脳内で再生される時、鮮烈になる。昔の8ミリ映写機の音までカタカタ聞こえてくるような気がする。
それは両親と一緒に映画のロードショウを見に行った、その帰りの出来事。その日、どうしても見たい映画があったのだろう。(たぶん1962年公開「史上最大の作戦」The Longest Day)3歳の妹にはまだ難しいからという理由だったのか、夜遅過ぎるという理由だったのか、両親の話を聞きつけて私がねだったのか、いつもなら家族4人で行くお出かけに、私だけが連れて行ってもらった。
いつもの時間に夕食をすまし、寝支度をし(パジャマまで着て)、ベッドに入って、妹が寝静まったのを見届けてから、そっと抜け出して、両親と映画に行く。肝心の映画の内容より、お菓子の盗み食いをするような、その夜のちょっと後ろめたい、でも得意気な気分だけ朧げながら覚えている。
映画が終わって帰宅し、家の前で車を降りた途端、目に飛び込んできたものに父、母、私3人の足がすくんだ。暗い夜道にフワフワと動く、ちいさな白い塊。目を凝らしてみると、裸足の幼児。どこかに向かって歩いている。父母の心臓が「キュッ」と鳴ったのが聞こえた。
寝巻きの妹が1人、家の前の大通りの縁石をつたい歩きしていたのだ。自宅の前は2車線で、夜も車の通りは途絶えていなかったと思う。
私の脳内8ミリはカタカタと、そこで止まる。
ホワイトアウト。
駆け寄って抱きかかえられた妹から出た言葉をひとつひとつ、つなぎ合わせると、、、夜中に目覚めたら、独りだった、(隣のベッドに寝てるはずの)お姉ちゃんがいない、(パパとママの寝室に行ったら)2人ともいない、みんなを探しに行かなくっちゃと、階段を降りて玄関の鍵を開け、外に出たの、、、と。
映画が終わる時間があと数分でも遅かったら、と父母は震えたと思う。想定外でした、ではすまない出来事。3人で映画を見に行った夜が、取り返しのつかない夜になったかもしれなかったあの夜、6歳の私はどんなふうにして眠りにつけたのか。「何もなくって、良かった」と思ったのか。映画のことを思い出せないのはそのせいなのか。
60年以上経った今、私があの景色を思い出す時、なぜか暗い道にぼおっと浮かんだ白い塊を追いかけているのは、母の目だ。地球の裏側で闇に吸い込まれて行く寸前で3歳の子を抱きとめた、31歳の母親の目だ。