死体が無い!
何の役に立ったかはわからないけど、
何ものにも代え難い体験、というものがある。
34歳の時、アメリカのアートスクール(美大)に入った。とてつもない労力と費用をかけ、人生ドマンナカの貴重な時間を投入し、映画産業のメッカ、ハリウッドで約4年間映像の勉強をした。費用対効果の点で言うと、到底人に自慢できるような行為とは言えないが、
「あの時はそうすることが正しいと信じていた」モメントのひとつだ。(私の人生、そうしたモメントが多いです。)
自分の頭で作り上げた世界を映像にする。
そういう行為に私は4年間没頭した。
贅沢極まりない時間であった。
何が贅沢って、結果以上にプロセス自体がとてつもなく楽しかったのである。
ああでも無いこうでも無いと、うんうん悩んで
ストーリーが書けたら、それをムービーにするために撮影準備(ロケーションかステージか決め、ロケーションなら必要な撮影許可を申請し、撮影や録音の機材、大小道具の調達、役者やその他スタッフの手配、etc)から編集まで、そのプロセスには何人もの人を巻き込むことになる。
どんなに短いものでも、ひとつの世界の創造主になるのは、重労働だ。忍耐だ。
そういう作業に私は4年間没頭できた。
学校という場所は、そういうことに没頭している人だらけであった。金銭的報酬無く、ひとつの世界を作り上げるプロセスを共有する。
これが贅沢でなくて何であろう。
毎週のように、出される課題で
私たちは、それぞれ自分の書いたスクリプトをショートムービーにした。
その度ごとに好きな仲間と組んで10〜20人のチームを作った。今回は、私がディレクター、トニーが撮影監督なら、次回は、トニーがディレクター、私は撮影監督というふうに、役割も持ち回り。(そうやって色々なポジションを経験していく内に、自分に合った役どころがわかっていくという仕組み。)
完成すればたった数分のものにみんな全力投球。苦労した分だけ分かち合う喜びもひと塩の作業。
1年生の時のスーパーエイト(8ミリフィルム)の宿題が忘れられない。
コーエンブラザース(天才ですよね!)ばりのダークサスペンスが大好きなクラスメイト、リチャードを手伝った時のこと。殺人シーンに続き、現場から逃走する犯人のP.O.V(視点)を撮影していた時のこと。
どこからか調達してきた車椅子をドーリー(台車)代わりに室内を行ったり来たり、凝り性の監督リチャードはなかなかOKを出してくれない。テイク19だったか20だったか、今夜も徹夜かと観念したその時、車椅子に乗っていた撮影監督のトニーが突然大声を上げた。
「死体が無い!」 Where is the body?
何度も撮りなおしている内にスクリプトの順番がmixed up(混乱)してしまって、本来「そこに倒れている筈」の死体が消えていたのだ。
「スクリプトスーパーバイザー、
死体はどこだ!」
「今、ピザとコーラを買いに行ってます!」
徹夜食を買い出しに行かされていた死体役の男の子は、急遽呼び戻されて続きを撮ったのだっけ。それともスクリプトを書き直したのだっけ。細かい記憶は定かでは無い。
あの4年、ありとあらゆることがあったはずなのに、真っ先にこんなことを思い出すのはなんでだろう。
真夜中、寄せ集めのセットで、ぎゅうぎゅう詰めの部屋の中で、みんなで涙が出るほど笑い転げた記憶こそ、一生モノの宝物なのかもしれない。
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