死にがいを求めて生きているの
死にがいを求めて生きているの 著 朝井リョウ
ある1人の、登場人物のセリフが、頭から離れない。
お金があるから幸せなのか。
褒められたいから勉強をするのか。
私たちは、手段と目的が逆転していることに、知らないうちに、社会に揉まれているのではないか。
与志樹は、中学時代は、周りから評価されるために本を読み、ビブリオバトルという本の感想を述べる大会に力を入れていた。
また、大学に進学後は、自分がすごい人たちに囲まれてテレビ番組に出演することに快感を得て、レイブという音楽サークルで活動していた。
手段と目的。
本来、正しい順序で並ぶはずのものが、逆転してはいけないのはなぜか。
それは、目的を失っては、何をしたらよいかわからなくなってしまうからである。
何かを成し遂げた人になりたかった。
しかし、《何か》はわからないけど。
私は、人生において、何かを果たせる人間になれるだろうか。
文章を書く仕事がしたい。
自分の作品を作りたい。
そのために、読書をする。映画を観る。
様々な作品に触れる。
noteを更新する。
作品の感想をまとめる。
日常の感想をまとめる。
それは、自分の作品によって、誰かを救いたいとか、教訓になれたら、とか、そのようなものではない。
認められたい、はゼロではないが、承認欲求のためであれば、他の手っ取り早いやり方をとる。
やりたいから。好きだから。
やりがいがあるから。
それが、生きがいにつながるのかもしれない。
死にがい。
人生の最期に、生きていた価値となるもの。
死にがいがなくても、生きがいがなくても、自分の人生に誇りが持てたらそれでいい。
自分の人生に満足するために生きがいがあるのではなく、何かに夢中になって、それが生きがいになるから、人生に満足できるのだ。
そのことに気づいた登場人物の人生は明るい。
しかし、雄介は、死にがいを求めて、ずっと生きている。
何者かになりたいから、死にがいを求めている。
何者にもなれない私たちだから、せめて目の前の人を大切にしよう。
家族を支えよう。
しっかり働いて、そのお金でいっぱい遊ぼう。
美味しいものを食べよう。
好きなものを好きでいることに誇りを持とう。
何者でもない、生きがいがない、死にがいもない。
何が悪い。
そんなものなくても、人生楽しめるはずだ。
そんな人生を送りたいのだ。